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論語と算盤②立志と学問: 1.精神老衰の予防法

かつて交換教授として米国より来朝せられたメービー博士(ハミルトン・ライト・メービー、アメリカのエッセイスト)が、任満ちて帰国せらるるに際し、赤誠(せきせい、飾らない真心)を傾けて私に語られた種々なる談話のうちに、下のごとき標語がある。すなわちメービー氏の言うには、「私は初めて貴国に来たのであるから、すべてのものが珍しく感じた。いかにも新進の国と見受け得る所は、上級の人も下層の人も、すべて勉強しているということは、著しく眼につく、惰けている者が甚だ少ない。しかしてその勉強が、さも希望を持ちつつ愉快に勉強するように見受けられる。希望を持つというは、どこまでも到達せしむるという敢為(かんい、敢行)の気象がことごとく備わっておる。ほとんどすべての人が喜びをもって、彼岸に達するという念慮を持っていられるように見受けるのは、さらに進むべき資質を持った国民と申し上げてよかろうと思う。それらは善い方を賞賛し上げるけれども、ただ善いことのみを申して、悪い批評を言わねば、あるいは諛言(ゆげん、へつらいの言葉)を呈する嫌いがあるから、ごく腹蔵のない(ふくぞうのない、本心を包み隠さない)所を無遠慮に申すとて、私の接触したのが官辺とか会社とか、または学校などであったから、余計にそういうことが眼についたのかもしれぬけれども、とかく形式を重んずるという弊があって、事実よりは形式に重きを置くということが強く見える。アメリカは最も形式を構わぬ流儀であるから、その眼から特に際立って見えるのかもしれぬけれども、少しく形式に拘泥(こうでい、固執)する弊害が強くなっておりはせぬか。一体の国民性がそれであるとすれば、これはよほど御注意せねばならぬことと思う。またどこの国でも、同じ説が一般に伝わるという訳にはいかぬ。一人が右といえば一人は左という。進歩党があれば保守党がある。政党でも時として相反目する者が生ずるけれども、それがヨーロッパあるいはアメリカであれば、よほど淡白で且つ高尚だ。しかるに日本のは、淡白でもなければ高尚でもない。悪く申すと甚だ下品で且つ執拗である。何でもない事柄までもごく口穢く(くちぎたなく)言い募るように見える。これは自分の見た時節の悪かったために、政治界において、ことにそういう現象が見えたのでありましょう」──しかして彼はこれを解釈して、日本は封建制度(土地を仲立ちとして結ばれた主従関係にもとづく社会の仕組み)が長く継続して、小さい藩々まで相反目して、右が強くなれば左から打ち倒そうとする。左が盛んになれば右が攻撃する。これがついに習慣性となったであろうと、彼はそうまでは言いませぬけれども、元亀天正(げんき、てんしょう、元号。1570~1573、1573~1593年)以来の有様が遂に三百諸侯(さんびゃくしょこう、全ての大名)となったのだから、相凌ぎ相悪むという弊がとかくに残っておって、温和の性質が乏しいのではないが、これが段々長じて行くと、勢い党派の軋轢が激しくなりはしないかという意味であった。──私もこの封建制度の余弊ということは、あるいはしからんと思う。すでに近い例が、水戸などが大人物の出た藩でありながら、かえってそのために軋轢を生じて衰微した。もし藤田東湖(ふじたとうこ、水戸藩士)、戸田銀次郎(とだぎんじろう、水戸藩家老)のごとき、あるいは会沢恒蔵(あいざわつねぞう、水戸藩士)のごとき、またその藩主に烈公のごとき偉人が無かったならば、かばかり争いもなく衰微もせなんだであろう。と論ぜねばならぬから、私はメービー氏の説に大いに耳を傾けたのである。
それからまた、わが国民性の感情の強いということについても、あまり讃辞を呈さなかった。日本人は細事にもたちまちに激する。しかしてまた、ただちに忘れる。つまり感情が急激であって、反対にまた健忘性である。これは一等国だ大国民だと自慢なさる人柄としては、すこぶる不適当である。もう少し堪忍の心を持つように修養せねばいけますまい、という意味であった。
さらに畏れ多いことであるけれども、国体論にまで立ち入って、彼はその忠言を進めて、「実に日本は聞きしに勝ったる忠君の心の深きことは、アメリカ人などにはとても夢想もできない。実に羨ましいことと敬服する。かかる国は決して他にみることはできぬであろう。かねてそう思ってはいたが、実地を目撃して真に感佩(かんぱい、感銘)に堪えぬ。去りながら私として無遠慮に言わしむるならば、この有様を永久に持続するには、将来君権をしてなるべく民政に接触せしめぬようにするのが肝要(かんよう、肝心)ではあるまいか」と言われた。これらはわれわれがその当否を言うべきことではない。しかしこの抽象的の評言は、一概に斥(しりぞ)くべきものではなかろうと思うので、「如何にも親切のお言葉は私だけに承った」、とこう答えておいた。この他にもなお談話の廉々(かどかど、節々)はあったが、最終にその滞在中の優遇を謝して、「この半年の間、真率に自分の思うことを述べて、各学校で学生もしくはその他の人々に、親切にせられたことを深く喜ぶ」と言っておられた。
アメリカの学者の一人が、日本をかく観察したからと言って、それが大いにわが国を益するものでもなかろうけれども、前にも申すごとく、公平なる外国人の批評に鑑みてよくこれに注意し、いわゆる大国民たる襟度を進めて行かねばならぬ。そういう批評によりて段々に反省し、終に真正なる大国民となる。それと反対に困った人民だ、かかる不都合があるという批評が重なれば、人が交際せぬ相手にならぬということになるかもしれぬ。されば一人の標語がどうでも宜いといってはおられぬ。あたかも「君子の道は妄語せざるより始まる」と司馬温公(しばおんこう、中国の儒学者)が誡(いまし)められたごとくに、仮初にも無意識に妄語を発するようになったならば、君子として人に尊敬されるようにならぬ。してみると、一回の行為が一生の毀誉(きよ、悪口と称賛)をなすと同じように、一人の感想が一国の名声に関すると考える。メービー氏が左様に感じて帰国したということは、些細なことであるけれども、やはり小事と見ぬ方が宜かろうと思うのである。
これについて考えてみても、お互いに平素飽くまで刻苦励声(こっくれいせい、骨折り声を張り上げ)して、今日までに進んだ国運をして、どうぞ弥増し(いやまし、より一層)に拡張させたいと思うが、それについて一言したいことは、近頃は青年青年といって、青年説が大変に多い。青年が大事だ、青年に注意しなければならぬというは、私も同意するが、私は自分の位置から言うと、青年も大事であるけれども、老年もまた大切であると思う。青年とばかり言って、老人はどうでも宜いと言うは、考え違いではないか。かつて他の会合の時にも言ったが、自分は文明の老人たることを希望する。果たして自分が文明の老人か野蛮の老人か、世評はどうであるか知らぬが、自分では文明の老人のつもりであるが、諸君が見たらあるいは野蛮の老人かもしれぬ。しかしよくよく考察すると、私の青年の時分に比較してみると、青年の事務につく年齢がすこぶる遅いと思う。例えば朝の日の出方がよほど遅くなっている。そうして早く老衰して引き込むと、その活動の時間が大層少なくなってしまう。試みに、一人の学生が三十歳まで学問のために時を費やすならば、少なくも七十ぐらいまでは働かねばならぬ。もし五十や五十五で老衰するとすれば、僅かに二十年か二十五年しか働く時はない。ただし非凡なる人は、百年の仕事を十年の間に為るかもしれぬが、多数の人に望むには、そういう例外をもってする訳にはいかない。況んや(いわんや、なおさら)社会の事物が益々複雑して来る場合においてをや、ただし各種の学芸技術が追々進化して来るから、幸いに博士方の新発明で、年取っても一向に衰弱せぬとか、あるいは若い間にも満足なる智恵を持つというような馬車より自働車、自働車より飛行機で世界を狭くするように、人間の活動を今日よりも大いに強めて、生まれ児がただちに用立つ人となって、そうして死ぬまで活動するという工夫がつけば、これは何よりである。どうぞ田中舘先生(たなかだて、地球物理学者)などにその御発明を願いたいものである。それまでの間は、年寄りがやはり充分に働くことを心掛ける外なかろうと思うのである。しかして文明の老人たるには、身体は縦い衰弱するとしても、精神が衰弱せぬようにしたい。精神を衰弱せぬようにするには、学問による外はない。常に学問を進めて時代に後れぬ人であったならば、私はいつまでも精神に老衰ということはなかろうと思う。このゆえに、私は単に肉塊の存在たるは人として甚だ嫌うので、身体の世にある限りは、どうぞ精神をも存在せしめたいと思うのである。

