見出し画像

『まぼろしの大阪テレビ』より『おやすみのまえに』(あとがきにかえて)



おやすみのまえに
~あとがきにかえて~

●ノートのようにご活用ください
 このたびは「大阪テレビ放送」の研究発表におつきあいくださり、まことにありがとうございました。もっと軽く、薄く、読みやすくすることができたのかもしれませんが、今回さまざまな理由からこのような大判の本になりました。
 
 十年前、私が本格的にOTVについて研究を開始したとき、頼りになる資料はほとんど入手不可能な状態でした。
 そこで新聞ラテ欄の集成と、事業を継承した朝日放送の社史、設立に関わりのある毎日放送の社史、そして朝日放送や毎日放送の黎明期を担った方々の手記や文集からデータを抽出して、事実関係の照合をしながらパズルのように組み立ててゆくという「情報の遺跡発掘」をおこないました。
 少なくとも大阪テレビ放送、または関西の民間テレビ放送黎明期について研究される方に、基礎的な情報を差し上げることができるのではないかと思います。
 
 それでは、この本が作られた工程についてご説明いたします。
 本書の構成は、あれこれ考えた末に「時系列」としました。そして、そこから主要なエピソードや解説を枝分かれさせることにしました。
 また、この本全体に余白を比較的多く作り、読者の皆様が自由に書き込んでいただけるようにもしています。

 本書の編纂にあたっては、大和証券やNHK大阪放送局史の編纂に参加された大阪市生まれの放送研究者・山田充郎さんに多大な協力をいただきました。
 まず山田さんには「年表」を作成していただきました。
 この年表は、大阪テレビ放送が残した数少ない公式記録”Album OTV”に掲載された年表をベースに、各社の社史新聞記事、OBによる刊行物などから抽出した「日付のはっきりしたすべての情報」をつけ加えたもので、歴史研究には不可欠な作業の一つです。
 各月の冒頭に掲載されている年表は、これをもとにしたものです。山田さんの年表では、同じ出来事に対して、資料によって異なる日付、地名、人名等がある場合、両論併記で書かれていますが、本書ではさまざまな視点で検討し、最も妥当性の高い情報を掲載しました。また、妥当性が判断できないものは、年表への掲載を避けました。

 つづいて「全番組表」は、本書では期間中の「朝日新聞(大阪版)」のラテ欄をベースに、毎日新聞、産業経済新聞、読売新聞の各大阪版ラテ欄と照合しながら作成しました。
 理想的には放送局が作成する「確定番組表」を集成すれば、CMの商品名やタイミングまで記録することができます。また、実際のオンエア状況を記録するには、考査部の記録が最適です。しかし、これらの資料は民間放送では全くといっていいほど保存・公開されていません。従って、今我々が手にできる編成資料は新聞ラテ欄しかないのです。
 ところで、ラテ欄の番組表は、限られた紙面に情報を詰め込むために、たとえば
・番組タイトルが短縮される
・副題や出演者の名前が短縮、省略される
・5分以下のミニ番組が表から割愛される
 といった問題が起きます。
 本書ではまずこれらの「省略」をできるだけ復元しようと試みました。しかしその一方で、この「省略」が、当時の情報優先順位を反映している可能性もあると考え、本書に再構成した番組表には、支障のない範囲で反映させました。
 また、各月の最後にある「これがOTVだ」には、その月に放送された特別番組や、その月から放送開始した(またはネット開始した)番組について、解説つきで紹介しています。もちろん、詳細不明な番組が少なくないことは言うまでもありません。
 さらに、放送開始日が確認できない番組もありますが、これらについては、各種資料をもとに妥当なものを選び、必要に応じて付記しています。
 本文の最後に、全番組表のリストがありますが、これは「これがOTVだ」を集成したものです。しかし、一部「これがOTVだ」と異なる情報が存在しますが、その場合、全番組表リストのものを優先的にとってくださるようお願いいたします。
 ともあれ、皆様にはぜひ、本書を「ノートのように」お使いいただければと思います。テレビジョン放送の黎明期については、本書以外にもたくさんの資料本がありますから、その中で大阪テレビ放送に結びつく情報があれば、ぜひ、本書に書きだして下さい(図書館の場合そうはゆきませんが…)。
 また、そういった「読者の皆様の発見や指摘」をお伝えいただけるよう、本書のWebsiteを開設しました。ここには、発見情報、訂正・改訂情報、新資料等のリリース情報をお寄せください。
 なお、山田充郎さん制作の年表ならびに、完全番組表については、後日電子版をリリースする予定でがあります。検索機能、ソーティング機能を用いて、より多角的な研究が可能となるでしょう。これらについてはWebsiteでお知らせします。

 このあと、本書刊行までの流れを謝辞にかえてお話し、ついで、OTVについて一緒に研究してくださる方のための資料情報について書き進めます。

●本書刊行までの流れ(謝辞にかえて)
 さて、本書がどういう過程を経て刊行に至ったか、少々長くなりますが、ご説明します。

 最初の動機は、私が十代の頃に購読していた雑誌「ラジオの製作」(誠文堂新光社)の付録「全国テレビ局テストパターン集」と「全国放送局コールサイン一覧」でした。私はその付録で「JOBX-TV」という欠番と、他で見たことがない「大阪テレビ放送」のテストパターンを見つけました。かれこれ40年も前の少年時代の疑問から端を発しています。
 当時はインターネットなどありませんから、その疑問に応えるてくれる資料の有無を知るだけでも大仕事でした。結局、その一年後、千葉県木更津市の中央図書館でNHK発行の「放送後十年史」と出会い、その中に黎明期のテレビ局のリストを発見するまでまったく手がかりがなかったのです。

 その後、図書館で放送関係の資料を探して「JOBX-TV」の謎を追いかけていましたが、その間に日本テレビ(NTV)、東京放送(TBS)などの社史に触れ、ついに朝日放送十年史である「ABC十年」と出会いました。すでに十年が経過していたと思います。
 これにより大阪テレビ放送が、朝日放送テレビの前身であることはよくわかったのですが、具体的なことはまったくわからずにいました。
 それから何の進展もないまま10年が過ぎ、30代も半ばになった頃、小松左京先生のご紹介で澤田隆治さんをご紹介いただき「小松左京マガジン」の中でインタビューを許されました。OTVに関する具体的な取材・研究活動はここから始まったといっても過言ではありません。ここで澤田さんからOTVの成り立ちや、局内の雰囲気、社風などについてお話をいただきましたが「まあ、ほんまはプロパーの人から聞いた方がいいんだろうけど」と頻繁におっしゃっていました。ここで、ABC合併を巡る大きな人事異動があり、さまざまな事情が生じたことを知ったのです。
 インタビューを終えたあと、澤田さんが「OTVのとを知りたいんやったら、急がなダメですよ。もうみんな80歳超えるからネ」と言いました。

