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論語と算盤①処世と信条 1.論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの

今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人達の書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているがこの論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合いで、大変に懸隔(けんかく、かけはなれていること)したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によってできている。論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると終始論じておるのである。ある時、私の友人が、私が七十になった時に、一つの画帖を造ってくれた。その画帖の中に論語の本と算盤と、一方には「シルクハット」と朱鞘の大小の絵が描いてあった。

一日、学者の三島毅先生が私の宅へござって、その絵を見られて、「甚だ面白い。私は論語読みの方だ。お前は算盤を攻究している人で、その算盤を持つ人が、かくのごとき本を充分に論ずる以上は、自分もまた論語読みだが算盤を大いに講究せねばならぬから、お前とともに論語と算盤をなるべく密着するように努めよう」と言われて、論語と算盤のことについて一つの文章を書いて、道理と事実と利益と必ず一致するものであるということを、種々なる例証を添えて一大文章を書いてくれられた。私が常にこの物の進みは、ぜひとも大なる欲望をもって利殖を図ることに充分ではないものは、決して進むものではない。ただ空理に走り虚栄に赴く国民は、決して真理の発達をなすものではない。ゆえに自分等はなるべく政治界、軍事界などがただ跋扈 (ばっこ、のさばること)せずに、実業界がなるべく力を張るように希望する。これはすなわちといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要のつとめと自分は考えているのである。

本節では、道徳を語っている「論語」と世に不道徳と思われる金儲けをもたらす「算盤」というのは相反する主張であるため、相入れないと言われていますがそうではないと説いてます。お金は天下のまわりものであって、輪廻転生、横文字でいうとサステナブルな真の富というものは人と人との円滑な関係はもちろん生態系における共生のように全体のバランスを考える道徳がなければ成り立たないと言えます。一方、高尚な道徳だけを貫いて今日食う飯にもありつけないとか、仁義というプライドを頑なに主張して家族にひもじい思いをさせる状態では、道徳的な平穏な生活を送ることはできないでしょう。渋沢先生はそういう意味で「論語」と「算盤」は一緒だよとおっしゃってるわけです。

私ごとですが、最近岡崎市に会社を移転したこともあってか、地元の市役所や社団法人の方をご紹介いただいて話することが多くあります。詳細は控えますが、みなさんこのコロナ禍のご時世で、公務を担うご職業ということもあり、地道なご苦労や後ろ向きな対応をせざるを得ず、当たり前かもしれませんが未来を向いた楽しいお仕事は後回しにされていることが多いようです。

最近の僕の身近の知り合いは幸いなことに現場で汗をかく経営者や役人や先生方ばかりなので、渋沢先生のおっしゃる「跋扈(ばっこ)」する既得権者や「空理に走り虚栄に赴く国民」という方々と直接お仕事したり話したりする機会は幾分減って助かっているのですが、現場で公務を行い少々心に余裕を失った方々とお会いしてねぎらいの言葉をかけつつ、コロナ後の未来や将来を語って、忙しさの中でもいまから楽しいことを考えて心の準備をしていきましょう、という係は、仁義道徳を備え正しい道理の富を求める実業界にいる我々なのだなと思います。

論語と算盤図(小山正太郎)東京都北区にある渋沢史料館蔵の小山正太郎画



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