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ゲームのはなし

少し前にnoteのホーム画面を開いたら目に飛び込んできた#心に残ったゲームというお題。これは是非書きたい!と珍しく意欲が湧いたので勢いに任せて書くことにした。

私はゲーマーを自称するほどゲームに情熱を注ぎゲームと共に人生を歩んできた訳ではないと思うが、しかし、人生の折々にプレイしてきたゲームが私に与えた影響というものは小さくはない。

私は1990年の11月18日生まれだ。未だに根強い人気を誇るあのスーパーファミコンが発売するわずか3日前に一足早く生まれた。
「買って買って!」と両親にねだる必要もなく、物心ついた頃には既にあのグレーで丸みのある四角い愛されフォルムがブラウン管テレビの前に鎮座していた。当時二十歳そこそこの流行に敏感な若者だった両親が普通に自分たちが遊ぶために買っていたのだと思う。
スーファミで一番好きなソフトといえば「スーパードンキーコング2」だ。
ドンキーシリーズは全部大好きだが、2はディディーとディクシーどちらも操作がしやすく、音楽も世界観も一番よかった。
ステージの背景が部屋に飾りたいくらいに本当に美しく、見惚れている間に手元が狂って死ぬというのを何度繰り返したことか。私はこのゲームは今でもたまにプレイするのだが、1面くらいなら目を塞がれていてもクリアできるかもしれない。

その後、1993年にはタッチペンで操作をするピコというソフトが絵本型の電子知育玩具がセガから発売され、1994年にはソニーからPlayStation が発売された。
プレステといえば、一番印象深いのは「ぼくのなつやすみ」だ。
子供の頃にプレイしたのでかろうじて命を取りとめることができたが、30歳の今プレイしてしまっては正気を保てる自信がない。存在しないノスタルジーが殺しにくる恐ろしいゲームだ。同年、ソフトがたったの33タイトルしか発売されていないプレイディアという幻のハードが発売されたが、今となってはその存在を覚えている人間を探すことに苦労してしまうほどだ。しかし私は「アクアアドベンチャー ブルーリルティー」のことを、あの碧い海の冒険を、魚達とのふれあいを、空き缶拾いを忘れはしない・・・。(気になる人は調べてみてね)

そして1996年――幼稚園の年長組の時に、「ポケットモンスター赤・緑」とゲームボーイポケットが発売された。
初めてゲームボーイを手にした時のことをありありと思い出せる。弟やいとこや友人達が誕生日などをきっかけに次々とゲームボーイとポケモンを手に入れていく中で、11月生まれの私は一人取り残されていた。
ある日、親戚の家で私以外の子供がポケモンをプレイして楽しんでいる傍らで、私は何百回目かの癇癪を起こし、「私だけ仲間はずれだ!!今みんなと一緒にポケモンをやらなきゃ意味がないんだ!!誕生日になってからではもう遅いんだ!!」とひっくり返って泣きわめいていた。
すると、ヒステリ作戦が功を奏して、根負けした母親が誕生日のプレゼントは無しだということを約束にゲームボーイポケットのピンクとポケモンの緑を買ってきてくれたのだ。
その時の興奮を思い出そうとすると今でも発熱してしまうほどだ。風呂上がりの犬のように家中を駆け回って、あまりの嬉しさに6年間で覚えた全ての言語を忘れ、オンギャ〜〜〜〜!!と叫んだ。それからは弟と二人で「いい加減にしろ!」と容赦なくぶっ殺されながらも、それでも懲りずに年中無休でゲーム三昧だった。

1996年にはNINTENDO64も発売されているが、手に入れたのはもう少し後だったと思う。
初めて「ゼルダの伝説 時のオカリナ」のテレビCMを観た時は衝撃的だった。なんだか少し怖くて、ドキドキして、大人っぽいなぁ〜と思った記憶がある。キャッチコピーは「ゲームでしか味わえない感動がある」だ。その通りだった。ゲームでしか味わえない感動があるのだ。それを時オカは教えてくれた。ハイラル王国の存在を知れて本当によかったと思う。
当時、みんながリコーダーの試験の課題曲「エーデルワイス」を練習している中で、私は「サリアの歌」を必死に練習していた。

2000年には1億5500万台売れたというPlayStation 2が発売された。
プレ2で一番プレイしたソフトといえば「鬼武者2」だ。10周はした。
ジュジュドーマの物真似ができるが弟にしかウケないのでお披露目のタイミングがないことが残念である。
同じ時期にタカラからe-karaという家でカラオケを楽しめる玩具や、ポピラという落ちてくる鉄球のようなものを音楽に合わせてはじきかえす音楽ゲームが発売された。タカラ曰く、「反射陶酔ゲーム」というらしい。
モーニング娘。がCMをやっていた。

