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音楽と生活

僕の生活にはいつも音楽があって、いつも外を歩くときは音楽を聴いている。特に僕の思い出はボーカロイドの曲とともにあって。

ボカロのいいところはジャンルの垣根がないところだと思う。普通音楽だったら演歌とかHIPHOPとかROCKとか色んなジャンルがあって自分の好きな範囲を越えて聴くことってほとんどないと思う。だけどボカロの曲を漁るのはそんな壁は一切なくてサムネイルが良さそうだから聴こうとかマイリスト(お気に入りみたいなもの)が多いから聴こうとか人がおすすめしてたから聴いてみようってのはボカロの範囲であればどこへでも聴きに行くぞって感じがある。それがすごく良い。そしてボカロ曲ってのは毎日何曲も投稿されているからどれくらいまで漁って良い曲を探せるか自分次第で僕の場合、好きなボカロP(ボーカロイド曲を作る人)の投稿だけで月100曲弱あったりしてたまったもんじゃない。もう一度言う、たまったもんじゃない。聴かなきゃいけない曲何曲あんの。しんど。嬉しい悲鳴。嬉しいけど悲鳴はしっかりあげてる。僕がめちゃくちゃ漁ってるのがボカロってだけだけど、多分めちゃくちゃ曲数漁ってる人って普通に大変だと思う。

だけどそれの良いところが冒頭で言った生活は音楽とともにあるということ。毎月とめどなく投稿される曲を締切に追われるように聴き漁る。そして次の月には前の月に聴いてた曲は本当にお気に入りでクセになる数曲しか聴かなくなって次の月にはそれもだんだん聴かなくなって。。。まあ普通にみんなあることだと思うけどそれが早いスパンで行われて、聴いていた曲はその季節の、その月の、その週の、その日の、その時間の、何をしていたときの曲へと記憶される。そしてその曲をあとで聴いた時にはその時していた行動を思い出し、その時の太陽の眩しさを思い出し、その時の汗を思い出し、その時の冷える風を思い出す。そして逆にその時歩いてた道を通るときにはその時聴いた曲を思い出し、アプリでその曲を引っ張り出して懐かしんで聴く。それがたまらなく大好きな時間です。今ちょうどその体験をして泣きそうになってるので書いた。泣きそうになってるけど思い出してるのは1年も経ってない去年の夏の暑さなど。思い出を擦り切れるまで思い出して、味がなくなるまでしゃぶりつくして今生きられています。何が言いたいかいうと生きてくれてありがとう僕。終わり。