見出し画像

30分間で何が書けるだろうか

 最近文章を書くのが楽しい、というか楽しいわけではないけど時間を忘れて二時間三時間とキーボードと遊んでしまうので、そろそろ時間制限をつけたいという気持ちがむくむく膨らんできた。

 正直時間がないわけじゃないのだし、この暇を逃せば一生だらだらする時期なんて訪れやしないのだから今のうちにタイムパフォーマンス警察に補導されるような無意味な時間の過ごし方をしておくほうが良いのだろうが、それでも私はただでさえ睡眠時間が長いし家事に関してはやる気が出るまでの葛藤をするためだけの予備動作が必要不可欠だから、やっぱり趣味にいつまでも時間かけて夢中になってもいられないのである。

 それにしてもなかなか難しいのは30分で書くにあたってのネタというもので、本当に書きたいと思っている「イエベかブルベかストレート」とかいう診断が人を不幸にするかもしれない話とか、なぜか札駅から大通へむかう「チカホを歩くときに涙が出そうに感動してしまう話」とか、そんな自分のいつも考えているけど言語化できていないことに関して整理するために語る方が何倍も何倍も書きたいのでさっさと書けばいいのだが、たかが30分でここ数年の私の生活のサビともいえる議題を急いで書いてしまうのはちょっと切ないというか時間に追われた現代人の亡骸のような文章になってしまう気がしているのでなかなか30分で書き上げようとは思えないのである。

 どうしよう、と迷っていたら意外にもまだ8分弱しかたっていないのでなんだか余裕が出てきてしまって、今いるカフェの隣に座っている社会人の先輩後輩らしき二人組の「机といすのちょうどいい高さ」についての議論が脳内に小躍りして侵入してきてしまうから集中なんてできやしないのである。

 そういえば、私はカフェという空間が一番頑張れる。人の声や食器のカチャカチャいう音が、聞こえなくなったことにすら気付かない程に集中できる瞬間がおそらく滞在時間の30パーセントくらい存在するので、その過集中にあたる時間のためにカフェに通っている。
 正直カフェで勉強しているとかっこつけだの家でやれだの図書館に行けだの色々言われるので心が痛くて痛くて泣いちゃいそうなのだが、私がカフェに通って勉強するのはひとえに「集中できない時間に眠らない」ためである。家ではもちろん集中なんて微塵もできやしないし、図書館なんか死ぬほど静かで空気が淀んで生暖かいから油断するとつまらない本に顔をめり込ませて眠ってしまう。それに比べてカフェはいい。集中できてない時は近くの人間の会話が聞こえてきてそちらに興味を持っていかれるので眠くならないし、カフェのスイーツを目の前にしてマテをされている犬の要領でご褒美のために頑張るモードを作れるし、そんな感じで無理やり作業してる間に周囲の音がなくなるくらいに集中している事があって、そして作業を終えてハッと我に返った瞬間に周りの世界や音が戻ってくる感覚がやみつきである。
 ADHD傾向が強い人間の得意技、「過集中」は正直、一度体験すると味を占める位には自信がつく。いわゆるゾーンみたいなもので自分の意志とは別のところにスイッチがあるから厄介だが、ADHDの人間がなんだかんだ社会で生きていけてるのはこの過集中の時の生産物によるものが大きいから、逆にこれを取ったらマジで何も残らないくらいには大事にしている。
 そんな感じで書き始めて19分が経過したにも関わらず私の周りの音はよく聞こえるし何なら隣の隣の席の「海外旅行ってさ…」みたいな声までも頭が拾い始めてしまい注意力散漫もいいところなので、もう今日はこの辺で終わらせてしまいたいなとか思う所存である。
 過集中の女神、今日は私に微笑んではくれないようだ、がっかり…と思っていたらPCの向こう側にさっき頼んだミックスサンドが存在するのを思い出した。すっかり冷めきって私にはよ食べんかいと言わんばかりにパンの耳が私を見つめるので、段階的にトーストをかじる所存だ。時間当たり消費食料はカフェの滞在時間に大きく影響を与える。一気に食べてはならない。いや別にそんなことはないのだけど食べきっても長くお店にいるのはかなり気が引けてしまい、「まだ食べ終わってないからここにいるだけだよ~」と自分を正当防衛しているのだ、とか言ってる間にまたミックスサンドが冷めてしまう。
 冷めきった自分の集中力とどっちが冷めてるか比べねばなるまいと思って、漸く私はキーボードから手を離した。

この記事が参加している募集

スキしてみて

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?