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小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(09)


 アリィ・パリィの愛称で知られるアレクサンドラ・パレスは、ロンドンの北東部にあるビクトリア朝様式の宮殿だ。『市民の宮殿(The People’s Palace)』として1837年に開業したその施設は、2度の火災の憂き目に会いながらもその都度再建され、現在もロンドン市民の憩いの場として利用されている。
 アレクサンドラ・パレスまでは、地下鉄ピカデリーラインのウッド・グリーン駅で降り、そこからアレクサンドラ・パレスまでのバスが6分置きに出ている。
 駅から徒歩でだと20分ぐらいだろうか、MPS(ニュー・スコットランドヤード)のデスクワークで鈍った身体には一寸した運動にはなるだろうと、アレイスターは歩く事にした。
 ステーション・ロードから鉄道のアレクサンドラ・パレス駅の跨線橋を渡って、サウス・テラスに入れば(坂道は多少きついが)、右手に拡がる広大な芝生の公園や奥に見え隠れする美しいローズ・ガーデンに心が癒やされる。

 アレクサンドラ・パレスには、世界中から選りすぐりのドローンレーサーと、その熱狂的なファン達が集まっていた。
 本日、この歴史的な建造物の宮殿で世界最速のドローンレーサーを決める大会『ドローンレーシング・ワールドチャンピオンズ・リーグ:DWL(Drone racing World champions League)』が開催されるのだ。

 出場する選手・チームは、大会規定のレギュレーションに適合したオリジナルの機体を使用し、出場選手達はドローン先端に取付たカメラからリアルタイムで送られて来る映像を、選手が顔に装着したヘッドマウントディスプレイで受信し、恰も鳥になったような視点でドローンをコントロールするという、ドローンの専門用語ではFPV(First Person View)と呼ばれる操作方法で、宮殿内に設定された関門や障害物を避けながら最速のドローンを競い合う。
 先日、テムズ川のエンバンクメント埠頭付近の河畔で死体が発見されたリチャード・ガストンが、DWLの昨年の優勝チーム『ガルダ(GARDA)』のエースパイロットだった。
 それがアレイスターが今日この会場に足を運んだ理由だった。

 アレイスターは、昨年優勝したリチャードについて、大会関係者やチームメイト達に事情徴収をして廻った。
 古めかしい宮殿内の広間にはビートの利いた音楽が響き渡たっていた。
 ビクトリア朝様式の宮殿の壁には、大会組織委員会の巨大なフラッグと冠スポンサーのアレイオーン・ファイナンシャル・グループのロゴマーク付いたプラカードが飾られ、コースにはオレンジ・ブルー・レッド・ピンクなどビビッドな蛍光色のLEDで電飾されたスクエアゲートやトンネルなどの関門が立体的に配置されていた。
 壁にはめ込まれた荘厳で巨大なステンドグラスは圧倒的な存在感を示し、柱や天井を動的に照らすサーチライトやLEDの光と相まって、まるで拡張現実空間(AR)のような独特の雰囲気を醸し出していた。
 事情徴収を終えたアレイスターが観戦席に座る頃には大会参加者による本戦のタイムアタックが始まっていた。
 飛行するドローンの最高時速が150kmを越える近未来的エクストリームスポーツは常に白熱したゲーム展開で、今回も多くの波瀾が生まれた。
 昨年の優勝チームのガルダは、エースパイロット不在のダメージが大きくてタイムアタックで出遅れて予選敗退となった。
 ドローンレース界では、スーパースターのショーン・テイラーやキム・ミンチャン、地元英国出身のルーク・バニスター等が有名だが、今年のこの大会では無名ながらその圧倒的パフォーマンスで観客の視線を釘付けにするニューフェイスが登場した。
 会場アナウンスDJが番号と名前をコールした。
「エントリーナンバー39、アンヌ・シュミット!」
「――えっ!」
 アレイスターはパイロットを見て驚いた。其所には、マスカットグリーンで塗装されたスリムなフォルムのファットシャーク(FAT SHARK)製ゴーグルを装着し、両手で武骨なフリースカイ(FrSky)のタラニスというプロポ(操縦器)を構えた、見覚えのあるブロンドのロングヘアが美しい(アカリ・アリシマが変装した姿の)少女が座っていた。
 高低差を巧みに設けた複雑なコースで苦戦する選手達を余所目に、そのブロンドヘアの少女は、巧みなジョイスティック裁きと、無駄の無い的確なコース取りで、常連パイロット達を上回る高タイムを叩き出して決勝トーナメントに進んだ。
 彼女を含めて9人の選手が決勝トーナメントに進んだ。
 決勝トーナメントは、タイムアタックの成績により三つのグループに分けられ、此処からは3人のパイロットによるレース方式となる。
 タイムアタックで5位の成績の彼女は、2位と8位の選手と共にグループBに入った。2位の選手はDWL連続出場のアメリカ合衆国出身のベテランパイロットで前回大会の準優勝選手だ。8位の選手はブラジル出身の選手でタイニーウープという軽量級マイクロドローンレースからの転向でこちらでも最近結果を残している。
 決勝トーナメント初戦(準決勝)は、それぞれのグループごとに1ヒートのレースとなり、1着でゴールした選手のみが決勝に進む事が出来る完全ノックダウン方式だ。
 本戦タイムアタックでは、アメリカ合衆国出身のベテランパイロットはアンヌよりも2秒ほど上回り、ブラジルの選手もアンヌに遅れること0.17秒という僅差の成績だった。

