愛か、死か。

知久くんが忘れられない。
もう20年も前の事だというのに。
高校の同じ部活の1つ上の先輩だった。
でも当時から運命めいたものは感じていたものの
彼には彼女がいたし、実の父から性的虐待を受けながら育った
私は自暴自棄になって何人もの男を作っていた。
名前の後に、ねこ、と付けられて呼ばれていた。
彼は猫が好きで、でも私の飼っていた猫のことは
デブと言っていじっていたけど、あれは嫉妬だったのだと今では分かる。
私が私の猫を愛し過ぎていることが、気に入らなかったのだろう。
だからその何倍も、私を愛した。
しかし彼は重篤に精神を病んでおり、私もその生い立ちから
3つの精神疾患を併発していた。
愛されれば愛されるほど、愛せば愛するほど、
ふたりの辿る道は心中しかないことは日々、明白になっていった。
愛か、死か。
突きつけられた時計の秒針の音が今でも耳から離れない。
一緒に自殺することは、一ミリの狂いもない愛を貫くことに他ならず
全く恥じることでも恐れることでもなかった。
なかった、はずなのに。
私は、生き延びることを選んだ。
私なしでは笑うことすらできない彼を捨てて。
皮肉屋で、他人の輪には加わらず、極度の写真嫌いなのは
人間が大嫌いだから。それ以上に自分が大嫌いだから。
彼が好きだったバンドは、泣きたくなるくらい優しい歌ばかり歌う。
そのバンドのマスコットキャラクターを、多少は裁縫の心得のある私が
ぬいぐるみにしてプレゼントしたら、煙草のヤニで真っ黄色になるまで
片時も離さず傍に置いてくれた。
別れの時、彼はそれを私に返した。
大切にしてあげてね、と10分後にメールが届いた。
僕のことはもう大丈夫だから、と、言わんばかりに。
嘘つき。
何の価値もない命でも、人間はいざとなると
命がけで愛した人よりそれを優先する。
なんと浅ましい。なんて汚らわしい。
自分の業を思い知りながら、歩く彼と暮らした街は
もう訪れることは2度とないことを知っている脳と心が
心臓麻痺を起こしそうなほどに焼き付けていた。
生きているかどうか確かめる術がないわけではない。
でも、できない。
もしも、もうこの世にいなかったら、それは私のせいなのだから。
その責任を取る覚悟が私にはない。
後を追いたい。
けれど今の私には、精神病院にまで付き添ってくれる夫がいる。
簡単に捨ててはいけない命に成り果ててしまった。
簡単であればあるほど、それが純潔であることを知っているのに。
彼と死ねばよかった。
なんで死ねなかったんだろう。
何の価値もない命でも、いざとなると人間は1ミリの狂いもない愛より
それを優先する。
己の醜さを憎みながら。泥水のような涙に暮れながら。
知久くんが忘れられない。
もしも再び会えたら、今度は絶対に離さない、離れない。
今持っている全てを捨ててでも、彼が死を望んだとしても、
もう逃げない。
なんて言ってても、生死を確かめる勇気すらない自分に
そんな覚悟を誓う資格など、はなからないのかもしれないが。

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