 生まれこそ大阪・箕面ですが、かれこれ40年関東在住です。何のコネクションも(そして東西を往来できるだけの取材費も)なく、図書館や古本屋を回る日々が続きました。
 そんななかで思いついたのが、国会図書館に収蔵されている大阪の新聞各紙の「ラジオ・テレビ欄」をひたすら書き写すという地道な方法でした。
 早速、国会図書館に赴き、マイクロフィルムを相手に書き写し作業を始めました。
 まずは、本放送開始前一か月間のサービス放送の番組表を全部書き写してみました。これで、その後の作業計画を立てる参考にしようという考えです。
 実際に集めるうちに、サービス放送の番組表にはOTVの実験精神や、在京局とのセンスの違いが色濃く表れていることを発見し、番組表を集めて解析することの価値を発見しました。
 そこで、サービス放送期間に加え、開局直後の数日間の番組表を集め、細かい解説を挟んだ報告を2008年にアジア放送研究会発行の「アジア放送研究月報」で発表しました。
 その後、2010年~2012年にかけて、松岡正剛氏がたちあげたあ編集工学研究所のインターネット企画「本座」の中で「まぼろしのテレビ局」というタイトルで連載がはじまり、アジア放送研究月報で発表した研究報告をもとに、より詳細に取材したものをリリースしました。
 
 この頃には、小銭を貯めて買い集めた関西各局、全国各地の社史からも取材し、OTVの事例をもとに「黎明期のテレビ放送事情全体も研究する」というスタンスが固まりました。
 また、これとは別に、私個人の研究サイト「大阪テレビ放送研究会」もたちあげ、サービス放送番組表電子化集成などの成果を公開していました。
 これが有難い出会いのきっかけを作ってくれました。
 私の研究サイトを見たOTVのOB・直井孝司さん(技術部中継課)が「大阪テレビにご関心がおありですか?」とメールで問い合わせてくださいました。すぐさまこれまでの経緯などを説明したところ、近々お祝いごとのために東京に行くので会いましょうということになり、東京・芝公園のホテルを尋ねました。
 そこで約2時間、これまでの研究経緯をお話しし、OTV時代のさまざまなエピソードの一部を伺いました。
 この時に頂いたアドバイスがその後重要なものとなりました。まず、OTVの事業継承したABCは実在・現役の企業であるから、ABCにとって損害になるような研究は(OBとしては)してほしくない、ということでした。
 次に、OTVのOBを紹介することはできるが、半数近くはMBSに移ってしまったため、交流があまりない。また、放送の世界を早々に去ってしまった人も多く、どこまで期待に添えるか保証できない、ということ。
 そして、何か「利権を狙っている」のではないかと疑われないように、ということでした。
 これら3つのアドバイスを胸に、まずは、当時朝日放送の会長であった西村嘉郎さんを訪ねて研究の趣旨を説明しました。西村さんからは「私たちの大先輩たちの偉業です。ぜひともがんばって研究してください。期待しています」と言葉を頂きました。
 ここで漸く「怪しい者ではない」というお墨付きを頂いたわけで、その後スムースにOTV在籍の方々を紹介していたけるようになりました。本当にありがたいことでした。

 そうして取材を進めるうちに、成果を出版したらいいだろうという話がでました。ただ、予算も出版経験もないので、電子版で安くあげることを考えていたところ、OBの一人からこんな一言がありました。
 「どうせ将来、みんな棺桶に入るんやから、燃えやすいように紙の本がエエな」
 この瞬間、研究成果は紙の本として出版する、ことと決まりました。

 こうして、月に何度か国会図書館に通うようになり、同時に「大阪テレビが面白いぞ」「誰も知らないまぼろしのテレビ局だぞ」「半世紀以上前にCIもVIも導入していたんだぞ」「ステーションロゴが宇宙映画みたいでかっこいいぞ!」などと周囲にいいふらしていました。
 すると、当時、大阪大学中之島キャンパスにある「大阪大学21世紀懐徳堂」で社学連携イベントの企画・制作などをされていた荒木基次さんから「その話を聞かせてほしい」という声をいただきました。ここから、2013年3月に「大阪大学21世紀懐徳堂塾 OSAKAN CAFE Vol.1 まぼろしの"大阪テレビ"」というタイトルでと題して、写真パネル展示とトークイベントを開催するに至ったのです。

画像4


 この時、大阪大学21世紀懐徳堂では、大阪の忘れられている偉業、今評価されるべき遺産を再認識・再発掘して紹介するシリーズが組まれていたのですが、その第一号として「大阪テレビ」が選ばれたというわけです。
 大阪テレビはまさに「再発見・再評価」されるにふさわしいものでした。流行を生んだ人気番組(びっくり捕物帖、やりくりアパートなど)や、人々の生活習慣に影響を与えた長寿番組(部長刑事、料理手帖など)を輩出し、新聞にも「洗濯機、冷蔵庫、OTV」と書かれたほどであったにもかかわらず、ほとんど誰も憶えていない。「まぼろしのテレビ局」というキャッチフレーズは、大阪内外で多くの方々の関心を呼んだようです。
 一番驚いたのはOTV在籍者の皆さんでした。まず半世紀近く、OTVを紹介する一般向けイベントはなく「いったい誰がこんなことを仕掛けたのだ」と思われたようです。

