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ロングボーダーの憂鬱 8 Better Together 2/3

 その夜、真夏は上機嫌だった。
 客の注文にも笑顔で対応して、ろくさんへの返事もなぜか弾んでいた。
「なんだか真夏ちゃん、機嫌がよさそうだな」
 いつものように店の奥のテーブルに座ってビールグラスを傾けていた祐司が声をかけた。
「えへへへ」
「なんだよ、その笑い方。変だぞ、真夏ちゃん」
 ろくさんもそういって真夏の顔を不思議そうに見た。
「じつはですね、本日、自己最高新記録だったんです」
「最高新記録って?」
 祐司が首を傾げながら訊いた。
「波ですよ、波。今朝の海、知ってます?」
「ああ、今日の波か。なかなかいいサイズだったんだ」
 祐司がそういいながら空になったグラスを真夏に見せるようにして振った。
「あ、お替わりですか?」
「うん、焼酎がいい」
「ちょうど頭ぐらいだったかな、朝は」
 ろくさんはそういいながら祐司のために氷で満たしたグラスに焼酎を注いで水割りを作った。
「そうなんです。あれ、頭越えてたかもです」
 真夏はそう答えながら、カウンターから外へ出て、グラスを祐司の前に置いた。
「その波に乗ったんだ、真夏ちゃん」
「はい。波越えるの失敗したときは散々だったんだけど、つぎのうねりはバッチリ。もう、凄い波でした」
 笑顔で話しながら真夏はカウンターの中に戻った。
「そういえば甥っ子の海も、なんだか嬉しそうだったなぁ」
 祐司が頷きながらいった。
「あいつ、乗れたんだ」
 ろくさんが口を挟んだ。
「あれ? ろくさん今朝、海とあったの?」
「ああ。波見てちょっと躊躇してたから発破かけといた」
「それでか。あいつもいい感じで乗れたみたいだよ。学校いく前に家で朝飯食べていくんだけど、なんだか妙に嬉しそうでさ。ちょうどいまの真夏ちゃんみたいに」
「逗子であのサイズの波がビーチブレイクすることってあまりないですからね。いい波でしたよ。もう手応えバッチリって感じで」
 そういって真夏はろくさんの顔を見た。
「で、ろくさんはもちろん?」
 祐司が訊いた。
「ああ、たっぷりと乗ったよ」
 そういってろくさんはただ頷いた。
「ろくさんは、あのぐらいの波って、どうってことないサイズなんですか?」
「どうってことないというか、肩慣らしかな」
 ろくさんはそういって真夏に答えた。
「なにせハワイ仕込みだもんな。ろくさん、ハワイだともっとでかいんだろう、ふつうに」
 祐司がグラスを傾けながらいった。
「まぁ、場所にもよるよ。膝腰ぐらいのメローな波のところもあれば、ビル何階分だよって強烈なところもある」
「えー、そんな凄いところあるんですか?」
「真夏ちゃん、ネットで検索してみな。バンザイパイプラインって、有名なところがノースショアにあるから」
 祐司が訳知り顔でいった。
「なんだか凄そうな名前。ろくさん、そこで乗ったことあるんですか?」
「まあな」
 ろくさんは素っ気なく答えた。
「そこですね、ビル何階分かの波が来るところって」
「真夏ちゃん、SUPだろ。立ったまま乗るから、オーバーヘッドでもそこまで高さ感じないかもしれないけど、サーフィンはボードの上に腹ばいだからさ。頭越えるようなサイズだと滅茶高さ感じるんだよ。それがビル何階分かの波だととてつもない高さに見える。まぁ、ふつうに滅茶するおれでも、とてもじゃないけどそんなサイズはごめんだな」
 祐司が頷きながらいった。
「SUPでも頭越えると大きいですよ。もう散々な目にも遭ってるし」
 真夏が笑いながら答えた。
「そっかー、ろくさんそういうところでも乗ってたんですね」
「いや、最初は素直にビビったよ。あんなサイズ、日本じゃお目にかかれないし。しかも底が浅くて下手にワイプアウトすると命に関わるし」
