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謙虚なリーダーシップ~飲み会に行こう、嫌なら去ろう

読み終わりました。第三章以降は具体例も増えてサクサクっと読める感じでした。

これまでのまとめ

業績のよい組織が目標を達成するのは、形式ばらないコミュニケーションがサプリメントとして作用し、レベル1の官僚主義的な会話なら必ず生じる誤解やコミュニケーション・ギャップを、しばしば防ぐからだ、と。

P100

レベル1のトランザクショナルな、単なる業務上の関係では、しばしばミスコミュニケーションが発生します。部下からしてみれば、上司への報告がちょっと曲解されているなと思っても、わざわざ訂正するのも面倒だし放っておこう、と思うことは多いでしょう。それがレベル1の関係の限界だというのです。

伝統的なヒエラルキーでは、レベル1の形式ばった考え方をすることが、下位の者にとっては利益になる。なぜなら、上司の命令に従っていれば安全で、考えすぎる必要も責任感を持ちすぎる必要もないからである。だが、もし上位の者が打ち解けた、より個人的なレベル2の関係をつくるなら、そして、計算尽くではなく誠実に接するなら、それが強力な後押しになって、下位の者は、大切に考えてもらっていると感じられるようになるだろう。

P102

もし、単なる業務上の関係を越えて、上司と部下が個人的なレベル2の関係に近づくことができれば、その組織はとても強いものになります。

VUCAを当たり前と考えるイノベーション志向の会社では、会社が成熟するにつれ、一匹狼を思わせる英雄のようなリーダーは、適切な判断を下すための情報に漏れがあるせいで、きっと苦労することになる。すでに述べたとおり、謙虚なリーダーが他のリーダーと違うのは、レベル2という最適な関係をつくることに長けている点だ。この関係があれば、革新に不可欠な、より多くの、よりよい情報フローが、高速で絶えずもたらされるのである。

P161

もう、ビジョナリーなリーダーシップは時代遅れです、これからは謙虚なリーダーシップが大事なんです、というのが本書の主張です。

どうやってレベル2になるの

個人的な関係を作るには、まず上司が心を開いて部下と対等になろうとする必要があります。それが本書で重要視する「謙虚」な姿勢です。逆に、心を開かないレベル1な上司に対して部下からアプローチできることはほとんどありません。本書の事例でも、上司の理解が得られない場合はみんな諦めて転職していきました。

協会に入った理由を「飾らず率直に」話してもらう目的は、この組織に所属していることをパーソナイズし、それと同時に、集まった情報から、このタスク・フォースのメンバーが資金調達キャンペーンに実際どれくらい熱心に取り組むかを推測することだった。

P172

会議の場面で個人的な思いを語り合うことで、お互いに個人的な関係に近づく、そういうチームビルディングが有効だ、という例。

最初は、ちょっとした集まり(会議ではなく、無料のランチか軽食を食べながらの、全メンバーがそろう集まり)をひらき、ざっくばらんなチェックインをして、どこまで話すか、どれくらい受け容れられているかを測りながら、互いをほんの少し知ってもらうのである。食べ物と飲み物があれば、ともに食事をする人間として、誰もがおのずと同列になる。それは、心理的安全性を促進しようと思うなら、必須である。

P177

一緒にご飯を食べれば仲良くなるよね、という例。

そういえば、友達になるための7つの柱がある、みたいな話もロビン・ダンバーさんがしていましたね。それと通じるものもあるのではないでしょうか。

逆に、上司がどれだけ心を砕いても、全然分かってくれない部下に対してはどうしたらいいかというと、やっぱり去ってもらうしかないようです。合わない人同士が無理して一緒にいてもいいことはないんですね。

基準を設定し、それに満たない行動にはノーと言おう。忠告してなお基準に従って行動しない人がいたら、マネジャーが何を書こうが言おうが、その本当の意向は、どんな行動を称賛したり大目に見たりするかに示されていることを思い出して、グループから外れてもらおう。これくらいでもいいと甘んじてしまったら、その程度のものしか手に入らなくなってしまうのだ。

P109

レベル2になるという学び

自分が上司と近くなって課題に取り組むということは、それだけ課題の核心に近づいて、より深く真剣に考えることになるのです。心理的安全な関係だからなぁなぁで済まされるのではなく、心理的安全だからこそズバズバと切りあって切磋琢磨していくことになります。

リーダーとフォロワーの関係を、「リーダーとリーダー」の関係へ変える。最終的には、誰もが自身の領域のリーダーになることが目標だ、と。彼らを謙虚なリーダーとするなら、彼らはみな、いつどんなときも、互いから情報と支援を求めるようになる。すると、あらゆることが、共通の目標に沿って、確実にうまく進み出す。

P154

コミュニティの中心に近づくことそれ自体が学習である、と正統的周辺参加の考えでは定義されていました。コミュニティの活動を通して実践した経験こそが学びとなるのです。

プログラムを理解し、受け容れるだけでは不十分だ。なぜなら、医師と経営幹部がやり遂げなければならない抜本的改革のいくつかにおいて、自分が個人としてどんなことを行うのかを、本当には理解していないからだ。理解するには、知識として知るだけでなく、個人的な学習体験をする必要がある。そうすれば、改革に積極的な熱意を持てるようになるのだ。

P86

ただ、なんでも経験すればいいというわけではありません。ジョン・デューイが「経験と教育」の中でも言っていましたが、経験したことの意味をきちんと過去の蓄積と照合すること。そして過去の知見と自分の経験を結びつけること、そうやってセンスを磨くことが大事です。

センスメーキングこそが、個人とグループが学ぶべき基本プロセスであるということだった。なぜなら、経験しても、そのままでは、最も重要かもしれない意味やシグナルがもたらされないからである。

P182

結局、昭和

なんとなく、心理的安全性みたいな新しい概念がいっぱいで、新時代がやってくるのかなぁ、って気もしますが、でも読んでいくと昭和の人情が一番えらかったんじゃないか、って感じもうかがえます。

郊外にあるCEOの自宅に招かれ、二人で一昼夜にわたって話し合ったことがあった。最初はエドガーもよくわからなかったが、すぐに明らかになった──このとき以降、チバガイギーとの仕事のプロセスがなぜ加速したのかが。個人的な環境でともに過ごすことによって、一気にレベル2のつながりができ、信頼が生まれ、さらに、変革への活動を成し遂げるのに欠かせない率直さがもたらされたのだった。

P170

飲み会で愚痴を言い合う、って最高に個人的でレベル2の関係じゃないですか。飲み会万歳!

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