 2013年3月3日午後、京阪中之島線なにわ橋駅地下コンコースにある「アートエリアB1」で「まぼろしの”大阪テレビ”」が開催されました。
 会場では3月1日から、朝日放送提供のスティル写真や、OBの方々が持ち寄ってくださった貴重な資料が展示され、壁面にはOTVの製作した営業用「フィルムパンフレット」(開局一周年目の午後に放送)や、本放送初日に放送された「これがOTVだ」(現存最古の放送番組の一つ)、そしてOTVが世界で初めて成功したヘリコプターからの生中継の模様をおさめた映像を繰り返し上映しました。
 3日の午後、予想をはるかに超えて150人もの方々が会場に集まりました(最終的には180人にも達した)。
 私はそこで愕然としました。会場に集まった方々の9割以上がOTVに在籍されていた方々だったのです。
 そんな「自分よりOTVに詳しい人がびっしり集まった会場」で、いったい私は何を話せばいいのでしょうか。集まったのはみんな「事の当事者」です。
 トークショーの第一部は、大阪の大衆文化に詳しい、大阪大学総合学術博物館の橋爪節也館長を迎え、橋爪先生にOTVがすばらしいテレビ局であったかという話をしました。高知県からかけつけてくれた戸田健史さんのような若い放送研究者を客席に見つけてからは、ほとんど彼らに向けて報告していました。いずれにしても、第一部はまるで口答試験のような気分です。
 前半をなんとか乗り切り、第二部は在籍されていた方々に御登壇いただきました。この時のメンバーは、営業の水田忠伸さん、カメラマンの亀井茂さん、そしてアナウンサーの「ミスターOTV」こと今村益三さんでした。この時のそれぞれのお話は本書の中にしっかりと盛り込まれています。
 特に水田さんが訥々と「広告を値引きしたことは、一回もありませんでした」「会社の売り上げが悪かったこと、最初からまったくありませんからねえ」と何気なくおっしゃったのが一番のびっくりでした。
 今村さんは、富士山頂で歩き回りながら生で喋るのがいかに大変だったか、本当に息をきらしながら話してくださいました。
 質疑応答タイムにはいると、次から次へと挙手がありましたが、ここでは亀井さんが話を仕切ってくださり、私は本当に聴き手にまわることができました。この先、亀井さんには何かとお世話になっています。
 ご来場の在籍者の方々もさまざまな想い出を語って下さいました。
 たとえば本書に掲載している「富士山から生中継」の「バナナと大きなネズミの話」はロケーションマネージャーをつとめた山田定信さんが会場で聞かせてくださった話をもとにしたものです。
 また、トークショーの中で、美術の阪本雅信さんが「ミナロン・ドリームサロン」のことをお話くださって、写真資料がたくさん残存していることなどを教えてくれました。この発言は、本文に掲載した番組再現イベント&トークショー」に繋がります。
 OTVについて紹介するイベントのはずが、OTVについて私が話を伺う「公開取材」のようになりました。ちょうどみなさんには同窓会のようにもなったようで、終了後も楽しそうに雑談されていました。
 これがきっかけとなり、産経新聞が大阪版に大阪テレビ放送に関する記事を連載。長い間眠っていた「大阪テレビ放送」が、こつ然とあらわれたのです。
 
 2012年春「高橋信三放送文化研究基金」という研究者助成があることを知りました。そこで、この助成金を受けて、OTVの放送期間中(1956年11月~1959年5月)のすべてのラテ欄情報を手入力で電子化することを考えました。また同時に、OBの方々が私蔵されている写真や社内報、刊行物、記念品などの所在を調査し、リストを作成して、資料散逸を防ぐこともあわせて申請しました。
 ありがたくも、申請は受理されました。
 新阪急ホテルでおこなわれたパーティーでは、運営委員長の山本雅弘さんをはじめ、委員の方々から「ずいぶんお若く見えますが(当時私は49歳)、なぜそのお歳でOTVを?」と、興味津々に質問して下さいました。OTVを知っているはずのない世代の者がいきなり関東から現れたのですから当然の質問です。まさにこの数ページに書いたような話をしました。この日、山本さんが、証書授与の際に「私どもの創業者(高橋信三氏)に縁のある放送局について研究していただき、ありがとうございます」という言葉をくださいました。在阪民放史のはじまりに触れた思いでした。西村嘉朗さんの「私たちの大先輩たちの偉業を」という言葉とともに、いつも深く噛みしめています。

 こうして東西を往来しながら、OBの方々、OB以外の方々への取材がはじまりました。
 そんななか、大阪テレビフィルムの社長をされていた織田文雄さんへのインタビューは大発見の瞬間でした。この話は本書でも一項を設けるほどで、実はOTVが日本の教養番組に大きな景況を与えていたことがわかったのです。また、織田さんは従軍経験をお持ちの方ですが、従軍経験者にとって、帰還後、メディアに携わる事はどういう意識を与え、感覚を生じさせるのか、そのあたりの機微も教えて頂きました。

 夏休みを挟んで、もともと欠落や誤字脱字の多い番組表の電子化をすすめ、そこで発見した矛盾点をOBの方に伺うという作業をしながら、12月1日に開催する「OTV開局58周年記念イベント」の準備にかかりました。
 このイベントの目的は「OB私蔵の写真を活用する」ということでしたが、3月のイベント「まぼろしの大阪テレビ」の時に出た阪本雅信さんの資料写真コレクションを素材にして、当時のスタジオを再現できないかという企画になりました。
 そこから先の話は「ミナロン・ドリームサロン」の項に書いた通りですが、OBお三方に集まっていただき、打ち合わせを重ねるうちに、阪本さんの目に輝きがまし、野添さんの服装がお洒落なものになり、亀井さんの笑い声は大きくなってゆきました。阪本さんがスタジオセットをデザインし、野添さんがエラ割りをしてキューを振るという「レジェンドマッチ(伝説の試合)」の体制で、OTVの人気番組「ミナロン・ドリームサロン」を公開で制作するという夢のような話が実現するのです。

画像2

画像3


 ミュージシャンをどうするかは、かなり悩みました。当時「ミナロン」にご出演いただいた方は、今や大御所ばかりで、当然、年齢も大御所級。また、若い、または中堅の現役ミュージシャンの場合、歌い方や演奏法が変わってしまって、1950年代当時の雰囲気がでないのです。
 そんな時、救世主のように現れてくださったのが、東京で活躍する歌手のさがゆきさんでした。さがさんは、ジャズを起点にボサノバから50年代ポップス、オリジナルナンバー、そして前衛音楽まで幅広い世界で活躍する方として知られていますが、ジャズに関しては中村八大さんを筆頭に、1950~60年代に活躍した大御所との共演経験があり、ほとんど途絶えてしまった「スウィング全盛期の歌唱法」を身に付けている貴重な一人です。中村八大オーケストラの専属歌手として選ばれた実力と経験の持ち主で、スケール感たっぷりに訴えることができるタイプ(これをメジャーっぽさといいますが)。
 この頃さがさんは、大阪・豊中出身のジャズギターの名手・潮先郁男さんと、スウィング全盛時代の名曲を聴かせるライブを頻繁に開催していたのですが、その場を訪ね、イベントの趣旨をお話して、出演交渉をしたのでした。本当ならば潮先さんも一緒ならばよかったのですが、健康上のご都合もあり、さがさんのギター弾き唄いということでお願いしました。まもなく選曲案とデモ演奏のCDを送っていただきました。
 「半世紀以上前のテレビ番組の再現」という怪しい企画を面白がってくれたのは、彼女の好奇心によるところだと思います。
 さて、すぐに大阪に赴き、打ち合わせの場で「歌手がつかまりました」とご報告し、デモCDで「月にちなんだ3曲」を聴いていただきました。みなさん「ええなぁ」「ええやないか」という御答え。
 そこに、三人のOBのどなたかから…
 「ところで…ラツの具合は?」との声。
 「ああ、こっちに写真あるヨ」と別の声。
 「お、これやったらOKやな!」と別の声。
 早い話『ラツの具合』とは、容貌=カメラ映りのことだったのですが、さがさんの彫りの深い顔だちがぴったりだったのでしょう。実際、野添さんのカメラ割りに添って撮影され、最後にモノクロで仕上げることを予定していたわけで、モノクロにしたときのカメラ映りも考えていたのかもしれません。

