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桃太郎リマスター 供養の第八回    ローマ帝国のミトラ教

物語の本当の始まり。第1章で「しかし、運命の歯車は――イサセリヒコ(五十狭芹彦)や太郎達とは関係のない場所で、彼らにはどうしようもない形で――既に回り始めていたのだ。それも遙か遠く、地球の反対側と言っても良いくらいの遠くでの出来事だった。
そんなことは彼らには知りようもなかった。」と書いた部分を語るのが第8章になります。

桃太郎を考えた時に「鬼」とは一体何の事だろう?と思うわけです。人外のモンスターの類いとしても、自由な発想なのだから構わないのですが、「温羅伝説」を読んでしまうと、そう通り一遍では片付けにくくなります。

温羅と王丹の素性をローマ人とすると、マルコポーロより遙か以前に、果たしてローマ人が東の果てにやって来るなんてあり得るでしょうか?

人間に、そんな長大な距離を移動させる情熱といったら・・・・・?

やはり宗教的情熱でしょうか?というわけで既に消えた宗教を調べて辿り着いたのが「ミトラ教」でした。ですから、最初に原稿を書き出した時はこの8章が冒頭にありました。

八、ローマ帝国のミトラ教

事件がいつ始まったのか、と問われれば、イサセリヒコ(五十狭芹彦)が認識するより遙か昔と答えるしかない。それはヨモロヅミコト(世毛呂須命)が気づくよりも遙か昔でもあった。
それどころか場所にしても、日本列島よりも遙か西、中華帝国でこそ大秦国などと認識していたかも知れない、かのローマ帝国でのことだった。
現代のイタリア半島にかつて勃興したローマ帝国はその領土を広げ、二世紀初めにはその版図をユーラシア大陸の西の端から地中海周辺部と旧オリエント世界にまで拡大した。しかし、早くも三世紀になると、帝国は危機を迎える。後世の歴史家が言う「三世紀の危機」である。
危機の原因は、食糧不足からゲルマン人が南下してきたことと、ササン朝ペルシア帝国の侵入とされている。
これは二世紀が比較的温暖で高緯度地方での人口が増えたのに対し、三世紀は寒冷化が進み、増えた人口が飢饉に拍車を掛けたことが発端となっている。
同じ時期に中華の「漢」帝国も「黄巾の乱」に始まる三国志の混乱期へ歴史が大きく動き出しているのだから、案外にこちらの動乱の原因も漢王朝の腐敗よりも地球規模の気候変動に大きな契機を見いだせるのかも知れない。
詳しいことを言えば、ローマ帝国はいわゆる軍人皇帝時代を経て、ディオクレティアヌス皇帝によって一旦はその「三世紀の危機」を乗り越えたとされている。しかし、それもテトラルキアと呼ばれる四分割統治のような奇異な体制でのものだった。その後はコンスタンティヌス大帝により再統一を果たすのだが、既にしてかつてのローマ帝国とは変容を遂げた、かろうじて統一性を維持したものに過ぎなかったかも知れない。
分割統治のような無理矢理感の強い体制にした最大の理由は帝国防衛に対する便宜であった。防衛の前線に近い場所に司令所があった方が即応性もあるし、方策の柔軟性も発揮しやすい、ということである。
帝国防衛のためにローマ帝国がローマ帝国である源とでも言うべき市民階級制度も変わらざるを得なくなる。市民兵制度では間に合わず、傭兵が常態化したり、ローマ市民以外の異民族も徴兵に狩り出されたりするようになったのである。これによって異民族――ローマからすれば蛮族――の地位が向上し、相対的に市民階級の地位は低下する。まさしくローマ帝国の価値観や社会制度を覆す大きな変化であった。ローマ帝国を防衛するために、守るべきローマ帝国そのものはすっかり変わってしまうことになったのだ。ローマ市民の地位の相対的低下のみならず市民の間での経済格差も拡大していった。
価値観の変化はローマ帝国をグローバル化させ、新しく世界帝国化させることにもなった。世界帝国となった大ローマ帝国は、その内在する多民族・多文化・多言語を寛容に受け容れる度量を備えざるを得ない。
周辺国や支配国・属国から流入した多種多様な宗教も容認されていく。