 スターターによって各選手にスタンバイが告げられ、カウントダウンと共にスタートデッキに待機した3機のクアッドコプターのローターが甲高い風切り音を上げてい回転し始めた。
 スタートの合図が鳴ると、3機同時に一斉に前に飛び出た。アンヌの機体を押さえ込むスタートダッシュでトップに躍り出たのはアメリカの選手だった。
 アンヌもトップに遅れること無く最初の五角形のゲートをくぐり抜けた。そして的確なラダーとエルロンの操作による高速左旋回でイン側から前にでた。
 右左に大きく旋回しながら二つのゲートを通過すると、天井からぶら下げたゲート直前でブラジルの選手が追いついてきた。
 彼は巧みなジョイスティック裁きのスプリットSで一気に機体をターンさせ、素早い加速でトップに立った。
 その後3機は縦に横に縺れるようにホール入り口に設置されたゲートから、まるで温室のようなガラス天井のパームコートの特設コースへと飛び出していった。椰子の木が生い茂りピラミッドのような白いオブジェが木々の間に設置されているパームコートを3機のドローンが飛び交う様は、まるで映画『スターウォーズ』で森を飛び回るXウイングファイターとTIEファイターのドッグファイトのようだ。
 そこから3機は、抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げ、ゲートを潜り抜ける度に順位が入れ替わった。
 レース終盤、最終コーナーを回った所でアンヌの機体が先頭に躍り出た。だがアメリカの選手が直ぐ後ろに食らいついている。
 最後のゲートを潜れば直ぐ其所がゴール。
 アンヌは一気に加速した。
 2番手との差が開き始めた。
 観客は彼女の勝利を確信した。
 その時だった。
 突然彼女の機体が減速した。どうやらモータの回転速度を調整するESC(エレクトリック・スピード・コントローラー)の一つが壊れたようだ。出力低下が発生してパワーが上がらない。
 ベテランパイロットは其れを見逃さなかった。土壇場でアンヌの機体を抜き去り1位でゴールを通過した。
 結局、最後尾のブラジルの選手にもゴール前で抜かれた。

 アンヌはこの結果グループ最下位となった。 
 大会規則により、本来は7位決定戦に進むことになるのだが、機体やコントローラーの不備により発生したトラブルでフライト不可能と判断され棄権となり、彼女の成績は決勝トーナメント最下位で終わった。

 それでも名も無き新人女性パイロットの素晴らしいファイトに観客達は惜しみない拍手を送った。

 試合後、アレイスターは彼女に声をかけた。
「やあ、おどろいたよ。将来の女優の卵がドローンレーサーとは……」
「あ、いらっしゃってたんですか? 先日はどうも」
「惜しかったね。決勝まであと少しだったのに」
「――最後に機体トラブルなんて……私の実力がまだまだだという事です」
 広間でおこなわれている決勝戦の第1ヒートの戦いを見てちょっと悔しいそうな顔をしながら彼女。
「アンヌ、今日この後の予定は?」
 アレイスターが聞いた。
「この後は……帰ってこの機体の点検をしますが、それ以外の予定は無いです」
「了解。じゃあ今晩夕食でもどうだい。よろしければお母さんも誘って……」
「わかりました。とりあえず母に連絡してみます。返事はそれからでもいいですか?」
「ああ、勿論だよ。これ、電話番号だから」
 そう言ってアレイスターは携帯番号のメモを渡した。

