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言語化の壁/気持ちを言葉にする方法を知らない私たち

本を読む習慣がないのにブログやSNSで、文を書いては発表している。
時々行き詰まって書き方を調べるが、説明されているのは記事や小論文のようなものばかり。私が知りたいのはそういうのじゃない。

SNSを開くと、どうやって言語化をするのかよく嘆かれている。それどころかキャッチーな言葉を2つ3つ並べただけで、我こそは完全言語化しているぞと堂々とアピールしている人だっている。完全に言語化?そんな事が出来る人いるのだろうか。信じ難い。分かるのは何かを伝えたい熱い気持ちがある、ただそれだけ。
とにかく、言語化というキーワードは私だけでなく、皆んな引っかかっているようだ。

完全言語化は文豪だって出来ない
だから文を書くのだ


伝えたいものって熱意だけでは伝わらないだろう。何度も読みたくなるような一文がないと、伝えたい言葉は簡単に流されていく。読み手が思わず唸るような、何度も読み返したくなる一文が必要だ。

キャッチーな言葉を使うのなら、一文の中で一つだけ光る言葉を用いると、より読み手に印象付けられるはず。キラーワードの使い過ぎは、パッと見ただけで胸焼けするもの。

スマホやPCなどの端末で書かれた文は、手書きではない。だから清書された活字に見えて出来た文に見えてしまう。ここに惑わされてはいけない。流行りの言葉を並べただけでは、言語力があるとは言わないのだ。

SNS世代の私たちは、自分の気持ちや考えを言葉にして誰かに伝えたい。だが、どうやってその感情をひっぱり出せばいいのか、その感情にどの言葉を当てはめればいいのがが分からない。言語化を嘆く人たちはそう言いたいのだろう。ここがきっと壁なんだ。自分の気持ちをいかに掴めるか、そこにかかっている。分からないからといって、他人の言葉や文をそのまま使っていては受け売りになる。伝言ゲームじゃないんだからそれは辞めよう。

感情は埋もれやすい



感情を掴むのに、日々の喜怒哀楽をメモに取るといいと思う。嬉しい、悲しい、楽しいなど抽象的な言葉だ。それがどんな風なのかを、辞書から語彙を引っ張って具体化するのだ。これを当たり前にやると、語彙の量が増え思考も深まる。言語化は思考の整理なのだ。複雑な人の気持ちに言葉という仮のラベルを貼る。それらを順番に並べ、分かりやすく見える状態にする事だと思う。見えると人に伝わり易いはずだ。誰かに何かを伝えたいのなら、ひたすらこれを繰り返し書き続けるしかない。

出来れば、本も読んで映画も観る。漫画も雑誌も。掘り下げて読み解いていく。筋トレみたいに、語彙筋を増やすと壁が低く感じられるのではないだろうか。

トレーニングあるのみだね。




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