 ろくさんはなにかを思い出すようにいった。
「あー、わたしは無理。メローな波でいいです」
 真夏はきっぱりといい切った。
「うん、それがいい」
 祐司が笑いながら頷いて、続けて口を開いた。
「でもビーチでそんなサイズだったら、ポイントはどうだったのかな」
「ポイントって、大崎?」
 真夏がそういって首を傾げた。
「そう大崎。大崎の奥の方とか、浪子のミドル」
「そういえばスクールの人たち、よく大崎にいきますけど、あそこ凄いんですね」
「ああ、こういっちゃなんだけど、うねりによってはワールドクラスの波ができるよ」
「じゃ、きっと滅茶大きかったのかな、今朝」
 真夏はそういってろくさんの顔を見た。
「この様子だと、明日の方が凄いだろう」
 ろくさんはそういって微笑んだ。
「ろくさんは大崎いかないの?」
「いや、ボード抱えて浪子のトンネルまでいきたくないし」
 祐司の問いかけにろくさんが答えた。
「確かに。ロングボード抱えてあそこまでいくのは骨だよな。SUPならパドルで漕いでいけるけど」
 祐司は笑いながら頷いた。
「そうだ、よければ車で送っていこうか。明日の朝」
「なんだよ、大崎で乗れって?」
「ろくさんならいけるだろ。チューブだってなんだって。日本に戻ってそんなサイズの波、乗ってないだろう?」
「大崎か……」
 ろくさんは知らず知らず腕組みをして、なにか考えるように店の壁にかかった時計を見た。
「いらっしゃい」
 真夏が入ってきた梨沙に声をかけた。いつものようにドアを開けて、中を確認するようにしてから入ってきた。そのままカウンターを奥まで歩いて、美奈海席の隣に腰を下ろした。
「ビールいいかしら?」
 真夏にそういってオーダーをするとろくさんの顔を見てにっこりと笑った。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
 ろくさんは優しい笑顔で答えた。
「お疲れさまでした」
 真夏はそういって梨沙の前にグラスを置いた。
「ありがとう」
 梨沙は頷くとグラスに口をつけた。
「今日はちょっと時間遅くない?」
 ろくさんが梨沙の横顔を見ながらいった。
「学校出たら、それでおしまいならいいんだけど。どうしても持ち帰ってやることがあるの」
 梨沙は溜息交じりにいった。
「持ち帰りたくはないんだけど、こればっかりは……」
「大変なんですね、学校の先生」
「ごめんなさい、愚痴っちゃった?」
 梨沙は真夏の顔を見て零すようにいった。
「いいんですよ。ここは呑み屋だし。でも、その手の話はろくさんにぶつけてください。わたしは楽しい話題担当なので」
 真夏が冗談めかして笑いながらいった。
「たとえば?」
「それは、今日なら今朝の波の話です」
 真夏が胸を張って頷いた。
「凄かったんだ、今朝」
「軽~くオーバーヘッドです。聞いてください、梨沙さん。自己最高新記録だったんですよ。サイズも凄かったけど、波の力が半端なくて。でも、乗れちゃったんです」
「凄いなぁ、真夏ちゃん。もうすっかりベテランの域ね」
 梨沙は頬杖をつきながらいった。
「いや~、そんなこと。もっといってください」
 真夏がそう答えると、ふたりは顔を見合いながら声を上げて笑った。
「で、どうする?」
 ふたりの会話を笑顔で聞いていたろくさんは祐司をただ黙って見返した。
「あれ、なんだ、らしくないな。尻込みしてるわけじゃないよね、ろくさん」
「もちろん、そんなんじゃないさ」
 ろくさんは苦笑交じりに答えた。
「じゃ、どうしたのさ」
「いや、それがちゃんとした波なら波で……」
 ろくさんはそこでいったん言葉を切ると、そっと梨沙の横顔を見た。
「いや颱風のうねりがまともにあのポイントに入ったら、そりゃ凄い波のはずだろ」
 祐司はろくさんの顔を伺うように見た。
「だからだよ。だから波がすごい波なら、それはそれできっと乗り応えがあるだろう。それはおれにとって……」
