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承認欲求から逃げ出したい

こいつ使えねえな、と思われるのがこわい。貞子よりGよりゴジラより、推しカプが原作で否定された時より、いやそれは嘘か。でもとにかく、「いないほうがいいな」と思われるのが、怖くてたまらない。

だから、いつもコミュニティに入ると、自分がどんな役割を求められているのかばかり考えてしまう。まるで漫画のキャラクターのように、「この世界観・この既存キャラたちの中で、私はどんな役割でどんな人間であるべきか」を考えてしまう。君がいなくちゃダメなんだ、と言われるためには、どうあるべきか。多分、私はそれを人生をかけて求めている。

こんなことを話すと、「よっぽど家庭で認められなかったのか」「さぞ人間関係でうまくいっていないんじゃないか」とか心配してくれる人たちがいるのだが、そうでもない(と自分では思っている)。
両親は私を甘やかしてくれているし私も甘えている。私が無理せず、仲良くなれた友達もいる。勉強は好きじゃなかったけどなんとか大学に滑り込めた。性格がよいとは言い難いが、対他人に対しては自分で自分を抑制できている自信がある。
なんだよ、意外と自分は恵まれているじゃないか。欲張りすぎるんじゃないのか?そう思うのだが、どことなく満たされないし将来が不安だし、正直できる事なら35~40歳くらいで寿命を迎えたい。

この不安と寂しさは何だろう、考えてみた結果、多分、自分がこれまでやってきた事や評価されてきた事、すべての動機が「承認欲求」だった所に源泉があるように感じた。

勉強をして大学受験のために必死になってたのは「勉強できるキャラ」を確立してクラスでの立ち位置を確保するためだし、友達に優しくするのは友達に優しくされたいからだし、人間性を磨きたい良い奴になりたい、と願うのは人に好かれたいからだ。別に自分が成長する事に面白みを感じてるわけじゃない。だから、努力の様子を人に見られてないと全くやる気が出ないし、あまりにも努力の結果が出なかったり努力の成果が得られなかったりするとぽっきり諦めてしまうことが多い。甘えん坊将軍なのである。

ないものねだりでしかないのは承知している。それでも、家族以外の誰かに面と向かって愛されたことがないので、なんとかみんなに必要とされようと必死になっている気がする。

大概、そんな承認欲求に取りつかれてる人よりも、誰の目線も気にせず自分の価値観で生きてる人の方が魅力的に感じるものなんですけどね。そうなりたい、と願うけれども、そう願う自分の根源がやはり「人に魅力的と思われたい」なので、やっぱり承認欲求から抜け出せない。

私が私でいるって、ほんとに難しいんですね。
ちょっと、自分の心地よさをもう一度、考えて、揺らがないためにはどんなことをすればいいのか、noteやTwitterとかから、皆さんのライフハックを必死に探そうと思います。

そしていつか、私が「私がいなくちゃ困る!」って心から思えるようになりたい。私が、私を、「いないほうがいいな」とか一ミクロンも思わないような、私になれたらいいなと思います。

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