とは言え社会の変容や政治体制の流動性は、市民階級の生活の行く末にも不安を想起させるようになる。国境防衛の戦争にしても、伝統的ローマの神々にすがっているだけでは済まなくなり、他の信仰に拠り所を求めようとする者も増えることになる。
代表的なものにはキリスト教やユダヤ教、それにマニ教・ミトラ教・ゾロアスター教などがあった。現代の政教分離が当たり前の社会とは異なり、信仰に基づく世界観を持つ人間の方が多いため、宗教の異なる信者同士での争いも起こりやすい。
こうした信徒達の争いは為政者にとって悩みの種となる。帝国の宗教を統一することで、こうした争いをなくし、更に皇帝を宗教の法王とすることで権威を高めることまでが画策されようとしていたのであるが、それはまだ先の話である。
さて、そうした宗教の一つ、ミトラ教はこの時期興隆を極めようとしていた(事実、四世紀初頭に最盛期を迎え、直ぐその後にコンスタンティヌス帝がキリスト教を国教としたことで衰退し、やがては消滅してしまうのである)。
そんな中にあって、ミトラ教の最高位・大神官パテルパテラノは、神ミトラの予言におののいていた。世界の終わりが迫っており、ミトラ教の教えが消える時に、世界は消滅するという・・・・
大神官とその側近の神官達は何日も話し合いの末に打開策を探り、ミトラ神の新たなお告げから、一つの方針を決定した。
一人の若く情熱的な地区神官ミリウスが彼らによって選び出され、ローマ帝国の東方首都ニコメディア(イスタンブールのアジア側に程近い内陸部の都市、現在のイズミット)に呼び出された。
到着早々に、ミリウスは地区神官から大神官の側近筆頭である副神官に取り立てられた。
「どこであろうとも、私のいないところでは、あなたが大神官なのです」との言葉に、情熱的な新任の副神官は有頂天になった。
次に「あなたが選ばれたのは神のお告げによるものなのですが、苦難の使命を果たす覚悟はありますか」と優しく問われた。「私の申し出を断ることはあなたの自由です。それによって私が認めた地位が失われたり、今後の活動に不利益がもたらされたりしないと保証しますが、どうなさいますか」最高神官の代理を任じられたばかりの若者は躊躇なく「もちろん、いかなる困難も厭いません。私にその覚悟がないとお疑いなさいませぬように」と力強く肯定の返事をした。信仰への情熱と興奮に彼は陶然としていた。
「遙か東、日の昇る地にある王国へ向かって欲しいのです。
そこではローマ帝国とは全く異なった教えがはびこっていることでしょう。しかし、その地で邪教を排し、ミトラ神の教えを広めることが必要なのです。神の教えが絶たれた時に世界は消滅すると神は告げられました。
いまや世界は混乱の極み。大ローマ帝国といえども存在し続けられる訳ではありません。古の多くの王国が滅んだように、この帝国にも崩壊が迫っています。
世界は滅亡の危機に瀕しているのです。終焉の時は迫りつつあります」
若い副神官ミリウスは予言におののいた。
「ローマ帝国を襲った嵐は東から来ましたが、既に嵐の過ぎ去った地が東の果てにあると神は告げられました。そこで教えを広め、滅亡から世界を救わなくてはなりません。
その役を担うべき人物を神は指名されました。それがあなたなのです」
役目の困難を想像すると震えが身体の奥から恐れと共に伝わって来るのを感じたが、副神官は身に余る名誉に対する喜悦でそれを抑え込んだ。
自分はこのために生まれてきたのだ、とミリウス自身は実感した。
「神の奇跡の証明を求められる場面もあろう」と大神官パテルパテラノが取り出したのは小さな素焼きの瓶であった。「中には純粋な秘香アルキフが入っている。多くの信者に神の奇跡を体感させるであろうが、強力なだけに注意が必要だ。急性の中毒では死ぬ場合もある故に使用に際しては細心の注意を払わねばならない。害多くして理なしでは、邪教と変わらない」と大神官は注意深く素焼きの瓶を厚い布で何重にも包み込んだ。「封印されているから、効力は長い年月に耐えるであろう」
大神官の説明から察するに、アルキフは現代で言う麻薬に近いものであっただろうか。
