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「何者かになりたい」と願う自分とそうでない自分

何者か問題について、私はその問題を「理解できる」「理解できない」のどちらのスタンスも共感できる気がしている。

属性としておそらく私は記事内における平成のモラトリアムがある程度許容されていた時代に10代~20代の多感な時期を過ごしている。

と、同時に家庭は貧しく、高校卒業後、専門学校に進学したものの、地元を離れて一人暮らしをしながらバイトで生活費を稼ぎ、奨学金の金額を改めて見たときに、絶望に近い感情を抱き、中退して働き出したことで早々にモラトリアム期間は打ち切りになり、「稼がなければ死ぬ」というリアルに必死だった。

この「何者」という定義について私は、「自分という存在を表す代名詞を持っているかどうか」だと考えている。それはモラトリアム期間を実質打ち切った新社会人時代に本で読んだ言葉(下記)による影響が多分にある。これが冒頭の記事の筆者のそれと同義であるかどうかは定かではないけれど。

「何によって憶えられたいかその問いかけが人生を変える。」ドラッカー名著集『非営利組織の経営』より

年に1,2回ほど一堂に会する地元の友人達が大学生活でのあれこれを語り合う中、私は羨ましいという感情に蓋をして、さも充実したサラリーマン生活を送っているテイで、同級生に対していち早く社会人デビューをした先輩ヅラで意味不明なビジネスカタカナ用語シリーズをネタにしていた。(例)マター、アジェンダ、バジェット、ASAP(あ、カタカナじゃないや)などなど

このときの私はまさに「何者かになりたい」がために「何者にもなれていない」自分に焦りながら必死にもがく若者であったろうと思う。そして最終学歴高卒となった学のない自分が思いついた「何者かになる」方法は仕事で結果を出すということしかなかった。(当時はまだSNSはmixiくらいしか知られていなかったからインフルエンサーという概念はなかった)そうすることでモラトリアム期間を延長することができるような気がしていたのだと思う。

幸い地元の友人たちは「みんなと違うルート」に外れた私を暖かく見守ってくれ、充実してるアピールも功を奏してか、応援もしてくれた。おそらく今の価値観で言えば「意識高い系」と揶揄されるであろう私でも、当時はまだ「田舎から出てきた頑張ってる若者」というような見方で諸先輩方も好意的に見てくれていたように思う。もちろん、ネットワークビジネスや謎のビジネスオーナーなどとも知り合うことは多かったが。

仕事を頑張ることで何者かになる、という大義を得た私だったが、結果的に(経緯は自分語りが長くなるので割愛)、今の私はまだ何者でもない。それでも昔ほど背伸びをせずにいられるのは、自分がなりたかったのは「(今となっては幻想といわれる日本の)普通」であることを自覚したからで、それがありがたいことに、友人や仕事、妻や子どもたちによって裕福ではないもののなんとか生きていけている今に感謝しているからだ。ある意味、何者問題は解決している。

しかし一方で、仕事においての何者問題は引き続き課題として取り組み続ける必要がある。

●地元振興

●EC事業運営(物流含む)

●Webマーケ

●業務効率化

大きくこの4つが今の自分の仕事面の構成要素になっている。これらをかけ合わせた何かによって私はこれからも何者かになろうとし続けるだろう。きっと。

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