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ピンク色のテレビ

※昔コンテストに応募しようとして書いたのになぜか応募しなかった文章がお気に入りだったので今更投稿します。


最初に選んだのはピンク色をしたテレビだった。

田舎から京都の大学に行くために"上京"したとき、3月31日の誕生日を終えていなかった私はまだ17歳で、田舎を離れて一人で暮らせることに胸を躍らせていた。

一人暮らしを始める日、父と母が京都まで送ってくれて、母がお金を5万円くれた。

その時の私は確か「これだけ?!」と言った。

その頃から10年近くたってしまった今、徐々に記憶が薄れてきているけど、当時の私が5万円の価値がどれくらいなのかも分からない、少女だったことは確かだ。

それから私は大学生活を満喫した。もっとも満喫というのは、勉強を一生懸命したという意味ではない。

それまで田舎で生まれ育った私が、考えられないほどたくさんの人と出会った。本場の関西弁を操る陽気な友達がたくさんできた。

その友達と半分ふざけながら単位をとるために授業を受けた。たまには興味のある授業を一生懸命聞いたりもした。

サッカーサークルのマネージャーをして、誰かを応援する楽しさも知った。そこで初めてお酒も知った。最初は美味しいと感じることもなかった。

そして私は恋をした。それは関西弁ではなく、広島弁をしゃべる大きくて優しい人だった。でもその恋も、いつしか嘘みたいに終わってしまった。振られたわけじゃなかったのに、失恋したみたいな気持ちになって泣いた。

昔から夢だった留学もした。アメリカには京都より見たことのないもの、見たことのない場所、会ったことのない人がたくさんあった。そして私はまた恋をした。そして本気の失恋をして、もう恋なんてしないと思った。

日本に戻ってからは本気で就活をした。たくさん落とされてたくさん泣いて、もう自分なんて必要とされてないんじゃないかと思う夜もあった。

色々なことを経験して、あっという間に長かったようで短かった4年間を終えて、私はもう帰ることもないと思っていた地元に帰ることにした。

思えば4年間、ずっとこの部屋は私を待っていてくれた。

はじめて父母と離れてさみしい夜も、友達がたくさんできて楽しい夜も、初めて男性と迎えた朝も、留学していた間も。

ずっとこの部屋はここにあって、私を待っていてくれた。

でも最後はとてもあっけなかった。たくさんあると思っていた荷物はほんの少ししかなくて、すぐに運び終わってしまった。そして何もなくなってしまった部屋はとても広く感じられた。

そんな部屋を見てなんとなく悲しくなって私は最後にその部屋の動画を撮った。そして何もない部屋に向かって「ありがとう。さようなら。」と一言言った。


それから約5年、結婚することになった。

実家を出るために荷物を整理していたら、あのピンク色のテレビが出てきた。


―――なんでピンクにしたんやろ。


そして私はふと思い出して、部屋を出る前最後に撮ったあの動画を見てみることにした。

足を伸ばすどころか体育座りで精いっぱいな浴槽や、調理するスペースもないキッチン、大きくて日当たりもいいけど、開けると線路がすぐ傍にある窓。

何年たっても懐かしく感じる景色が、そこにはあった。そして色褪せないたくさんの"はじめて"も、そこに詰まっている気がした。

アラサーになったわたしは、今ではピンクのテレビなんて選ぶことはないだろうし、あの頃みたいに新しい友達がたくさんできることも、心臓の音が相手に聞こえてしまうような初めて夜を迎えることも、胸が焼けるような失恋もすることはなくなってしまった。


でも確かに、わたしにも"はじめて"はあった。

はじめてというのは、その時は特別なものなのだろうけど、いつか特別じゃなくなってしまう。

でもはじめてというのはきっと、いつだって当たり前ではない。その証拠に、いつも当たり前のように帰っていた、はじめて借りたあの部屋は、今は当たり前に帰る、私の部屋ではなくなっている。

私はこれから始まる彼との"はじめて"の二人暮らしをいつまでも当たり前だと思うことがないように、たまにはじめてがたくさんつまったその部屋の動画を見るのもいいなと思った。


#はじめて借りたあの部屋 へ。

元気でやってるかい?

これからもたくさんの人のはじめてを、見守ってあげてな。



ほんっとにしてくれるんでしょうか… ファイナルアンサー?? いや、お願いします(涙目)