 ところで、この頃、阪本さんはお芝居の美術にもかかっていました。ちょうど、劇団往来の公演「ドクトル・クノック(演出・要冷蔵)」の美術と脚本の和訳(原作はフランス語)を阪本さんが担当しておられたのです。
 せっかくの事なので一心寺シアター倶楽まで見にゆきましたが「フランスの田舎」を「河内のとある村」に置き換えたという奇抜な設定は、いかにも阪本さんらしい「思いきりの良さ」だと思いました。阪本さんのテレビ美術家・舞台美術家以外の面を知る貴重な機会となりました。
 12月1日、京阪中之島線なにわ橋駅の「アートエリアB1」で「OSAKAN CAFE第3回 とんがっていたテレビ美術」と題して、テレビ番組の再現とトークショーがおこなわれました。会場では「鉄道芸術祭」が開催中で、松岡正剛さんの毛筆があしらわれた華やかな展示会場の奥に、OTV第二スタジオと同じ面積の仮設スタジオが設けられました。

画像1


 番組再現と、完全アドリブのトークライブとなりましたが、ここでは在籍者で技術部の植田譲治さんがイメージオルシコン管の実物をお持ちくださったり、 志水英子さん(本書では稲田英子アナウンサーとして頻繁に登場します)が、放送現場の雰囲気や番組が作り出した映像美についてお話しくださったり、客席が一体となって58周年を居うことができました。詳細は本編「ミナロン~」の項をご参照ください。

 かくしてビッグイベントが終わり、残り半年で番組表の電子化も終了したところで、出版プロデューサーの高橋憲一さん(デジタポリス社代表)が「大阪テレビの話、本にしない?」と話しかけてくれました。高橋さんとはこの時すでに20年ほどのおつきあいになりますが、こんな話は初めてです。
 そこで、大急ぎで企画書を書き、その一方で再び「公益信託高橋信三放送文化振興基金」の門をたたきました。今度は、平成25(2013)年度の成果をもとに「OTVについての本を出す」ことが目標になりました。
 審査の結果、二年続けて助成して頂けることとなりました。
 すぐさま、前述の「年表」を山田充郎さんからご提供いただき、断片的な情報の関連付けがはじまりました。発掘された恐竜の骨を組み立ててゆく作業です。
 ここから、本文の執筆作業と番組表の再整理が始まりました。番組表の再整理は中之島の二つのイベントでお世話になった荒木基次さん(本業はデザイナー)とのやりとりでおこなわれ、あれこれ試した上「一週間分をB5ヨコに並べる」ことにしました。この本の「手に余る大きさ」は、まさにそこから生まれました。書店が最も扱いにくいに違いないこの大きさ・形にもちゃんとした理由があるのです。
 悪戦苦闘しながら、報道の青木亨さんや、技術の甲田与志雄さんなど、歴史的な現場にいらっしゃった在籍者のお話を伺い、梅田新道のビヤホールでお知り合いになった在阪各社のOBの方々や、OTVに出入りされていた広告代理店の方からも当時の話を伺うことができました。東京から高速バスで乗り込んで、昼間はインタビューと打ち合わせに飛び回り、夜は千日前のカプセルホテルに身を預けるという取材を繰り返していました。
 そこに深刻な話が飛び込んできました。出版をすすめてくれた高橋憲一さんが入院してしまったのです。夏ごろには抗がん剤のため急速に痩せはじめ、9月半ばにあの世に旅立たれました。病室に満足なネット環境がなかったため十分なやりとりができないままの別れでとなりました。
 一大事です。ここでまた「出版社探し」をしなければならないのです。しかも、こんな専門的で変わった判型の分厚い本の出版です。
 私はこの時「大阪を題材にした本なのだから、大阪の出版社がいい」と言い、出版・印刷の世界が長い荒木さんに出版社を探して頂くこととしました。
 出版社が決まらないまま、9月末に本文の執筆があがりました。
 10月下旬、荒木さんが大阪・堂島の編集プロダクション「140B」の中島淳さんを紹介してくれました。同社は京阪電車が発行するフリーペーパー「月刊島民」を編集している会社としても知られていますが、荒木さんから中島さんに「大阪テレビを特集したらどうか」と話を持ちかけたところ「それは面白い!」ということになり、早速順準備にかかりました。
 これは大変ありがたいチャンスとなりました。500ページをかけて伝えようとしている話を「8ページにまとめる」のはなかなか大変で、全体像の説明と、面白いディティールやエピソードの紹介をどう両立させるか苦労しました。
 中島さんから投げかけられる質問は想定外のものばかりで、まったく違う角度からOTVをとらえるチャンスとなりました。特にOTVと社会のつながりや、OTVが大阪そして近畿一帯に作り出した「熱狂」に注目することで、OTVがどう成功したのかつかめたように考えます。
 こうしてリリースされた「月刊島民12月号」は、京阪沿線の方々や、大阪市内各地の配布拠点を利用している読者の方々の手に渡りましたが、一番驚いたのは在阪局のOBの方々だったようです。
 12月の上旬に梅田新道のビヤホールでおこなわれた関西民放クラブの懇親会では多くの方が「これは何?」「これ、読んだか?」「これ、誰が仕掛けたんや?」「よう載せたなあ」と月刊島民を手に首をひねっていたそうです。やがて、140Bの編集スタッフ・江口女史がこのために撮影してくれた顔写真を見て「あー、こいつかあ!」ということになったようですが、開局59周年のサプライズとしては、すばらしい成功を収めたと思います。
 月刊島民では、毎月の特集にあわせた一般向けのレクチャーシリーズ「ナカノシマ大学」を開催していますが、2016年1月に大阪テレビに関するレクチャーを開催してくれることとなり、大阪大学中之島キャンパスの佐治敬三ホールをおさえてくれました。
 正月を過ぎて1月半ばに「ナカノシマ大学・まぼろしの大阪テレビ」が開催されました。会場には長年この活動を支え続けてくださっているOBの亀井さんや直井さんをはじめ、在阪各局の皆さんが来てくださいました。また、関西以外では、東京からは日放労の中村委員長が、岩手からは日本アマチュア無線連盟岩手県支部の野田支部長が来てくれて、研究の成果を高く評価して下さいました。
 話は少し遡りますが「月刊島民」の話がきまった直後に、荒木さんが、天王寺の東方出版(本書の出版元)の今東会長を紹介してくれました。そこで、これまでの経緯を説明し、既に書きあがった原稿を見た上で、この本の出版を受諾してくださいました。その成果がこの一冊です。
 また、同じ頃、大村崑さんのインタビューもおこないました。当初は大阪に出向いてのインタビューを考えていたのですが、大村さんは本当にお忙しい方で、大阪・東京間を週に何度も往来しているとのことで、皇居の近くに場所をとってお話を伺いました。時代を代表する大御所へのインタビューということで口が渇くほど緊張しましたが、当時の現場の「熱」を伝えようと、大村さんは角度を変えてエピソードや「想い」を語って下さいました。本書に掲載するにあたっては、ほとんどノーカットの状態で収録しました。それほど密度の濃い、焦点の定まったインタビューにしてくださったのです。
 そして「プロレスアワー」の項にもあるように、格闘技の歴史研究で知られる小泉悦次さんが、番組表の中から力道山に関する歴史的新発見をしてくださいました。
 もともとは専門家に構成をお願いするために、プロレス好きのメディアプロデューサー柴田恵陽さんにご紹介いただいたのですが、資料を読むうちに「これはスクープだ!」といきりたち、あらゆる点から検証してくださいました。この様子は雑誌「Gスピリッツ」に詳しく報告されています。
 この本にはいろんな図版が用いられていますが、「序」の鈴木剛社長と「演劇」の曾我廼家十吾、渋谷天外、藤山寛美のお三方は、写真でなく、小島のぶ江さんに肖像の挿絵をお願いしました。
 なお、のぶ江さんのお兄様はOTV報道部に在籍され(本文参照)、近年では関西民放クラブが毎月開催する市民参加の懇親会の幹事として知られた有名人です。
 のぶ江さんには、最初は当時の演劇事情についてお話を伺うという事でお目にかかりました、その時画集を見せていただき、そこで絵を書いていただくことを考えたという次第です。 
 とにかく、よってたかって出来上がった本です。

