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「送料無料」のウラにあるもの

秋は空を撮りたくなります。
芝生に寝転びながらこんな高い空を眺めるだけで気持ちが澄んでいきます。


今回のテーマは「送料」です。
いきなりなんで送料?と感じるかもしれませんが、前々から気になっていたテーマなんです。
ネットショッピングすると大抵「〇〇〇〇円以上で送料無料」となります。
そこに何かモヤモヤしていたんですよね。
そんな中、物流ドライバーの方に話を聴くことができました。
この方は大量の荷物を大型トラックで物流拠点まで届ける仕事をされているとのことでした。


めぐりや「休みはどれくらいあるんですか?」

ドライバーさん「週一日くらいかなぁ」

め「一日の勤務時間はどれくらいですか?」

ド「15時間くらい」

め「!?いやいやいや、一日残り9時間しかないじゃないですか…。どう考えても.違法労働ですよ。」

ド「勤務時間なんかいくらでもごまかせちゃうからねぇ。」

め「…それじゃ倒れても仕方ない働き方ですよね…。」

この方は脳梗塞になってしまい、同時に血管の詰まりが発覚してバイパス術を受けられています。

め「勤務時間を短くすることはできないんですか?」

ド「トラックの稼働を考えると難しいんだよね。いま物流量が増えてるから人手も足りないし。」

自粛の影響で物流量はとてつもなく増えているそうです。

ド「賃金はソコソコだけど拘束時間が長いし若い人が入ってこないんだよね。それでだんだん負担が大きくなってこんな形で体壊して、またそのしわ寄せが残ってる人に行くんだよ。」


まさに負のスパイラル。
賃金はソコソコとのことですが、労働時間を考えると時間単位の給料は決して高いと言えない額です。
もちろん会社によっても違うと思いますが、大きな差は無いと思います。

今や誰もが気軽にネットショッピングをするようになっていますが、その物流システムはこういった人たちの非人間的な労働によってなんとか成り立っていると言えます。

そしてこの方は言いました。

「俺たち底辺だから」

なんとも言えない気持ちになりました。
彼が自らを蔑む気持ちにさせているものは何なのでしょうか。

様々な要因があるのでしょうが、「送料無料」がその遠因になっていないでしょうか?
無料の背景で店側が送料を被っているわけです。
そして皆が送料無料を求めます。
その流れで物流に対する価値が人々の中で無意識的に下がっているのではないかと思うのです。

「タダ」だから。

今の世はお金と価値がヒモ付けられているため、タダであれば価値が薄いと捉えられがちです。
スマホでポチッとしたら翌日には届くのが当たり前。
そのシステムを支えている無数の人々への意識がますます希薄になっているように思います。
送料無料が主流になる前から物流を支えている人にフォーカスが当たることは少なかったかもしれません。
しかし私はそういった、社会を形作っている人たちへの意識がどんどん遠のいているような気がしてなりません。

送料を払うことにこだわらなくてもいいかもしれませんが、送料がかかるからと別のショップを探すのは終わりにしてもいいと思います。

そう言う私もなんだかんだ言いながら、ちょいちょいネットで買い物します。
でも店に置いてあるものは店で買いますし、無くても急がなければできるだけ店で注文します。
実店舗が無くなって困るのは自分なので。
もし送料がかかるならそれで構わない。
物を送ってもらう、ということは価値あることだと思うので。


また、このドライバーの方はセルフケアだけでは良くならないと思いました。
仕事以外の時間が9時間しかないわけです。
そんな方が自分で自分の身体をケアする余裕があるワケがない。
社会として変わる必要があると思います。
単なる一事例ではありません。
こういった方を求める社会になっているわけですから。
会社が、政治が、役所が…と言わずに自分が選んでいきましょう。
一人の集まりが社会を作っています。


たかが送料、かもしれませんがそこに関わる無数の「人」に意識を向けてみませんか?

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