2001年にはNINTENDO GAMECUBEが発売されるが、正直スマブラ以外の記憶がない。この頃から「ガキの趣味からは足を洗うぜ」と言わんばかりにゲームとコロコロコミックから距離を置くことになるが、2008年、「大乱闘スマッシュブラザーズX」の発売をきっかけにwiiを購入。当時、高校を中退して工場勤務していた私は、自分が住んでいた家賃35000円の寮に集った同じ工場のオタク達と週末は朝までスマブラをやったりしていた。これは今思えば紛れもなく学校に行っていなかった私の数少ない青春エピソードである。
2009年にはXbox 360を購入。通称箱○で一番ハマったのは何と言っても
「STEINS;GATE」だ。再び大学受験を目指すため、工場を辞めて高認&大学受験勉強をしていた大事な時期に、軽い気持ちで体験版をプレイしてしまい、まんまとひきづりこまれてしまった。ノベルゲームというのは普段はやらないが、これだけは特別だ。面白いゲームというのはクリア後の虚無感がすごい。RPGならクリア後も物語が終わったことを認めず亡霊のようにウロウロすることも可能だが、ノベルゲームはそれができない。よくシュタゲロスから抜け出せたものだと感心する。

そして、CoDやデッドラをちょこちょこやりつつ、「ゲームなんてやってる暇ないね、あたしゃ足を洗うぜ」とまたゲーム離れすることになるが、2013年、「ポケットモンスター X・Y」が発売してしまう。
ポケモンシリーズを全てプレイしていたわけではないが、公式から発表された「初代御三家と旅ができる」、「メガシンカとかいう更なる進化形態が発見される」という情報だけで、もはや買わない選択肢はなかった。ニンテンドーDSもそのためだけに買った。私たちのリザードンが、フシギバナが、カメックスが、ミュウツーが、ゲンガーが、一体どんな姿に進化するというのか!?絶対に見届けなくてはならないと思った・・・。

そして「ポケットモンスター X・Y」を最後に、「バーチャルなんて不毛だよ、ゲームなんてやってないで現実を生きなきゃ、もう大人なんだし…」と今度こそ本当に足を洗うつもりでゲームから離れて数年が経っていた。

私はもう二度と新作のゲームはやらないと思っていた。ゲームに割く時間があったら他のことに使いたいとすら思っていた――。

2017年、当時付き合っていた男と同棲することになり、引越しのタイミングで彼のNintendo SwitchPlayStation 4が同時に部屋に運び込まれた。

「私はゲームとかもうやらないけど、ゼルダはちょっとやってみたいかもね〜え?あるの?ふーん、ま、ちょっと触ってみようかな。ちょっとだけね…。」

そして「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」を起動すると、世界がひっくり返った。幸いにも当時無職だった私は、メシ、フロ、ネル以外の時間はぶっ続けで没入。自然の厳しさ、美しさ、大地の恵み、人や獣との対話、全てをこの肌で感じることができた。かつて逃げることしかできなかった敵を意にも介さず倒した時、ふと自分の成長に気付くのだ。
あのハイラルでの旅を、冒険を、「所詮ゲーム」だなんて誰が言えよう。あれは間違いなく「体験」だった。
愛と情熱が詰まった公式設定資料集を購入し、号泣しながら読んだ。ブレワイを作ってくれた全ての人間に感謝したい。大人になってからというもの、「ゲームなんて不毛で意味がない」とどこかでバカにしていた自分がいたかもしれない。ゲームをやっているということを後ろめたく思うこともあったが、ブレワイはそれをひっくり返してくれた。ゲームは私が知らぬ間にとんでもない進化を遂げていたのだ。ただのバーチャルだと片付けてしまうのは勿体無い。

思えば1990年生まれの私の人生、ほとんどいつでも身近にゲームがある。アーケードにハマっていたこともあって、REFLEC BEATやクイズマジックアカデミーにもそれぞれ10万はつぎ込んでいると思う。
改めて考えたことはなかったが、たぶん、私はゲームが好きだ。当たり前すぎて気づかなかった。
最後に、ここまで読んでくれたあなたには私の心に残った思い出のゲーム「焼肉シュミレーションゲーム 焼肉亭」を紹介して締めようと思います。

それではおたのしみください。



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