 さて、私は複数の事を並行して進めるのが大の苦手ですが、取材・執筆と並行して日々の本業(演芸ディレクター)もやらなければなりません。
 そんな中、昭和2年生まれの父が老衰でこの世を去りました。さまざまな人にあいさつをした後で、昼寝をするように眠ったのが最期。しばらくは葬儀や保険関係の手続きに時間を取られましたがなんとか乗り切ることができました。
 人の最後はいつも突然です。前年、美術の阪本雅信さんが肺炎で亡くなっていたことを、なくなった数か月後に知りました。それ以外にも、この企画に興味を示してくださったOTVほか各局のOBの方々が何人もこの世を去って行かれました。澤田隆治さんの「急がなダメですよ!」という言葉が、改めて重くのしかかります。

 校正では特に固有名詞が多いことと、昔の芸能人の名前がよくわからないことなどが頭痛の種となりました。
 本文の時代考証については、年表制作の山田充郎さんに、また、手薄になっていた毎日放送・新日本放送関連の情報にはOBである辻一郎さんからご提供いただいた資料でチェックすることができました。また、デザイナーの荒木さんは当時の事を知る世代でいらっしゃるので、レイアウトの際にあれこれ気づいた点を指摘して下さいました。
 出演した芸人さんの名前や演目に関することは、澤田隆治さんにチェックしていただきました。私の範囲で調べきれない古い芸人さんの情報を、細かく直して下さいました。しかしそれでも「何カ所かまだウラをとれない点がある」とのこと。精度をどこまで高めるかなのですが、歴史を扱う本の深さや難しさを想いました。
 と、ここまでが、この本のできるまでのおおまかな流れです。
 本書は実在した企業の記録であり、その事業を継承する会社が現存しています。ゆえに、さまざまな事情で公にお礼を述べることを遠慮しなければならない方もいらっしゃいます。複雑な人脈からのご支援でできた一冊でもありますからお名前を失礼なく並べるのは至難の業。そこで物語のスタイルにしてご紹介した次第です。

●資料解説
 本書はもともと「OTVおよび関西の民放テレビの黎明期を研究するための基礎資料を集成する」という目的で生まれたものですから、たくさんの資料を情報源とし、多くの引用を取り込んでいます。関係者の証言による一次情報との照合をするためにも必要です。
 ただ、そのすべてを一冊に集めることは、今段階では物理的に不可能ですから、詳細なことを知るにはやはり原資料にあたる必要があるでしょう。そこで、これからこの分野の研究に参加される方のために、本書の執筆に用いた資料をできるだけご紹介したいと思います。

『アルバムOTV (Album OTV)』
 1959年5月20日発行 非売品
発行 大阪テレビ放送株式会社
編集 大阪テレビ放送事業部
写真 北代省三、伊藤嘉彰 ミラー工房
意匠 小森三二 福田秀見
印刷 大阪グラビア印刷
 OTVや関西民放の黎明期を研究するためには必携の一冊です。OTVの設立から解散までを、たくさんの写真と出演者の証言・寄稿とともに時系列で編纂したもので、社員の文集にもなっているため、普通書き残されないような小さなエピソードが記録されているのがうれしい限りです。
 ところどころにとんがったグラフィックアートが用いられ、半世紀を超えてもなお語り継がれるOTVの「センスの良さ」を裏付けています。
 この「社史」は、合併が決まった後、鈴木社長が「社員の想い出に残るようなものを」ということで企画されました。あくまで関係者向けの「非売品」ということで出版関係のデータにも残っておらず、国立国会図書館にも蔵書がありません。ただ、私が確認する限りでは龍谷大学の図書館に一冊保存されており、利用資格があれば直接見ることができるでしょう。私は羽尻公一朗博士(工学)のご尽力でこのコピーを入手し、これによって研究が大きく進展しました。電車代と煙草代だけで、この資料の入手に動いてくれた博士には、まったく頭があがりません。
 現在、私のところには、OBの方から、現物を一冊預けて頂いております。たぶん現存するアルバムOTVの中でも最も状態のいい一冊ですが、それでも紙箱は崩壊がはじまっています。製本も、決して頑丈なものではありませんから、資料として用いるときには、できるだけコピーを利用し、ページを開かないことが肝心です。
 この本は、この二十年、古書流通で一回も見たことがありません。調査によれば、多くのOBの方が宝物のように保存していることがわかっています。また、亡くなられたあとも、ご遺族が貴重なものとして引き続き保管されているようです。もしも研究のためにこの本の実物をご覧になりたいという方は、私あてお知らせいただくのが一番早いでしょう。