 アレクサンドラ・パレスからウッド・グリーン駅に向かう帰りのバスの中でアレイスターの携帯が鳴った。
「――もしもし」
 アンヌだった。
「ごめんなさい。今晩は母が都合が悪いみたいなので、また日をあらためてでいいですか?」
「ああ、いいよ。じゃあ、また今度誘うよ」
「ありがとうございます。じゃあ、また今度……お願いします」
 断りの電話だったが、アレイスターはそんなに悪い気分にはならなかった。



 その頃、ブリューワー・ストリートのクラブハウス『ネオ・フォービドゥン・プラネット』では、ホール全体をを見下ろせる2階ボックス席のソファーに一人の女性が座っていた。
 店はまだ開店前の準備中で、ホールスタッフ達が清掃や、照明・音響機材の点検中だった。カウンターの奥では、バーテンダー達が慌ただしく、今夜のお酒やフードメニューの仕込をしていた。
「突然、呼び出して済まんなぁ」
 店の奥から黒服の大男が現れた。フロア・マネージャーのロバート・サムだった。
「やはり、あなただったのね ボブ!」
 ボックス席に座っていた女性が言った。
「久しぶりだな」
 大男が言った。
「私が知っているアメリカ人であなたが一番いやな奴よ」
 ボックス席に座っている女性がそう言った。
 其所に座っていたのは、ブラックサインコーポレーション(BSC)のCEOレナ・シュミットだった。
「相変わらずだな」
 ボブはにやりと笑ってソファーに座った。
「まあどちらにしても、憶えていてくれたとはありがたいねえ。最も、お前は覚えのいい生徒だったからな」
 ボブはレナの米軍時代の上官だった。彼は射撃やCQCなど戦闘に関するあらゆる教練を担当していた。彼の指導のおかげでレナは特殊工作員として紛争地域で活躍出来たし、今の彼女があると言っても過言ではない。
「――ところで、色々と嗅ぎ回っているようだな……警察みたいに。アリシマのお嬢ちゃんにスパイごっこまでさせて……だがな、そこら辺で止めといた方がいいぜ。あんたの所の雇い主のアリシマノーラン製薬も屋台骨が無くなって風前の灯火なんだろ? どういう契約かは知らんが契約更新だって難しいだろうに」
「余計なお世話よ。あんた何でこんな所で用心棒みたいなことやってるわけ? 落魄れたわね……それとも、BSCにセキュリティーの依頼でも? そうなるとあんたは此処では用無しになるわね」
「言ってくれるねぇ」
 ボブがにやりと笑った。
「今日あんたを呼んだのは他でも無い。スパイごっこさせているお嬢ちゃんをもらい受けたいとうちのボスが仰っているのでね」
「――どういうこと?」
「今直ぐによこせとは言ってない。来年のとある時期が来たら引き取らせてもらう。其れがボスのラディソンの絶対命令なんでね……然もなくば組織をあげてあんたの会社諸共ぶっ潰させてもらう」
 レナは釈然としなかった。マフィアのボスが気まぐれで言う話しでは無い。
「言っている意味が解らないわ。説明してもらえる……ん?」
 その時だった。
 店の奥からステージ衣装を着たジューシー・パインがこちらにやってきた。
「――アカリ!? どういう事? 姉妹? いやそんなの……」
 レナはアカリそっくりな彼女を見て驚いた。
「――聞いてないか……ハッハッハ……あんたはアリシマの何を知っているんだ? 彼がこれまでやってきた事を……なあレナ、あんたは何一つ知らないだろ」
 驚いているレナの顔を見て笑いながらボブが言った。
 ジューシーはボブの隣に座った。顔の傷は無いが、見れば見るほどアカリに瓜二つだった。
「あなたがレナさんですか?」
 ジューシーが口を開いた。
「私のオリジンのアカリは元気ですか?」
「オリジン?」

 その時、レナの懐の携帯が震えた。マナーモードの着信だった。
「ちょっと失礼」
 レナは相手を確認すると電話に出た。
「――もしもし、私」
 アカリからだった。
「無事接触に成功したわ」
 アレクサンドラ・パレスでの今日の任務の状況を告げる電話だった。
「わかったわ。……申し訳ないけど、プランBに変更よ!」
 レナは目の前のジューシーを見つめながら言った。
 ジューシーの瞳がサファイアのように青く輝いていた。


――――物語は10に続く――――


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