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暴談直記20200724号『本当の、失われた日本』

●二十代の若造たちが、万能感を滾らせながら江戸幕府を退陣させ、イギリスの圧倒的な資金と技術供与(または文明中毒化)を受けながら新政府を作り上げた。それが明治新政府の実態だ。

●退陣した幕府にはフランスが付いて、大量の武器を売りつけていたわけで、要は薩長叛乱軍と江戸幕府軍の対立に介入してヨーロッパの強国ががっぽりと銀貨を吸い上げたというのが、明治維新の真相ということになる。
●さらには、新政府を応援しながら、欧米各国は日本に西洋基準のインフラ基盤を築かせた。早い話が傀儡政権を作って西洋諸国の共同市場として開発したのだ。とにかく日本には金と銀がうなるほど眠っており、それを掘削するシステムも精錬し、貨幣鋳造するシステムもあったから、手間をかけずにこれを吸い上げることができたのだ。
●西洋による金銀吸い上げという動きは中世以来のもので、ポルトガル、スペイン、オランダなども、珍しい品々で日本から豊富な銀貨を引き出そうとしたのだ。スペインに至っては、日本をキリスト教国とすることで、銀貨を無償献納させるつもりであったに違いない。
●ペリー来航も、当然、金貨・銀貨が目的だったに違いない。当時のアメリカが、とにかく資金を欲していたことはお分かりだろう。南北戦争の頃であり、まだ国土を拡大中でもあった。
●同時代、ヨーロッパはアフリカ・アジアの諸国からも金銀を調達していた。アフリカでは現地の人々を奴隷並みにこき使って金鉱山銀鉱山銅鉱山を掘らせ、中国には阿片を売りつけて大量の銀貨を巻き上げたりした。もちろん、金銀にかわるさまざまな資材(香辛料、綿花、茶、コーヒー、チョコレートなど)を開発はしたが、金銀に勝るものはなかったのだ。日本もこの流れの中で、体良く吸い上げられたにすぎない。
●日本は西洋列強のアジア侵略に抗うために立ち上がった、などと言う人がいるが、一番アジア侵攻に協力し、一番乳を吸わせていたのが日本だった、などと言うことには、まるで無頓着だ。阿片以上に中毒性がある『近代文明』を一番大量に吸わされたのが日本だったのだから。
●江戸時代まで、日本国内には、この複雑な地形と複雑な海流を活かした、多様で高度な技術やシステムが存在した。江戸幕府が統括したのはこうした『国々』であった。つまり上代から帝国的な仕組みで長らく運営されてきたもの(だから日本の王ではなく、日本の皇帝なのだ)を、武士が事実上乗っ取る形で運営してきたのだ。
●しかし、その中の『国』のいくつかがのし上がり(いや、欧米に押し上げられて)このシステムをさらに乗っ取った、それが明治維新だったと言うわけだ。
●ただ、新政府は、日本国内の多様性を恐れた。いくら西洋文明をバックにつけているとはいえ、新政府以外はドメスティックな熟成度が高く、かつ、お寺の檀家ネットワークなども利用して高度な情報管理も行われていた(廃仏毀釈は、要は幕府ネットワークの解体に他ならない)。日本の複雑な地形は山・谷・里ごとに高度に凝縮された技術を持ち、なかには巨大なストックを有している地域もあった(特に山林地域など)。また、日本を取り囲む複雑かつ速度の速い海流は、近隣諸国文化の導入に拍車をかけた。つまり、日本列島には江戸時代まで、地産地消で育てられた強力な在来文明社会と、それに結びついた近隣諸国とのネットワークが存在したのだ。
●明治維新までは、日本から見た中国・朝鮮には『文明先進国』という意識が強かった。『からわたり』という言葉は江戸時代までは高級品や先端性をあらわしていた。
●そうした近隣諸国コンプレクスが近代化と同時に反転し、明治政府は近隣諸国を『文明後進国』扱いし、西洋の物差しだけで文明を評価させることで、日本人に『根拠のない自信』を芽生えさせ、近代化邁進のための『無償の献身』に錦の御旗を与えたのだ。国民は国家近代化のために命を捧げ、国家の誇りを保たなければならなくなったのだ。
●明治政府は、さまざまな『古き良き存在』を奴隷化したり、時代遅れ化して弾圧した。そこには優生思想にも似た民族の優劣判断まであった。最終的に日本人は、思いあがった少年のように、自分が信じるものさしを振りかざして、近所の『非文明』を退治しにゆく。『非文明』とは、実は明治政府がコンプレクスを抱いていた江戸時代以前のアジア&ジャパンシステム『ズ』なのだが、これを『非文明』として一括りにして対抗しようとしたのだ。
●この先は、日本のアジア侵略の話につながる。日本がアジアを『解放して文明化してあげる』などと思いあがった期間だが、それはのちにマッカーサー元帥によって『日本人は12歳程度』という、まことに適切な印象として表現されることとなる。
●金銀資源がなければ、日本列島は東アジアの一小国として、大人しく暮らしていたかもしれない。人口も一千万人に届かずに済んだかもしれない。そのかわり、朝鮮、中国、東南方、北方、ポリネシアの文化が、もっとくっきりとしたモザイクを描いて花開いていたかもしれない。もしかしたら、それがわれわれにとっての『失われた日本』なのかもしれない。

失われたオリンピック大会の最初の日に記す。

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@swNHJdCgTHennmi 放送史研究家、演芸番組ディレクター。1964大阪生。1983年から東京在住。千葉県立君津高校卒。著書『まぼろしの大阪テレビ〜1000日の空中博覧会〜』(東方出版)。JFN見えるラジオ立ち上げ、企画。マルチメディア番組の企画・出演。JK1HCM
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