『ABC十年』
 1961年3月15日発行 非売品
発行 朝日放送株式会社
   阿藤伝治(取締役総務局長)
編集 十周年記念誌編集委員会
印刷 大日本印刷

 放送研究者には最も知られた「名作社史」の一つですが、OTV研究には必携の一冊です。
 「写真集」と別称されるほど写真・図版が満載で、しかも写真素材にあわせて自由なレイアウト編集をしているビジュアルな出来上がり。しかも、発行部数が多かったようで、古書市場にも常に流通しており、社史の中では手に入れやすいものです。
 この本は合併の翌々年に発行されましたが、テレビ部門の大半はOTV時代のものです。当時の制作現場や記事などが写真でたくさんのこされています。また「ビルの谷間」「芽」「良弁杉」「かんてき長屋」など名作ドラマのセット写真がのこされているのは見逃せません。さらに、この本の「年譜」も研究上必要なものです。
 国会図書館は言うまでもありませんが、都道府県の中央図書館クラスであればほぼ全国、近畿圏であれば、ある程度歴史のある図書館なら、ほぼ必ず寄贈されていることと思います。

『朝日放送の50年』(三分冊)
 2000年3月31日発行 非売品
発行 朝日放送株式会社
編集 朝日放送社史編纂室
制作協力 朝日カルチャーセンター株式会社
     株式会社出版文化社
印刷 凸版印刷
 「本史」「番組おもしろ史」「資料集」の三分冊で光栄されていますが、「本史」では全423頁(索引を含む)の内OTVに40ページ近くを割いており、二年半の流れを大つかみにするには最適かもしれません。ただ、そこで使用されている写真は、さすが自社アーカイブの素材から選んだだけあって「ミヤコ蝶々・南都雄二とアンペックスVTRの記念ショット」といった珍しいものなどがあり、必見です。また「番組おもしろ史」ではOTVを代表する番組『びっくり捕物帖』『やりくりアパート』『部長刑事』が写真多数を添えて解説されています。番組の成り立ちがわかるだけでなく、その後大阪のテレビに与えた影響なども書かれています。
 これは古書流通では『ABC十年』ほど見かけませんが、国会図書館ほか、全国の主要図書館には寄付されているようで、全国で手に取って読むことができるようです。
 本は3冊が一つの箱に収められており、なかなか手の込んだものになっています。長年一緒に研究をしている河野虎太郎さんは十年ほど前、名酒を片手にこの本を機嫌よくめくっていた時、うっかり箱をふみ潰してしまったそうで、いまでも飲み過ぎたことを後悔しているそうです。そのくらい美しい装丁なのです。

『朝日放送の十二年』 非売品
 これは、社外に正式に刊行されたものでなく、社内の一部に稿本の状態で配布されたもののようで、一般には流通していません。『~十二年』は技術データが詳細なほか、出来事の背景に関する資料も独自の記述がありますが、校正を受けた以内部分がまだあるようで、一部不正確な情報もみられます。本書では部分的な参考にとどめました。

『毎日放送の40年』
 1991年9月1日発行 非売品
発行 株式会社毎日放送
編集 株式会社毎日放送40周年史編纂室
制作協力 大日本印刷株式会社
     CDC事業部関西本部年史企画室
印刷 大日本印刷
 この本は、関西のみならず、日本の民放史を知るうえで必携の一冊です。何より日本の民間放送の前史に関する詳しい記述があるため、たとえばOTVの成り立ちについて知る時には必読です。
 OTV関連のエピソードはほとんど記述されていませんが、OTVからMBSへの移籍や、在京ネット局の問題でMBSが開局を延期するに至った経緯などはこちらのほうが詳しく記述されています。
 『毎日放送50年史』は『40年』にくらべて、黎明期の記述について大きな差はありませんが、資料編がCD-ROM化されており、貴重な映像もあります。
 MBSにはこのほか『MBS10年史』『毎日放送十年のあゆみ』『二十年の歩み~間日放送』など多くの本がありますが、これらは図書館でも古書店でも比較的出会うチャンスの多いものだと思います。

『揚梅は孤り高く~毎日放送の25年』
 1976年9月
発行 毎日新聞社
著者 南木淑郎
 この本は、個人著作の形をとってはいますがMBSの二十五年史として公式のものとして扱われています。毎日新聞社から一般書籍として発売されたため、古書もよくみつけます。
 この本ではOTVからMBSへの異動に関する話井が詳しく出ています。

『追想 高橋信三』
 1980年12月20日 非売品
発行 株式会社毎日放送
印刷・製本 大阪高速印刷株式会社
 この本は高橋信三さんが亡くなった後に発行された追悼文集ですが、この中に、本書の「序」にある、森繁久弥さんのエピソードが記されています。

『テレビニュースOTVの想い出』
 1993年12月1日 非売品
発行 「OTVの想い出」編集委員会
制作 朝日カルチャーセンター
印刷 株式会社キュープリント
 OTV報道部に在籍していた方々が、それぞれの担当番組、担当作業を中心に綴った手記30編をまとめた文集。「火事のOTV」といわれた機動力の高さや、報道部が企画した画期的な番組の数々が紹介されています。研究者必携の一冊といいたいところですが、古書流通にはまったくあらわれず、入手は困難です。しかし、国会図書館や、大阪の主要図書館の蔵書を読むことは可能です。

『6chは上方文化や』
 1987年9月10日
発行 朝日カルチャ-センター
発行所 大阪書籍
著者 三上泰生 
 OTV時代技術部中継班にいた方の手記ですが、現場エピソードが手に汗を握るような生々しさで描かれています。本書では「ふたつの大遠征」「プロレスアワー」「富士山から生中継」など、重要なシーンで、この本から引用させていただきました。
 また「プロレスアワー」の章で書かれている、力道山に関する貴重な発見は、まさにこの一冊がきっかけとなりました。
 この本は最近は古書市場でも珍しくなり、徐々に入手困難となってきましたが、研究上必要とされる方は、一度私あてご連絡下さい。

『上方テレビ事始め』
 2006年12月1日
発行 清風堂書店
著者 阪本雅信
 美術の阪本雅信さんが、OTV開局五十周年の記念日に、ご自分の資料用写真や日記をもとにスタジオ制作番組を中心にまとめた一冊。主要なドラマやバラエティについての解説があり、また、開局直前直後のようすが克明に記録されているため、研究者には必携の一冊。OTVのみならず、NHK大阪テレビジョンの黎明期や民放各局の黎明期についても触れているため、基本資料の一つとして活用できます。自費出版のため流通にムラがありますが、Amazonで探すと、間新品・古書の両方で入手可能です。もし入手困難となった場合、研究上必要とされる方は、一度私あてご連絡下さい。