次に取り出されたのは青銅色の鈍く光る玉であった。片方の手のひらにすっぽりと包み込むように持つことが出来る大きさだ。
「秘薬ハオマが中に入っている。エジプトのイムホテプより伝わりし秘術と共に使えば、死を遠ざける妙薬となる」と別の粘土板を指し示した。「秘中の秘である」と言った瞬間に大神官の瞳が恐ろしげに煌めいた。
「ここで覚えよ。別々に保管すべきものである。そなたはそれを所持せずに出かけなくてはならない。
このこと、他言無用である」
副神官は何度か口の中で復唱した。
「それを使うのは最後の最後。みだりに使ったり、誤って使用したりするくらいならば、失われてしまった方が良い。使い方を誤れば、魔に取り込まれることであろう。そうなれば災いは計り知れない。
奪われるくらいなら破壊するように。そして、事が成った暁には完全に処分するように。
この世に在ってはならないものなのだ」
大神官はそのことを幾度も副神官に誓わせた。
そうしてようやく、副神官ミリウスは、幾人もの信者からなる使節団を率いて東の果ての地の帝国へ旅立つこととなったのである。
それから幾年月、シルクロードを越える長い苦難の末に、ミトラ教の使節団が辿り着いた「世界の東の果て」と考えられた場所が中華帝国「晋」であった。
この晋帝国は、巷間で三国志と呼ばれる乱世の後に統一を果たした王朝である。三国時代に最大勢力を誇った魏帝国から司馬懿の子孫が帝位を禅譲されて成立したものである。
だが、統一から僅かに二十年、早くも晋帝国は崩壊が始まっていた。
使節団にとって晋帝国は安住の地から程遠かった。
東の最果ての帝国であっても、辺境を異民族が掠め、遊牧民の侵略が繰り返されている。そんな事情は彼らからすればローマと変わりなく写ったことであろう。
晋帝国の辺境ではそうした危険が頻発していると言うのに、首都・洛陽では賈皇后とその外戚・賈氏一族が権勢を欲しいままにし、まともな治政が行われていない状態である。法と秩序は皇后一族の思いのままであり、「後塵を拝する」という言葉がこの時に生まれたほどであった。権力と財力の前では法はあってなきがごとしであり、賄賂や買収が堂々とまかり通るし、貧民は打ち捨てられる一方で大金持ちは瀟洒を競い合っている。都の周囲では風紀・治安共にすっかり弛緩しているのが見て取れた。
「ローマ帝国と大して変わらないこの地が、布教すべき場所なのだろうか」というのが副神官の抱いた印象であった。
皇太后一族の惨殺とそれに続く王族殺害から十年というのが、当時の洛陽の状況であった。政変から十年しか経たないというのに、同じ都では、再び皇太子の殺害とそれに続く賈皇后一族の誅殺という変事が起こっていた。おびただしい量の血が流れ、数多の命が犠牲となっていた。
王族達は権力を握るまで、同族達と殺し合いをしていくことになるのであろうか。
「果たして、ローマ帝国の使節として、このような情勢の首都に留まることに意義があるのであろうか」と副神官ミリウスは思案した。
民衆の生活は不安定であり、ある時は逃げ惑い、別の時には暴徒となる。家財も人命も、その価値は信じられないほど軽い存在でしかない。そのような環境では、使節団がもたらそうという教えも、一顧だにされることはない。
目的である布教の許しを公的に求めた場合に、もしも権力者側が後援を申し出ても、一旦政変が起こりでもしたらどうなるか。新たな権力者によって旧勢力と一緒に粛正されてしまう恐れがある。このような場所で布教をすることが神の目的であるだろうか。
故国へ帰るかとまでミリウスは検討したが、晋帝国の西域では更に多くの人々が動乱の中に放擲されていることを考えると現実的ではなかった。何らかの物資や財産を持つ集団は、遊牧民の武装集団や匪賊などの襲撃対象となるし、そうした不安定な世情を倦んで民族ごと移動してしまおうという集団もあった。そういう集団もまた襲撃される運命になりかねないのだが、それを防ぐための武装集団や、あるいは同じ事をやりかえしてやろうという盗賊集団などが道中の草原には隠れ潜んでおり、とても無事にローマに戻れる見込みは薄そうだった。
こうした動乱の波は西へ広がるにつれて大きくなり、ゆくゆくは大きなうねりとなってローマ帝国に・・・
