Willy Changは実在したのか?

「君、日本人?見せたいものあるから、うちおいでよ」というありふれた言葉がWillyとの出会いだったと記憶している。

2000年当時、私の通う中学校はシリコンバレーはSan Joseの端っこの端っこあたりに位置しており、英語話者しかいない環境にあった。
いわゆる白人以外の人種がいない、という訳ではなく、幼少期からアメリカで過ごしているアジア人や、メキシコ移民と思われるヒスパニックなど、人種の偏りのあまり無い地域だと記憶している。
ちなみにお隣の学区は日本人の駐在員一家が多く、小学校から高校まで一切英語が喋れなくても卒業できるという素敵な環境があったが、本筋とは関係無いので省略しておく。

さて、そんな学校に通うある日、クラスメートであるWillyに話しかけられたのだ。いや、私のほうから話しかけたのか。いずれにせよ、彼と出会った。
Willyは台湾系アメリカ人で、メガネ・軽く出っ歯・ヒョロヒョロと、オタクの偏見が凝縮されたような風貌だったが、スポーツ万能かつ成績トップに加えてユーモアセンスが抜群と、クラスの人気者だった。
そんなクラスの人気者と、さして英語も喋れず無駄にプライドの高いだけの陰気な日本人が、ふとしたきっかけで家を行き来する仲になったのである。

彼の自室はビデオデッキにテレビとコンピュータが置いてあったこと以外は一切覚えていない。いつもカーテンを締めていて薄暗く、空気が乾燥していて埃っぽかった印象はある。ただ、壁に貼っていたポスターや、棚に置いてあったであろうフィギュアや書籍といった視覚的情報は残っていない。というのも、ブラウン管を通して見た世界が強烈だった、強烈すぎたからである。

「見せたいもの」としてWillyがビデオテープを手にすると、それをデッキに挿入し、テープが飲まれたのを確認して再生ボタンを押し込む。
ブラウン管にノイズ混じりの映像が映された。

『Present day... Present time... HaHaHahahaha』

その日、lainに出会った。


当時、テレビで見るものといえばCartoon NetworkやNickelodeonで見れるカートゥーンや、日本人学校の友人間で貸し借りするポケモンや忍たま乱太郎という中に、突如現れた深夜アニメという概念は強烈すぎた。
日本であれば当たり前のようにそのコンテンツを享受できたであろう。しかし、ここはシリコンバレーである。日本ではない。しかもインターネットも過度に発展しておらず、ADSL常時接続が神環境と持て囃されるような時代である。
こんな環境にありつつも、今回ばかりはシリコンバレーということがプラスに働いた。幸い我が家も父親がシリコンバレーによく見るコンピュータ業界に従事する職業だったため、スクラップ同然のコンピュータを持ち帰っては継ぎ接ぎして再生していた。そのため、自室には当たり前のようにコンピュータが設置されており、回線環境もADSLが整っていた。

環境が揃っている状況での意識変化は凄まじいもので、自室のコンピュータはポケモンの裏技を検索する機械から、インターネットを通じて日本のアニメ文化に触れるためのナビになった。
いかにしてアニメ文化へ触れるか、どのようなソフトウェアを用いたか、というのはご想像にお任せするが、一般公開されているオープンサーバーと、招待制のプライベートサーバーとが存在していた。
世界中の様々なユーザーがアクセスするオープンサーバーでやり取りされる内容は品質も玉石混交、中にはウィルスを仕込んだモノもあった。また、接続速度が安定しないことや、やり取りが完了する直前で回線が切れるなど、目的とするモノに行き着くのが困難な状況であった。
中学生の私も一般的なユーザーと同じくオープンサーバーを彷徨う日々を過ごしていたが、ある日とある掲示板サイトを通じてプライベートサーバーへとアクセスすることがかなった。

プライベートサーバーは、いわばサーバー管理者の運営する一つのコミュニティである。当然オープンサーバーよりもユーザー間の距離は近いし、チャットルームも賑わっており、招待されるほどのユーザーであれば積極的にチャットルームに参加している。
その時に使用したユーザーID兼ハンドルネームが”darz”、今日に至ってもなお使い続けている第2の名前だ。


さて、そんなこんなでlainと出会ったことで、私はネット上ではdarzとして20年ほど過ごしている。ネットでの振る舞いはリアルとリンクさせなくて良い自由さがあって快適だ。いわゆるネットスラングを多様しながら、顔を見せず、利害関係が無いからこそ得られる自由がそこにはある。
そんな傍若無人な振る舞いをしているからこそ、最近思うところがある。果たして、darzは私なのだろうか。

作中で岩倉玲音というリアル人格が、レインというネット人格に悩まされる姿が見られる。ある種ホラーとも捉えられるそのシーンは、lainを見て20年経った今、私を悩ませている。
もちろんdarzとして活動したことに後悔は無い。lainと出会いdarzであったからこそ、広がったコミュニティもあるし、行動が変わった部分もある。
ただ、ネットとリアルとを分けて過ごしすぎたからか、ネットとリアルの境界線が曖昧になっている今、どう過ごせばいいのかわからなくなっている。
今、こうやって文章を書いているのは私なのか、darzなのか。

そのきっかけを与えたlainという作品はあったのだろうか。
lainと私を引き合わせたWillyという人物は居たのだろうか。

そして今、この文章を読んでいる貴方はどっちの貴方なんだろうか。

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