『テレビと芝居の手書き文字 これまで歩いた道』
 2010年11月10日
発行 株式会社イグザミナ
著者 竹内志朗
 OTVのみならず在阪テレビ局のタイトル文字やあらゆるロゴタイプ、背景画を長年制作してこられた方の貴重な一冊です。当時のテロップなどはほとんど放送後すぐに破棄されましたが、竹内さんは主要な番組タイトルを記憶の中から呼び出して、この本の中でリメイクしています。
 テレビ美術という新しいジャンルを発展させた大奮闘が描かれた、研究者必携の一冊です。

『聞き取り集「大阪テレビ(OTV)を担った人たち」』
 2015年10月21日
 自由ジャーナリストクラブ・メディア史研究グループ小山帥人、中川健一、西村秀樹 編
 本書と同じく公益信託高橋信三放送文化基金の助成を受けて取材・出版された一冊。OTV在籍者からは阪本雅信(美術)、西村弘(報道カメラマン)、貝谷昌治(ディレクター)、亀井茂(制作部カメラマン)、志水(稲田)英子アナ、宮崎(広瀬)修故アナ、澤田隆治(ディレクター)、町田正夫(東京支社・編成)鈴木昭典(音声→ディレクター)の各氏、出演者からは大村崑、芦屋小雁の両氏にインタビューしています。この企画のリーダーをつとめた小山帥人さんはNHK大阪放送局に勤務されていた方ですが、大阪の放送界のさまざまな事情を周知した上でのインタビューは、情報の深みにおいてダントツです。現場に携わった方々の「想い」や「激しさ」に触れる重要な一冊です。入手困難な本ですが、OTV関係の研究をする上で必要とされる方は私宛ご連絡ください。

『民間放送のかがやいていたころ ゼロからの歴歴史 51人の証言』
 2015年10月 
 関西民放クラブ「メディア・ウオッチング」
 辻一郎・貝谷昌治・出野徹之・武田朋子
出版 大阪公立大学共同出版会
 関西民放クラブ主催の「メディアウオッチング」事業の一環でおこなわれた関西民放OBたちの講演を集めた分厚い一冊。公益信託高橋信三放送文化基金の助成を受けています。
 この本では、OTV関係では野添泰男、今村益三、亀井茂、高岸敏雄、澤田隆治といった方々の話が収録されています。民放創成期から繰り返し全国に波及した「上方ブーム」の作り手まで広い世代を網羅しており、関西の放送史を研究する方には必携の一冊だと思います。

『民間放送十年史』
 1961年12月25日
発行所 社団法人日本民間放送連盟
印刷所 合同印刷株式会社
 この中に民放各社がデータ入りで自己紹介をするページがあり、OTVは既に合併・消滅していましたが特別に ページを割り当てられています。このページ数でOTVについて説明した文は珍しく、貴重な一冊です。古書流通でたまにみかけますが、民間放送の黎明期を総覧的に知るには最適な一冊です。

『私だけの放送史』
 2008年6月9日
発行 清流出版株式会社
著者 辻一郎
 辻さんはNJBに入社し、MBSで主に報道分野を歩いた方ですが、この本はOTVに関することを報道的な視点で記述したもの。当事者の手記や談話が多い中、貴重な一冊です。他の本ではあまりみられない小谷正一さんに関する話や、MBSテレビ開局までの水面下のいきさつが丁寧に書かれています。

『笑いをつくる』
 1994年10月~12月放送「NHK人間大学・上方芸能・笑いの放送史」テキスト
 2002年6月30日 「NHKライブラリー」
著者 澤田隆治
発行所 日本放送出版協会
 テレビ講座用にわかりやすく構成されたもので、OTVについてとりあげた珍しいレクチャーです。OTVのみならず、関西民放の黎明期のコメディ事情をわかりやすく解説されており、上方コメディが在阪メディアの大事な金脈となってゆくようすがわかります。

『私説コメディアン史』
 1977年11月10日 
発行所 株式会社白水社
著者 澤田隆治
 「笑いをつくる」に先行する澤田さんの著書ですが、こちらはより人間関係や背景に光を当てており、この分野についての研究を進める方におすすめします。

『近畿の太陽 讀賣テレビ十年史』
 1969年  非売品
 讀賣テレビ放送株式会社
 讀賣テレビ放送の社史としては、DVDつきの50年史などもありますが、準教育局時代のことを知るには十年史のほうがいいようです。

『関西テレビ十年史』
 1968年  非売品
 関西テレビ放送株式会社総務局社史編集室編
 関西テレビでもDVDつきの50年史を制作していますが、黎明期のすべての番組タイトルとデータが記録されており、フジテレビ開局までの伝説の半年間の様子を知ることができます。また、開局後におこなったユニークな技術実験の数々が記録されており、この本でも資料として活用しました。

『TBS60年史』(本編・資料編)
 2002年1月  非売品
 東京放送編
 TBSが開局60周年を記念してリリースした渾身の社史。民間放送全体の動向を丁寧に紹介しながら自社のことを語っているため、民放60年史を総覧するためにもとしても活用できます。TBSテレビの前身である「ラジオ東京テレビジョン」の番組についても、もちろん記述されています。

『大衆とともに25年』(沿革史・写真集)
 1978年8月 非売品
 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室編
 日本テレビが開局25周年を記念して発行した写真とデータ満載の一冊です。戦後、日本にテレビジョン放送が導入された一部始終が細かく書かれていることや、25年間の週間番組表(春・秋)が掲載されており、大変貴重な一冊です。

『テレビ夢50年』
 2004年  非売品
 日本テレビ50年史編集室編
 日本テレビが開局60周年を記念して制作した社史(非売品)ですが、時代やジャンルごとに全八分冊とDVDで構成されており、映像資料の充実した使いやすい資料です。古書流通は少なく、高価ですが、主要図書館には収蔵されています。

『テレビ朝日社史 ファミリー視聴の50年』
 1984年2月 非売品
 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部編
 テレビ朝日は日本最初の「民間教育専門テレビ局」として開局したNET(日本教育テレビ)を前身に持っていますが、この本では初期の番組についてもよく紹介されており、たとえば初期のネットパートナーであったMBSの番組表解析には欠かせない一冊です。

『20世紀放送史』
 2001 日本放送協会
    日本放送協会放送文化研究所編
出版 日本放送出版協会

 本編(上下)や資料集を中心とした組本で、20世紀の日本の放送全般を網羅した大集成ですが、東京を中心とした視点で構成されているためOTVに関する記述はわずかです。しかし、民放テレビ多局化が一気に進んだきっかけや、ネットワーク間の競争については外部者の視点から公平に描かれているため、裏付けを固めるには必要な一冊です。

