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4/3 命は皆平等と言うけれど。

動物愛護をやっていると、少なくない数『人間よりも動物が好き』という方と出会う。うちは街頭活動をやっていたりもして、そういうときにニコニコしながら「人間のための募金なんてする気になれないけれど、わんにゃんのためならねえ~」と募金箱にお札を入れてくださる方がけっこういて、支援をしていただくことは本当にありがたい、ありがたいのだけど、その一方では「ちょっと待ってくださいよ…」という気持ちになってしまうところがある。人間だって生き物だよ、と思う。

アンチナタリズムという思想があって、日本語にすると半出生主義というのかな、ディヴィッド・ベネターという学者さんが提唱している思想で、僕もまだ不勉強なところがあるので間違った理解をしている部分もあるかもしれないが、簡単に言うと「人間は道徳的に考えて生まれてこないほうがよい」という考え方のようだ。これが結構ガチのヴィーガンの人なんかと重なり合う思想でもあるようで、最近twitterなどのSNSなんかでもよく眼にするようになった。

僕はそこまで人間に絶望できないなあと思う。いや、アンチナタリストの人たちだって絶望感やニヒリズムに苦しんでその思想に行き着くという訳ではないのだろうけど、それにしてもやっぱり、新たな誕生を喜べない思想ってどうなんだと思ってしまう。

philosophyは語義としては愛智を意味する。(愛知県は哲学県なのです)

哲学は愛を内包している。人類史上悲惨なことは数多くあれど、その悲惨を止めるために思考することを続ける人の営みがあって、人間社会はゆっくりと進歩を続けていると思う。スティーブン・ピンカーという人が書いた暴力の人類史という本があって、ハチャメチャに高いので僕はその昔図書館で借りて読んだっきりなんだけど、本書の結論は、人間社会における暴力は有史以来減り続けている、というものだった。その要因は様々あるんだけど、僕が感銘を受けたのは「印刷物の増加と識字率の向上」が挙げられていた点だ。本を読むという営みを得ることによって他者への共感性が拡大したことが暴力減少に寄与したというのだ。

もう一つ、日本の哲学者である佐々木中という人が書いた「切り取れ、あの祈る手を」という本では「革命は常に書物を読むことから始まる」ということが延々と語られている。(日本では革命というと暴力革命を想起する人が多いけれど、ここでいう革命とは暴力を必ずしも付随させるものではないです。これ大事)

僕は人間が創る芸術が昔っからすごく好きで、本や音楽、映画や絵画などによって生かされてきたという気持ちがとっても強い。そこには希望があるからだ。芸術というのは虚構で、虚構と現実は違うものだけど、しんどい現実の中でも心折れずに、自分の理想をかたちにして表現し続ける人がいるというのは、希望に他ならない。一人で見るのはただの夢でも、それをかたちにしようとすれば、共感する人が現れていつしかそれが現実になったりする。キング牧師の有名なスピーチだって、優れた文学作品だと思うし。

ピンカーや佐々木中が書いたことというのは、つまりそういうことなんじゃないか。

今、日本を含む世界を見渡してみると、まだまだ戦争は無くならないし、マイノリティへの迫害は無くならないし、いじめだって無くならないし、子どもへの虐待だって無くならない。同じ人類種でこんなにも多くの問題を抱えているのに、他の種族への暴力がなくなるのは一体いつの日になるのかと思う。

それでもやっぱり良くはなっているのだ。とてもゆっくりに思えるかもしれないけど。良くしようとしてきた人たちがたくさんいたから、少しずつ良くはなっているのだ。

だからやっぱり、ちゃぶ台をひっくり返すようなベネターの思想よりも、僕はI have a dreamと言い続けていたいなあと思うし、自分がしてもらったように、自分がいなくなったあとの世界を今よりも少しでも向上させて、次に来るちいさなひとたちに手渡したいなあと思っている。悲惨なことはまだまだたくさんあるけれど、そんなに捨てたもんじゃないぜって言いながらバトンを繋ぎたいし、それを受け取ってくれるちいさなひとたちの誕生を喜びたい。

僕はまだまだ勉強が足りないので、理屈の上ではアンチナタリズムに匹敵することは全然できないし、ある意味これも賭けでしかなくって、もっともっとしっちゃかめっちゃかで悲しいことばかりの世界になってしまう可能性だってあるんだけど、そうさせないために自分が出来ることを精一杯やっていこうと思うし、同じような夢を見られる人と連帯していけばそこそこのことはできるんじゃないの、と楽観的に考えている。

それに、わんこも猫も人間に絶望した人の逃げ場にしちゃいけないと思うし。彼らは言葉を喋れないから、ある意味人間の慰み者にされてしまっているところがあると思っていて、僕はそういうのがすごく嫌いなのです。これはまた別の機会に書こうと思っているけれど。

街頭活動中出会ったお婆ちゃんの言葉をよく思い出す。お婆ちゃんは物心ついたときからずっと犬とともに暮らしてきた方なんだけど、彼女は笑いながら「犬は本当に、何を考えているのかわからない生き物ねえ」と言った。眼差しはすごく優しくて、このひとは本当に犬を愛しているのだなあと思った。簡単に、動物の気持ちが分かるって言っちゃったり、動物に憑依して自分の気持ちを喋っちゃったりする人よりも。

人間と犬という種族にまたがる大きな断絶を認めながら、それでもにこりと笑えるそのお婆ちゃんの姿は、僕の目指す姿の1つでもある。あらゆる命に対して、人間だろうが動物だろうが、そういう風に寄り添っていけたらいいなと思うのです。


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