「ろくさんにとって?」
「おれの中でハワイに拘る必要がなくなるってことでもある。そう、ここでいいじゃないかって。逗子でも季節が季節なら、ビル二階分の波はあるんだぜって。それは……」
 ろくさんはそういうと手元にあったグラスを持ち上げると、ただ黙ってクロスで磨きはじめた。
「そうか……、ハワイか……」
「ああ、ハワイだよ……」
 ろくさんはグラスをそっと置くと、静かに右の掌を開いて見つめた。
 ──ただの右手。もうそこにはなにも見えない。
 それでもろくさんはしばらくの間、じっと掌を見つめ続けた。やがて大きな溜息をひとつつくと、梨沙の顔を改めて見つめた。
 その視線に気づいて梨沙が見返すと、ろくさんは力なく笑った。
「そうなんだよハワイじゃなくていいじゃないかって……。ここにいるだろうって。娘が、大切な人が」
 ろくさんはひとりごちるようにいった。
「待ってるよ。その気になったら電話くれ。いつでもいいから、待ってる」
 祐司はそういうと席を立った。真夏から伝票を受け取ると、その場で支払いを済ませ、そのまま店を出ていった。それがなにかの合図になったようにほかの客も席を立ちはじめ、気がついたら店に残っている客は梨沙だけになっていた。
 店の中で響いていたはずのBGMも立ち消えて、静寂が訪れていた。
「だからなのね」
 店の中を流れる時間を沈めるように広がっていた沈黙を破って梨沙が口を開いた。
「あのとき、突然、黙りこくったのは、だからなのね。まるでハワイにいるようなあのお店で」
 梨沙はつぶやくようにいうと両手で持ったままのビールグラスをただ見つめた。半分ほど残ったビールグラスの底から細かな粟粒が登っていく微かな音を聞き逃すまいとするように。
 息を詰めるような沈黙がふたたびRough Boyを支配しようとしていた。真夏が洗い物をしている水音だけが静かに響く。やがて洗い終わった真夏が蛇口を閉めると、その音だけがやけた大きく聞こえてきた。
「真夏ちゃん、今日はもう閉めよう、それ終わったら上がっていいよ」
 真夏はなにかをいおうと口を開きかけたが、ろくさんと梨沙の顔を交互に見て、ただ頷いた。洗い物で濡れた手をタオルでていねいに拭くと、エプロンを外して、帰る用意をしはじめた。
「それじゃ、わたしも」
 梨沙がそういって立ち上がろうとしたが、ろくさんが静かに首を振って、押しとどめた。
「それじゃ、お先です」
 真夏はそういってろくさんに軽く会釈をすると店を出ていった。ドアの閉じる音がやけに大きく響いた。
 静まりかえったRough Boy。梨沙はグラスに残っていたビールを呑み干すと、口を噤んだまま空になったグラスをじっと見つめた。
「なにか頼んでもいいかしら?」
 梨沙は意を決したように口を開くとろくさんの顔をじっと見つめた。
「もちろん」
 ろくさんは静かに頷いた。
「たまにはウイスキーでも呑もうかな」
 そういって梨沙はろくさんの後ろ側にずらりと並んでいるボトルをゆっくりと眺めた。
「呑み方は?」
「そうね、ロックじゃ強すぎるからハイボールかな」
 梨沙はそういうと同意を求めるようにろくさんの顔を見た。
「好みのウイスキーは?」
「とくにないわ。だってあまり呑まないもの。そうだ、ハワイのウイスキーってあるの?」
 ろくさんはゆっくりと首を横に振った。
「だからここはハワイじゃないから。それは前にもいったよね」
はじめから つづく

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夕焼けフォトグラファー / 物書き / デジタルコンテンツデザイナーの癌サバイバー、竹井義彦です。 逗子の海の写真や、オリジナルの小説をメインに公開しています。よろしくお願いします。
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