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褒められるつもりが「仕事しろ」と怒られてめちゃめちゃショックを受けていた、あの日のわたしへ @saayoo345

カレンダーに真っ赤な文字で〆切! という文字が並ぶ1週間を、無事乗り越えました。深夜1時の柴田です。

なんつーか不思議なもんで、取材だらけの週があるかと思えば、それに比例して〆切だらけの週がある。良いバランスだといえばそうなのかも、と思いつつ、また明日からの取材に向けた準備を終えて、ちょっとほっとしながら書いています。

まだ書くんかい と今、自分に突っ込みたくなりましたが、まいっか。

わたしの仕事はライターで、取材というと企業のオウンドメディアに載せる記事を書くことが多く、それは採用目的のものだったり、サービスへと誘導する目的のものだったりします。

わたしはこの仕事を「相手の人生を聞く仕事」だと思っていて、なんだけど取材をするたびに、どこか自分とリンクする部分を勝手に思い返してしまう。自分がどんな風に生きてきたか、うーん違うな、どんな風に育ててきてもらったかを、よく思い返してしまうのです。

それは本当に「感謝」という真っ白な気持ちだけが今は残っていて、でももう直接は伝えられないかもしれないから、どんな風に育ててもらったかを、ここに書いておこうと思う。


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その日のわたしは、2000枚近くあるギリギリ葉書の値段で送れるサイズのDMに埋もれて、宛名シールを貼り続けていました。

それは、3週間後に迫った自社ブランドの展示会をお知らせするDM。本来であれば、デザイナーやプレスも一緒になって一気に貼るのだけど、サンプルの上がりがスケジュールよりも押してしまったこともあり、DMを発送する日が、カタログ撮影の日と重なってしまった。

社長を含めて、10人もいない規模の会社。営業のわたし以外のデザイナー・プレス・ディレクター陣は総出で撮影へ行ってしまっていたため、たった1人で全てのDMの宛名貼りを黙々としていたのでした。

「まじか!」とは思ったものの、撮影なら仕方がない。なんせ、カメラマンも上司がやるくらい、本当に小さなブランドだったから。「まあ、誰もいないししょうがないよね」と作業に向かい始めたわたしは、なんというか、このDMの宛名貼りに自信があった。

どんな風にDMとシールを配置して、どういう順番で手を動かせば早く綺麗に貼れるかを考えるのが楽しくて、何より早く貼り終えれば褒めてもらえるから嬉しかった。販売員から本社に上がって、デザインも何もできないわたしがこの場で価値を生めるとしたら、与えられた仕事を相手の想定よりちょっと超えて返し続けることしかない。

その日、16時にみんなが帰ってくるまでに終わらせてびっくりさせたかった。「さよに任せておけば大丈夫だね〜」なんて言われるかなと。

残り50枚。あとちょっとというところで、タイムアップ。いやでも、一人でこの量やったら結構役に立ったんじゃないか? どこかで褒めてもらえると思っていたわたしに、スタジオから帰ってきた上司が言ったのは、こんな言葉だった。


「さよ、はやく仕事してね」


「は!? 何? 」

『カッチーーーーーーーーーーン』と頭にきたことを、ものすごく覚えています。

頭にきた、だと少しニュアンスが違うな。ショックだった。

「え? 機嫌悪い?なに? 撮影あんまよくなかった? いや、他のみんなは満足そうだし、なんでわたし今怒られた?… ムカつく!」

他のみんなは「一人でやってくれたの!? ありがとう〜!」と褒めてくれる。なのになぜ。この日からしばらくふてくされた、多分26~7歳くらいだったと思う。


今となればこの意味が本当によくわかって、それこそ先日の取材中にポロリと話してしまったゆえに、話しながらもハッとしたのでした。

当時のわたしの仕事は営業で、営業の仕事はひとつでも多く自社の洋服を仕入れてくれるセレクトショップを増やすこと。ましてや、展示会前のめちゃめちゃ大事な時期だった。

あの手この手を考えて、どうやったらバイヤーが来てくれるかに頭を使わなきゃいけない時期。電話営業が死ぬほど嫌いだったことは、ばれていたと思う。


あの言葉の本当の意味は、自分の本当の仕事から逃げて、なんだか頑張ってそうに見えるそれっぽいことで「やった風になるなよ」、ということ。

「喜んでくれる人」がいるのは結構。でもそれは、自分の仕事を後回しにする理由にはならないでしょう、と伝えてくれたのだと思う。

そりゃそうだ。撮影日と発送日がかぶっていようが、どうせ渋谷の本局に持っていくのだから、夜遅くたって当日出荷の受付をしてくれる。

それなら撮影している日中はとにかく営業の電話をして、先方の担当者がいなくなる夕方〜撮影終わりのみんなにも手伝ってもらって、DMの発送作業をすればよかったのだ。動ける人数が少ないのであれば、何か郵送サービスみたいなもので代用できないかとか、調べればいい話だよね…。


この言葉にはもうひとつ意味があって、いつのタイミングだったかは忘れたけど、説明してもらったことがある。

それは、「作業」と「仕事」を間違えないでね、ということ。

作業は、目の前にあるタスクを考えなくひたすらこなすこと。

仕事は、目標達成に向かってどうしたらいいかを考えて進めること。


最初は、いっぱいいっぱい考えながら「仕事」をつくっていくものだけど、いつしか慣れてルーティーンになるし、頭を使わずにこなせるようになればそれはもう「作業」。

頭の容量があいたのだから、もっと次は何をすべきか考えられるよね、という意味だった。

「仕事をしろ」という一言は、「頭を使う時間を増やせ」という意味だったんだよね。

「人が少ない分さよ1人の時間は貴重なの! お金を払って短縮できるものは迷わず選びなさいと、都内の移動にはタクシーを使わせてもらっていた。(タクシーならメールだって返せるし、疲れたら少しでも眠れるでしょう、と)

「受け手になるな、俺はさよにディレクションできる人になって欲しいんだ」と、どうやって人に動いてもらうか、「先手先手で動け!」と口酸っぱく言われていた。どうしても受身体質が抜けなくて、こればっかりは本当にできなかった。



今考えてもすんごい働く人で、すんごい人のことばっかり考える人だった。

でも、隣で働けることがすんごい楽しくて、仕事が終わるのが深夜過ぎようが、そこから飲みにいって朝方になろうが、また明日と言いながら数時間後には具合悪そうな顔してまた始まる、みたいな毎日が、面白くて仕方がなかった。

そのわりには、休みの日には絶対に連絡してこない人だったんだよなぁ。自分は休みなく働くくせになぁ。「ちゃんと休みなさい!」なんつって。

たくさんの人との出会いがあって、彼のもとを離れてからのわたしの世界は大きく広がったような気がしていて、でも、新しい何かに出会うたびに、土台がなにでできていたかをすごく考えるようになった。

こうやって育ててもらった時間と言葉のおかげで、今目の前の世界はできているのだと、ようやく気づけるようになった。


いい人だと思っていたけど、すごい人だったんだな。

そんな思いにふけった、深夜2時。


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柴 田 佐 世 子
Twitter :: https://twitter.com/saayoo345

過去記事 :: 1年経って、ようやくここまできた気がする


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