考えれば考えるほどに、自分達には帰る場所がないと思い知らされるのだ。
そんな中で彼らに情報がもたらされた。
「船で渤海を渡った楽浪郡ならば治安は保たれているとのことです」
「しかし、そのような夷狄しか住まぬ未開の地で、人は生きていけるものか。まして、ミトラ神の教えが理解されるものかどうか」
「おや、あなた方もすっかり漢人らしい考えに染まりましたね。
天命を受けた皇帝の治める場所以外に天の威光の届く文明は存在しない、等という文言は漢人の戯言です。中原から離れるに従い天子の威光は伝わりがたくなり、人は獣に近くなるなんて信じていないでしょう?
もしもそんなことが本当なら、あなたの故郷は西戎よりも遙かに劣る獣に近いことになる。そうは思わないでしょ?
実のところ、遼東半島から韓半島を越えて、更に東にある海には倭国があります。漢人は東夷とでも呼ぶようですが、昔の秦人には蓬莱と呼ぶ者もおり、仙人の住む別世界と考えていた国です」
「まだ東に国があると?」意外な言葉に副神官は驚いた。
ローマ東方首都ニコメディアにいた頃に大神官からは「東の最果て、日の出る国にミトラ神の役目がある」と告げられていた。その地で布教をするように命じられたのだ。
もっとも中華思想からすれば、それは説明する以前のことだった。世界の中心にあるから中華なのだ。東西南北それぞれに東夷・西戎・南蛮・北狄がいるのは自明である。
副神官は使節の教徒を集め、協議を行った。
「更に東に国があるのなら、我らの目的地はその地であるべきだ」と直ちに結論づけられた。混乱の極みにある晋帝国から早く立ち去りたかったのも結論がすぐに出た原因であろう。
一旦決定がなされたならば、彼らの行動は早かった。
渤海を渡り、遼東半島に着くや、足を落ち着けることなく半島を南に下ろうとした。
しかし、半島内も北部では他の遊牧民や蛮族の襲撃が繰り返されていた。
護衛役のローマ兵も次々に打ち倒されたが、生き残った者は遂に倭国を目指す船を調達し、海に乗り出すことに成功した。
彼らは倭国の中で最も文化が進んでいると伝え聞く筑紫の国を目指したはずだった。しかし、ミトラの神が更なる受難を望んだものか、あるいは八百万の神々が行く手を阻もうとしたものか、彼らの船は海流に流され、海岸線を目前に転覆してしまった。なんとか生きて辿り着いた先は別の国の海岸であった。
確かに晋帝国にあったような石造りの建物はなかったが、木造の家々が立ち並び、整地がされた土地には田畑が広がっていた。
それ以上に山々に広がる深い森は神々しさと畏敬を抱かずにいられない美しさを湛えている。
自然は厳しいようであったが、人々は正直であり、当たり前のように困った時には助け合う。盗みや暴力と日常的に無縁な場所・・・・・・・・・
海岸に何とか打ち上げられた彼らに手を差し伸べたのは地元の民だった。
ミリウスが辿り着いた国の名を聞くと「出雲」という答えが返ってきた。
時に西暦で言う三〇一年のことだった。
「確かにこの地だ。こここそが大神官のお告げになった地であろう」と、ミリウスは使節団の教徒達に言った。
と言っても、使節団は五人しか残っていなかった。副神官ミリウスの他には、技師が二人にローマ兵が二人のみ。副神官の手助けをすべき教団の助手たちは皆失われてしまっていた。
だが、副神官ミリウスは傲然と宣した。
「ローマ人がいなくなっても、この地で信者を作れば、それが家族となり、力を合わせることが出来るはず。何も心配することはない」
技師達は未開の土地に呆然とし、後悔のため息をつくのみ。
一方、生き残りのローマ兵は信仰心に厚い兄弟であった。彼らは未知の土地を目の前にしても絶望を微塵も感じていなかった。
二人には何ものをも恐れない勇気が備わっている。
彼らの名前はオルランドとアントニオ。互いに「オーラ」「トーニオ」と呼び合っていた。

まさしくこの年、但馬(現代の兵庫県北部)に程近い播磨の山奥で太郎は生まれたのだ。

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