 以上はこの本を執筆するにあたって資料とした本の一部であり、このほかにも音楽、演芸、技術、流行、登山、鉄道などの専門資料も用いましたがここでは省略します。
 また、OTV関係の資料のうち、個人的な出版や有志の文集の一部には、書籍名を伏せているものがあります。

●研究者の皆様へ
 この「おやすみの前に」を書いているのは、アナログテレビ放送終了からちょうど五年目、7月24日の深夜です。
 5年前の23:58、朝日放送が停波の直前に懐かしい「OTVシグナルミュージック」を放送しました。映像はOTV時代の局舎や街頭テレビなどでしたが、そこにははっきりと「大阪テレビ」または「OTV」と書かれていました。朝日放送テレビの前身が大阪テレビ放送であることを知らない人にはまったくの謎の映像だったかもしれません。
 5年前のことを想いながら、この原稿を書いているというわけです。
 
 さて、繰り返しになりますが、本書の編集にあたっては、時代考証や各界専門家の試読をお願いしました。しかし、それでもまだまだ推測や可能性で記した部分もあり、完全な資料とはいえません。むしろ本書は、初めて編纂された基礎資料集として「出来事全体の流れ」を把握していただくことに力点を置き、枝葉となる部分については、今後の研究によって、もっと正確なものとなるよう努めます。
 また同時に、本書を通じてOTVや大阪の民放テレビ黎明期、日本の放送史に関心を持った方から、ご意見や、新情報、訂正、考察、推論などを積極的に集め、Web上で共有するとともに、改訂版発行の際に盛り込んでゆきたいと思います。
 まず、この本をお読みになって気になる点がありましたら、どんどん余白にメモして下さい。そして、その中から気になるものを書きだして、次のインターネットサイトでお送りください。皆さんのお手元の一冊が、どんどん著者の手元の稿本を超えてゆくのです。

 また、余白に書き込んだものをスキャンして、上記のインターネットサイト経由でお送りいただいたり、コピーを出版社あてご郵送くださっても結構です。番組表の訂正情報などはこの方法の方がラクかもしれません。この活動を通じて、ひとりでも研究仲間が増えることを祈ってやみません。
 
 なお、この研究は(事業継承者として)現存する企業(ABCテレビ)の歴史をテーマとしたものであるため、情報発信や共有には最大限の配慮をしています。取材において得た個人情報や、一部の情報については、お問い合わせに答えられないことがあります。あらかじめお許し下さい。
 
 さて、この本もまもなく結末を迎えます。長らくおつきあいくださいまして誠にありがとうございました。
 同時代を過ごした方には懐かしい断片の数々を愉しんでいただけたことと思います。また、後の時代に生まれた私と同様の方々は、黎明期のダイナミズムや、人間味あふれる仕事の数々に触れることができたことと思います。
 近年、テレビに対する、人々の「愛情」が薄れてきたように思います。制作者が自らの番組に愛情を注ぐのは変わりませんが、リスク管理やコンプライアンス管理と引き換えに、多くの「愛情の注ぎ方」が失われたことは確かです。もちろん私は過労や危険作業を礼賛、または必要悪として認めるものではありませんが、折角、多様な考え方の人間が集まって作っているのですから「チーム内で上手にカバーしながら、ほどほどに無理する」ことはできないものかと思います。
 また、視聴者が徐々にテレビに対する愛情を失っていることに危機感をおぼえます。「あると楽しい存在」が「なければならない存在」を経て「あってもいい存在」になりつつあります。もちろんテレビに対して「なくても困らない存在」そして「邪魔な存在」と仰る方は昔からいますが、近年は、テレビ放送の政治・社会問題の取り上げ方、流行への取り組み方に厳しい意見を持つ方が増えており「もういらない」という流れを生みそうになっています。
 また、大阪および関西の経済も長期にわたって低迷しています。ことに圧倒的な資金フローで潤ってきた大阪は、資金の流れが東京中心に傾倒してから続落的な状況におかれています。
 大阪は、社会も経済も「ライブな力」に飢えています。仕事も遊びも世界的・全国的な流行によって固定化、プレザーブ化されてしまい、大阪伝来の、いまここに生まれた何かを愉しみ尽くす「ライブな生き方、やりかた」が廃れつつあります。幸い、大阪人独特の「熱狂」の気質は(対象がほとんど政治とタイガースに向けられているのは考えものですが)失われておらず、出来事に対するリアクションの良さは日本でも有数だと思いますが、一方、文化的・娯楽的な共有体験から「大阪らしさ」を育てる要素が少なくなっていることを残念だと思います。
 OTVは幸い、大阪の財界・文化界・娯楽界の三つのパワーに支えられ、「空中博覧会」というべき成果を残しました。
 これを時代の産物、偶然の出来事で片付けるのは簡単です。しかし、そんな安直なあきらめ方を大阪千年の歴史は許すでしょうか。今こそ、この、たった二年半の出来事を今につないで、明日への道筋につないでゆけないかと思います。
 過去の出来事は、編纂によって歴史となり、歴史となることで未来を作る材料になります。大阪は昔から、昨日の体験をリサイクルして歴史に加え、その潤沢ななかから未来を作る材料を見つけ出してきました。大阪では伝統が未来と直結して成功循環が維持されてきたのです。
 いま、その循環が途切れています。これはいわゆる「東京集中」のせいだけでしょうか。循環を作るポンプ自体にパワーが足りないのではないでしょうか。一億総評論家の時代、メディアの側にも、パワーが足りない言い訳を探す癖がついてしまっているように思います。
 この本を手にされた「現役の」放送関係者の皆さん、ぜひともOTVの成功を過去の幸運で済ませることなく、今できることに積極的に結び付けて頂きたいと思います。

 さて、当初、アナログテレビの走査線の本数にちなんで「525ページ」で完成することを目標としていた本書ですが、やや少なめのページ数で完結となりそうです。どうか、残りの数ページは皆さんの探究心や想像力で埋めて頂ければと思います。そして、ぜひとも皆様に埋めて頂いた数ページを、著者あてお送りください。この本が、皆様の手元で完成されることを祈っております。この一冊をきっかけに、テレビジョンを、よりライブでパワフルなものにしようという輪ができればと思います。テレビジョンは大阪の地場産業です。大阪の視聴者は、テレビをもっと楽しくする「歴史的義務」があると思います(笑)。ここで、おおげさに、読者の皆様を焚き付けておきたいと思います。遠慮なく、燃え上がってください。

 以上ですべての番組が終了しました。
 どちらさまも、おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?