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資本論 10. 分業と機械化

今回は資本論の第四篇「相対的剰余価値の生産」(第一〇章「相対的剰余価値の概念」、第一一章「協業」、第一二章「分業とマニュファクチュア」、第一三章「機械と大工業」、P320~412)を総括します。ここは資本論のクライマックスか!?ってくらい充実して面白い章でした。

相対的剰余価値について

前回、労働時間を増やすことで剰余価値を生み出すという話をしましたが、これは労働時間が増えれば増えるだけ剰余価値が増えるので「絶対的剰余価値」と呼ぶことにします。一方、生産性を向上させることで得られる「相対的剰余価値」というものについて今回は詳しく見ていきます。

生産性については第一章「商品」の中でも少し出てきましたが、今まで上着を一着作るのに1時間かかっていたのが30分で作れるようになれば、生産性が2倍に向上したと言えます。しかし、労働者が1時間労働したという事実に変化はないので、生産物の価値が下がり、労働力の価値も相対的に下がることになります。今まで上着1着1000円だったのが、生産性2倍になることで上着1着500円となり、労働者は上着2着作ってようやく1000円の価値を生み出す、ということです。

ここで、全世界が同時に生産性2倍になったなら損も得もないのですが、もし自分の工場だけが生産性向上に成功したらどうでしょう。世の中では1着1000円の上着が売られていますから、自分は1着900円で売れば400円儲かります。これが相対的剰余価値です。この儲けは資本家(雇用主)のものとなります。こうして、資本家たちは生産性向上に励み、商品の値段はどんどん下がっていくのです。

生産性を向上させる方法

最も基本的な方法が「協業」です。多くの人が一緒に協力して働くこと。人間は社会的な動物なので、一人で働くよりも誰かと協業した方が頑張って多くの仕事をこなします。また、一人一人が好き勝手な仕事をするのではなく、一つの大きな仕事を為すために分業することで、さらに効率は上がります。自分はこの作業だけを行う、と特化することで作業の専門性が上がり、作業切り替えに伴うすきま時間が減り、一人当たりの労働密度が高まるのです。

こうして分業が進むと、労働者たちは一人で商品を作れなくなります。それまで上着職人として裁断から仕上げまで全工程をやっていた人が、分業によって製造の一工程しかやらなくなります。労働者の作業は単純化され、労働力の価値は下がります。そして、資本家が用意した作業場の中でしか生産的活動力を発揮できなくなります。

こうして労働者の作業価値は下がり、そんな労働者を束ねて指揮して製品を作り上げる資本こそが商品の価値を生み出していることになります。資本には生産におけるノウハウが蓄積し、労働者は製造のための歯車として動くだけになるので、資本による労働者の支配はより強固になるのです。

機械の登場

さて、これまでの分業は工場制手工業(マニュファクチュア)と呼ばれる、手作業の分担がメインでした。分業によって労働が単純化されたといっても、まだ各作業は手作業なので、ある程度の熟練技術を必要としていました。

しかし産業革命によって機械が発明され、分業形態はさらに大きく変化します。機械の操作は筋力を必要とせず、熟練作業も全くなく、婦人・児童でも十分に働けるようになりました。こうして今まで成年男子だけが労働していた労働市場に家族全員が投入されるようになります。こうして労働の価値はさらに下がります。

第八章「労働日」で、労働者に払われる賃金は労働者が次の日も生活するための維持費という話をしましたが、これは労働者本人だけでなく扶養する家族の分も含まれます。家族4人を養っている成年男子の賃金は家族4人を養えるだけ必要でした。しかし家族全員が働くようになると、自分1人を維持できる賃金で十分、ということになります。こうして労働の価値はどんどん下がり、商品価値との差額である相対的剰余価値がどんどん資本の懐に入っていくわけです。

機械化が進んでも楽にならない仕事

さて、機械化の進んだ工場では、たとえばかつて24人の労働者が行っていた仕事を2人で出来るようになります。絶対的剰余価値というのは労働時間を延長することで生み出されていましたから、かつては24人から6時間の延長分を搾り取れば、144時間分の価値が手に入りました。しかし、それが今では12時間分の価値しか生みません。

自社工場だけが機械化されて、他社がみんな昔ながらの手工業をしているなら、削減された22人分の労働も相対的剰余価値となりますが、どの会社でも同様の機械化が進むと、結果的に入手できる剰余価値は激減します。

剰余価値を生産するために機械を使用するということは、このような内在的な矛盾があります。これを埋め合わせるために、資本は労働者の労働時間を増やし、労働の密度を高めるしかありません。機械化によって人間が楽になるのではなく、機械化したせいで減った労働時間を補うためによりハードな仕事を課せられます。一人に任せられる仕事量はどんどん増えていきます。コンビニバイトみたいですね。

