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美味いコロッケそばの話をしよう。-3.新田毎-

子供の頃、父がよくそばを食べていたことを覚えている。

休日の昼などに、一人でそばを茹でて、それをざるそばにして啜っている姿はよく見たものだ。

当時の僕は、そんなにそばが好きかね、と不思議に思っていた。
無論、そばはべつに嫌いではなかったが、わざわざ自分で茹でて食べるほどのものでもないだろう、という感じだったのだ。

それが、僕もコロッケそばを頻繁に食べるようになったのだから、これが大人になるということなのだろうか。
いや、おじさんになった、ということかもしれない。

今になると、父を含め世のおじさんたちがそばを好む理由がよくわかる。
もちろんそれは美味いからだ。
厳密に言うと、食事を済ませるためにかかる手間や時間、コストに比して体験できる美味さの効率が良いからだ。

そばより美味い料理は世界にいくらでもある。
そばよりお洒落な料理も、女性にウケる料理も、安い料理も、食べやすい料理も、枚挙に暇がないだろう。

だが、単純に空腹を満たしたいとき、そしてあまりお金も時間もかけたくないとき、そばというのはなかなか優れた選択だ。

おじさんになると、牛丼やファーストフードばかり食べるのはなかなかしんどいので、なおさらだ。

秋葉原駅総武線ホームの立ち食いそば「新田毎」

JR秋葉原駅の総武線6番ホームの連絡口にあるのが、立ち食いそば屋の新田毎だ。

職場が近いこともあり、秋葉原には僕もよく行くのだが、新田毎があるこの場所は、総武線を使わないのであまり通ったことがない。

ただ、あそこに立ち食いそば屋があったな、という情報は頭にあったので、秋葉原でPCパーツを買ったある日、帰りに寄ってみることにした。

新田毎があるのは上の写真でもわかる通り、人通りの非常に多い一角だ。
(写真は時間帯のためか、まったく人が写っていないが。)
途切れることなく人が行き交う通路に面しているため、当然店自体も人の出入りが多い。

なかなか駅ナカの立ち食いそばという感じが出ていて、実に良い風情だ。

店前に陳列してあるディスプレイにはコロッケそばは確認できなかったが、お腹が空いていたのでそのまま入店。

店内は入ってすぐ左手に券売機があり、真正面に注文カウンター、そして右手に細長い飲食スペースが伸びているような構造だ。
立ち食いカウンターのほかに、椅子席もある。

通路が狭く、他の客の後ろを通り過ぎるには身体を横にする必要がありそうだ。
僕が入ったときは、サラリーマン風の男性を中心に5、6人ほどの先客がいた。

そんな店内の様子を伺いながら、券売機のメニューをチェックする。

ちょうどタイムサービスをやっているらしく、天ぷらそば290円という看板が出ていた。うーん、安い。
300円を切ってくるとは驚きだ。
だがとりあえず、まずはコロッケそばがあるのか確認しなければならない。

券売機のメニューを順番に見ていくが、どうもコロッケそばはメニューにないらしい。
だが、トッピングとして単品のコロッケがある。
これなら問題ない。

というわけで、かけそばにトッピングのコロッケを追加して、コロッケそばにすることにした。
かけそば290円、コロッケ130円。

なんだかこうして比較するとかけそばに対してコロッケが高いような気がするが、どうなのだろうか。
合わせて420円というのは、コロッケそばの相場では平均より少しだけ高いかなという感じなので、合計金額でいうとそんなにおかしくはない。
まあこれで美味いコロッケそばが食べられるなら、数十円程度は誤差と言えるかもしれない。

購入した食券2枚を注文カウンターに出すと、すぐにそばが出てきた。

提供されたのは、コロッケのほかにワカメとネギが乗ったなかなかボリュームのある一杯だった。

受け取った時点で、新鮮なワカメの香りが立ち上ってくるのがわかる。

おいおい、ネギとワカメがついて、かけそば290円だったのか?
それはかなり安いのではないだろうか。
それとも、トッピングのコロッケにワカメもおまけでついていたのだろうか。

この店の値段設定に多少混乱しながら、丼を受け取って飲食スペースへ移動する。
立ち食いカウンターは思った以上に狭そうだったので、座りにくい椅子に腰かけて食べることにした。

