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「多様性」とか「#metoo」を言う言論人の中で自分の差別意識に無自覚な人がいる

 「弱者に優しい社会」「多様性のある社会」「性暴力を無くしましょう」「差別はいけません」

そう言う事を言う言論人の方のトークイベントに行く時があるが、多くの方は私がココロの病気であると言う事をカミングアウトすると、挙動不審な私に対して、寛容な態度で、接してくれた。

 しかし、去年の9月から今年に入って

「弱者に優しい社会」「多様性のある社会」「性暴力を無くしましょう」「差別はいけません」

を生業としている物書きの人で、あからさまに私の挙動不審に対して、イヤな顔と態度をした人2名、あるいはフェミニストの勉強会で、あからさまに「あなたは馬鹿なんだから私たちの言う事、聞いてりゃいいのよ」と言う態度をされてしまった事がある。私はフェミニズムは必要だと思うが、フェミニズムが、偏差値の高い大学に入れた女性だけのモノになっている事には、常々、疑問を感じる。

 アメリカでトランプ大統領が当選した時、私は「何でそこまでヒラリーさんが嫌われるのか」不思議でならなかった。でも、頭の良いフェミニストの人が集まる集会に行くと、偏差値の低い大学に行っていて、さらに精神のビョーキを持った私の意見は無視される。馬鹿は、意見を言う資格は無いあなたの話は聞かないと言う態度を取られる。トランプ大統領に投票した人ってそんな気持ちだったのかなと思った。

 言論人の人の中では「馬鹿や弱者は、私たち言論人の言う事さえ聞いていれば良い」と言う人がいる。そう言うスタンスを表明してる人ならまだ、こちらが距離や受け身を取れるから良い。そうでなく「弱者の味方ですよ。弱者に寄り添いますよ」と公言しながら、自分自身の選民意識や差別意識に無関心な人がいる。

 私は精神障がい者当事者ですが、ダメな人間なので、自分が弱者のくせに、時に自分より弱い人に対して、見下したりしてしまう事もある。そんな時、自分のダメさ加減を許してくれた人の事を考えて、自分を振り返り、次はしないように考える。決して誰かを傷つけてないとは言えない。振り返って、次しないようにはするが、人を傷付けた事実は変わらない。

 私がお目に掛かった言論人の方で、一方向に強く差別反対、性暴力反対を唱える人で、あればあるほど私に対して、あからさまに「あなたは変な人」と言う態度をとられた。自分の差別意識に対しては鈍感だ。人の差別意識に対しては敏感だが、自分の中の差別意識に向き合っていない。

 今朝、水道橋博士のイジメに対するネット記事を読んだ。そう、今、悩んでる人に正論だけを唱えても届かないし、かえって追い詰められる時もある。それと私の経験で、ご立派な事を言っている言論人では無く、世間では破天荒と言われている芸術家の方が、私が苦しかった時に、丁寧にMailをくださって、今、生きています。立派な綺麗事を言って、破天荒な芸術家を糾弾する事は「言論の自由」だけど、一見、破天荒に見える人たちが、弱った人を救う一面もある事を知って欲しい。


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