コンビニは別に機械化されていませんが、マニュアルが整備されすぎて人間が機械のように動いて効率化されて生産性が向上したから、そこから更に利益を得るために宅配の取り扱いを始めたり行政サービスを請け負ったり、どんどん仕事の範囲を拡大しないといけないんですね。

利益が搾り取れなくなった現代社会

このように生産性が高まりすぎて利潤率が非常に低い水準まで低下してしまった現代社会では、対策として「構造改革」などの新自由主義と呼ばれる政策が出されています。たとえば郵政民営化のような、政府による公共サービスを民営化するやつです。

これらは経済成長のために行われているかのように言われていますが、実は本当の目的は経済成長ではなく、社会保障を減らすことで労働者の実質的な給料を減少させ、剰余価値を増やすことなんだそうです。あの手この手で労働者から搾り取ろうとしているんですね。

機械化によって破壊される既存市場

機械化された工場では人が不要になり、労働市場には労働者が満ち溢れます。すると、機械化されていないあらゆる産業部門においても、労働力の価値が低くなります。

また生産された安い製品は、既存の手工業による生産を破滅させます。機械化されていない手工業は、安価な労働者の労働時間を無制限に延長することだけが競争力となるため、工場よりもさらに苛烈な搾取が行われるようになります。

機械化の進んでいない発展途上国では、先進国から安価な工業製品が流入することで製造業が崩壊し、第一次産業として綿花や羊毛など原料を生産して輸出するだけの植民地化が進んでいったようです。

そして訪れる恐慌

ここまで見てきた生産性と利潤率の変化をまとめます。

市場が拡大していく段階では利潤率も上昇しますが、市場が繁栄して生産性が向上すると、それに伴って利潤率が低下し始めます。資本家たちは利潤率の低下をカバーするために投下する資本を増大させます(最新鋭の機械を導入するなどして更なる生産性向上に努めます)。やがてそれも限界を迎えて過剰生産となり、資本をいくら投下しても利潤を増やすことができない飽和状態に陥ります。こうなると生産の拡大がストップし、恐慌が発生するのです。

第三章「貨幣または商品流通」において、過剰な商品供給により商品売買の連鎖が途切れると、お金が流通しなくなり恐慌になると説明しました。これが実体経済における利潤率の観点からも同様に説明できるのですね。

機械による自然破壊

このように資本主義は市場を破壊し、労働者を苦しめ、恐慌をもたらすと分かっても、その活動を止めることはありません。そして、それは自然破壊に対しても同様です。資本主義は自然現象を無償で利用してきたので、自然の回復に対しても全く配慮をしません。

しかし第五章で見たとおり、ほんらい労働とは人間が自然との物質代謝を媒介し、規制し、制御する一過程なのであって、物質代謝を持続可能な状態に制御しない限り正しい労働とは言えません。マルクスは、だからこそ資本主義は変革されなければならないし、変革されなければ自然も人間も破壊されて生きていくことはできないと考えました。そのために、資本家の作り上げた工場システムとは違う協同体を作って、新しい社会システムを構築する必要があると訴えています。

近年、SDGsをキーワードとして、国や企業を超えた世界横断的な取り組みが盛んに行われているのは、まさにマルクスが主張していた通りのことが実現していると言えるでしょう。

資本主義の抱える自己矛盾

資本主義は労働者から熟練の技や知識を剥奪し、労働の価値を貶めて支配してきました。しかし同時に、生産性を絶えず向上させるために優れた技術を有する人材を確保する必要性に直面します。資本が吸収した知識を活用して、新たなる技術革新をしない限り、相対的剰余価値を生み出し続けることはできないからです。そのため資本は職業教育や技術教育を行う必要がでてきます。

マルクスは、そこにチャンスがあると考えました。教育によって労働者たちが再び知を取り戻せば、資本の支配に対抗することができるはずです。労働者たちは団結して、企業を横断した労働組合を作り、社会を改良する力となります。

現代では情報テクノロジーの発展を通じて、工場システムとは違うSNSを通じたコミュニティが形成されたり、先にも述べたSDGsのような社会システムが作られたり、確実に資本主義からの脱却は進んでいると考えられるのではないでしょうか。

感想

本書は1867年に書かれたというのに、現代にも通用するSDGsのような考え方まで予見していてすごいなぁと思いました。バブル崩壊と長期デフレも資本の運動の中では当然の帰結のようで、これから私たちはどこを目指して頑張っていけばいいのだろうか、という気持ちになりますね。

マルクスは、それが新しい協同体・アソシエーションによる社会だと言っていますが、ソ連の社会主義も結局はうまくいかなかったですし、何か解決の出口はあるんですかね。その糸口がこの先を読み進めたら見つかるといいのですが。

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