立ち食いそば屋にある椅子席の椅子は座りにくい。あるあるだと思う。

一番端の席に座って、早速そばを啜る。
麺にそこそこ弾力があって美味しい。

飲食スペースの隅に製麺所の箱が積まれていたので自家製というわけではないだろうが、駅ナカ立ち食いそばとしては上々の部類だと思う。
実際、自家製麺を謳っていても、食べてみるとそんなに大したことのない店と言うのはある。
であれば当然、自家製麺でなくとも、美味しい立ち食いそばというのもあるんだよな。

つゆのほうは、あまりしょっぱさは感じないが出汁のまろやかな旨味が強く、甘さもありながらしっかり濃い味で、立ち食いそばには丁度いいタイプだ。

弾力のあるそば麺と、濃い味のつゆ、これを合わせてズバッと啜る、これが立ち食いそばの美味さというものだ。

そこに添えられたシャキシャキのネギは言わずもがな、香り高い新鮮なワカメも、抜群の相性を発揮してそばの美味さを引き立ててくれる。
ここまでで普通に満足感を覚えてしまったのだが、まだ本番はこれからだ。

トッピングで追加したコロッケに箸をつける。
第一印象は、とてつもなく硬い!
箸で割るというか、むしろ折るに近い感じでコロッケを切断する。

なかなか注文する人がいないから揚げてから時間が経っていたのだろうか。
ともかくコロッケの状態としてはあまりよろしくない。
つゆに浸せば徐々にふやけて柔らかくなっていくのが、救いと言えば救いだ。

そしてコロッケの味もかなり甘い。
ここまで甘みの強いコロッケというのも珍しいんじゃないだろうか。
つゆに浸して食べても、まだコロッケの甘さが勝つくらいだ。

個人的に甘いコロッケと言うのはあまり好きではない。
つゆのしょっぱさとケンカして、味がぼやけてしまうからだ。

さらに言えば、コロッケそばにワカメが入っているのも、好みではない。
ワカメの磯の香りと、コロッケの揚げ物の風味が合わないと感じてしまうのだ。

ワカメが入っている上にコロッケがかなり甘いこのそばは、今までの僕の評価基準でいくと、大分印象が悪い。

ところが、好みでないはずの組み合わせも、なんだか気にならずに箸がすすんでしまうのだ。
コロッケの甘さは感じるのに、それが変に目立たず、ワカメの香りも邪魔に思わない。

硬いコロッケをつゆに浸しながら、小さく首を傾げてしまった。
なにも今まで、食わず嫌いをしていたわけじゃない。
ワカメが入ったコロッケそばというのも珍しくはないから、何杯も食べてきた。

その度に、やっぱりワカメとコロッケは何か合わんなと思ってきたのに、今回は普通に美味しいのだ。

恐らく、出汁の旨味と甘みの強いつゆが、コロッケの甘さを上手いこと馴染ませているのではないだろうか。
その上で、コロッケの甘さが、コロッケの揚げ物の風味を隠してしまっていることで、ワカメの風味との衝突を和らげているのかもしれない。

今まで僕がコロッケそばに感じていた美味さというのは、つゆに浸したコロッケのジューシーさや、揚げ衣の風味といったものだった。
だが新田毎のコロッケそばは、何か僕が今まで感じていたのとは違う美味さを与えてくれた気がする。

コロッケが甘くても、ワカメが入っていても、美味いコロッケそばはある。
それは新鮮な発見だったし、コロッケそばというものの奥深さに、敬意を新たにした瞬間でもあったのだ。

つゆを吸ってふやけたコロッケの、最後の一片を口に放り込んで、それからつゆを一口飲む。
食道を温かいつゆが下っていくのがわかる。

心地よい満足感に浸りながら、そそくさと席を立って食器を返却すると、僕は店を出た。

いつかタイムセールの対象に、コロッケそばが選ばれる日がくるといい。

そう思ったが、コロッケそばがそんなに持て囃されるのは、それはそれで何か違う気がして、やっぱり別にいいや、と考え直す。

とりえあず、コロッケそばがレギュラーメニューに入ることを願っておこう。

コロッケそばに期待するのは、それくらいが丁度いいのだ。

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