本節では、アメリカ人のメービー博士による日本のよいところ悪いところの批評を述べたのち、それらを踏まえた上で、当時日本が文明開花するに向け野蛮な老人は過去のものとし青年に期待するという青年説が盛んに叫ばれている中、老人の自分も文明の老人として学問も仕事も進めていきたいと述べていらっしゃる。

メービー博士だけでなく、江戸から明治にかけ、さまざまな外国人が当時の日本の文化や風俗に関する感想を述べている。

イザベラ・バード:19世紀の大英帝国の旅行家で、1878年(明治11年)6月から9月にかけ日本全土をまわり「日本奥地紀行」という本を執筆しました。その中にも「私はこれほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない」と書いています。

エドワード・モース:アメリカの動物学者で、日本の文化を正しくアメリカに伝える努力をした親日家です。来日中に観察した日本を絵と文で記録し、「日本人の住まい」などの著作物を残しており、「鍵を掛けぬ部屋の机の上に私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使は一日に数十回出入りをしても触っていけないものは決して手を触れぬ」などと書いています。

一方、本節でメービー博士は、日本人は「形式を重んじすぎ」「下品で執拗、何でもない事柄までもごく口ぎたなくまくしたてる」「細事にもたちまちに激昂し、ただちに忘れる。つまり感情が急激」といった欠点を述べており、この嫌な国民性はいまだに日本人に染み付いているように思います。

最近特に思うのは、日本人は自ら考えたり自らが疑問に思って学習する対象を模索する習慣がなく、それによって騙されやすく文句ばかりを言って損をしているところが多いように思えます。

もろもろミゼラブルな世の中ですが、いまから約100年前に渋沢先生が文明の老人を目指したように、心ある私たちも文明の日本人を目指したいものです。

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