”In Plato’s Cave” 冒頭部分より - まえがきに代えて

In Plato’s Cave
 Humankind lingers unregenerately in Plato’s cave, still reveling, its age-old habit, in mere images of the truth. But being educated by photographs is not like being educated by older, more artisanal images. For one thing, there are a great many more images around, claiming our attention. The inventory started in 1839 and since then just about everything has been photographed, or so it seems. This very insatiability of the photographing eye changes the terms of confinement in the cave, our world. In teaching us a new visual code, photographs alter and enlarge our notions of what is worth looking at and what we have a right to observe. They are a grammar and, even more importantly, an ethics of seeing.
Sontag, Susan (2011-03-31T22:58:59). On Photography (Kindle の位置No.31-37). Farrar, Straus and Giroux. Kindle 版. より

はじめに

Susan Sontag の On photography を読み直してみたいと数年考え続けてきた。できれば原語(英語)で。

Susan Sontag (1933-2004) https://en.wikipedia.org/wiki/Susan_Sontag

"On Photography" は1977年に発表された散文的批評集である。日本語訳は「写真論」というタイトルが与えられて出版され、私が若い頃には大変に話題になり、参照されたテキストである。ただ、私はこの「写真論」という日本版のタイトルはあまりふさわしくないと考えている。どちらかといえば「写真術がもたらした時代の変化について(の随想)」とすべきだろうか。それが長すぎるとすれば「『写真』について」あたりが適当だろう。うん。直訳が適当だね。On photography : 写真について 

ソンタグ自身はこれを  "a progress of essays about the meaning and career of photographs." と述べている。

読書ノートとして

すでに「写真論」として和訳されたものがあるので、通読するにはそれを読めばいい。私もかつて何度も繰り返して読んだし、それでも充分だと思う。ただ、既存の訳はいささか日本語が古いことと、当時と今では社会状況も違う。なので、今の時代の感覚で新しく「原語で」読んでみたいと考えた。

「写真論」が和訳された頃はまだPC:パーソナルコンピューターもなく、当然インターネットなど存在していない。また、若者が写真撮影で身を立てようとしたら「新聞社や雑誌者のカメラマンになるか、それとも広告に進むか」というところから考える時代だった。当時「シリアスなフォトグラファー」というと暗に報道写真家のことを意味し、広告写真など「軽薄な宣伝写真。プロパガンダ」呼ばわりされていた時代だ。当然「Artとしての写真」などは考えも及ばなかっただろう。日本語版を読むときには、そうした時代状況の中で「読者として」ソンタグが書いた言葉を読んだ訳者が日本語訳を行なったことに注意が必要と思う。(どうやら日本語版の著者は映像作家のようでプロフェッショナルな翻訳家ではないように思われる)

とはいえ。私の英語力も大したことはなく、ちょっと込み入った話は辞書と格闘しながらなんとか理解するという程度だ。日本語で書く方も決してプロフェッショナルではない。なので「新訳」をモノするなどとだいそれた事は考えず。ただ皆を代表して辞書を引いてメモを取る作業をして、そのノートを公にしていこうというくらいの気持ちで始めようと考えている。

「プラトンの洞窟」とは

On Photography が書かれた当時と状況はまったく変わっているが、一方でソンタグが序にかえて書いた「In Plato’s Cave」の冒頭で示された洞察は現代にも完全に通じていると感じる。 

ソンタグが Plato's Cave と記したのは、プラトンが著書の「国家」の中で示した「洞窟の隠喩」が前提となっている。Sontagがこの批評集を書き始めるにあたって In Plato's Cave と題した意味はまずこの概念を知らなければ理解できないだろう。

洞窟の隠喩:https://ja.wikipedia.org/wiki/洞窟の比喩 
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。
ALLEGORY OF THE CAVE http://3l3.jp/egg/allegory-of-the-cave/
The Allegory of the Cave, or Plato's  Cave: https://en.wikipedia.org/wiki/Allegory_of_the_Cave

思うに。かつて写真術がもたらした意識の変革と似通ったインパクトを我々に現在与えているのが、インターネットやSNSといった新しいメディア環境なのではないか。

洞窟の中で、実体を見ようとすることなく、篝火に映し出される影(イデア)に翻弄されるヒト:人類の現状について考えるために、ソンタグが記した随想をたぐることは無意味ではあるまい。 私自身の気持ちはいまそこに向いている。

洞窟から一歩踏み出すために。


ぼんやりと暮らしています(謎)