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飛鳥時代

飛鳥と検索すると真っ先に出てくるのは「乃木坂46」の齋藤飛鳥だったりしますねw・・・・・・・・・
久しぶりに「乃木坂工事中」を見たら(緊急事態宣言からあまり見なくなった)三期生の大園桃子さんが卒業&芸能界引退の回だったので驚きました。

ま、そんな話はさておき・・・・・・・w

飛鳥時代がいつを指すかを調べてみると広くは崇峻天皇の即位5年(592年)から和銅二年(710年)まで、狭義では聖徳太子の摂政就任(593年)から藤原京遷都完了の持統天皇即位8年(694年)までを指すそうです(Wikipediaによる)。

なので、私が調べて物語化しようとしているのは飛鳥時代の少し前から飛鳥時代の初めになります・・・・・・うーん、かなり「日出ずる処の天子」と重なるなぁ・・・・・・

飛鳥時代

飛鳥時代のイラストを探すと上記の様なイラストが沢山出て来ます。
高松塚古墳の壁画を元にしているのでしょうが、今の日本人の感覚からすると大陸風と感じるものでしょうか。
とは言え、三つの原因が重なってか、激動の時代であったようです。

気候変動について言うと、平安時代のように貴族がひたすらに日記に記録をとどめたことがないのではっきりは言えませんが、少し前に榛名山が繰り返し噴火したようです。
気温に関係するほどの規模だったかは分かりませんが、東日本は大変だったのではないか、と。
ただ、飛鳥朝がどのくらい東日本の生産に頼っていたかも不明です。
ヤマトタケルや四道将軍の東国遠征が記録されてはいますが、平安時代初期の坂上田村麻呂による東征までは東国は独立機運が高かったのではないかなぁ、と。今の愛知県から静岡県までが朝廷の掌握していた地域の限界?
それと三世紀の寒冷期から四世紀に回復したとは言え、七世紀までは地球全体は気温が低かったらしいです。
現代ですら平均気温が1-2℃下がれば大事ですから、気候的には厳しい時代と考えた方が・・・・・・
東国の反乱が繰り返し起きたのも、気温が低いため生産力が上がらず、朝廷の支配に反発が強かったから?
坂上田村麻呂の東征が成功するのも、平安時代の気候安定化が根本の原因かも知れないですね。

渡来人(と今は言うのかな)が増えたせいで疫病が蔓延しました。
聖徳太子のお父様に当たる用明天皇は痘瘡(今で言う天然痘?)で亡くなっています。
現代人とちがって疫病がなにによって起こるかも分からず、ただただ恐ろしいばかり。得体の知れない恐怖がはびこっていたのではないでしょうか。

上の二つはある意味で自然現象ですから人間にはどうしようもないことですが、人為的にも激動の時代となる大きな要因がありました。
それが三つ目、大陸情勢です。

大陸は三国志時代から五胡十六国時代を経て、魏晋南北朝の末期です。
ながらくシナ大陸のパワーが外に向かなかった時代が続いていました。その環境の中で朝鮮半島も日本も国の形を作ってきた訳です。
ところが589年に隋が中華帝国の統一王朝になります。
大陸のスーパーパワーは周辺国に力を行使しはじめます。
実際に隋は高句麗遠征に失敗して混乱し、唐に取って代わられますが・・・・・

唐のパワーが外に向いた結果が朝鮮半島の統一(高句麗と百済の滅亡)と白村江の敗北でしょうか。
それを防ぐためにいろいろと外交などの努力を進めたはずでしたが・・・・・

なんか今の世情と重なる気がする部分も有りますが・・・・・・・
いろいろと興味深い時代です。

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