哀しかったこと

「あ、そうだ!ねーねー、わたしのチェキ買わない?」

渋谷の交差点でそんな言葉が聞こえた。言われたのはオレじゃなかった。すれ違った時に会話が聞こえてきただけだ。そのカップルは、オレの偏見に塗れたフィルターを通して見ると、一見して不釣り合いだが、ある意味では絶妙に噛み合っている二人だった。
男は、おそらく四十代、禿げた頭と、チェックのシャツとジーンズで痩せた身体を包んでいた。女は十代後半か、二十代前半だろうか。濃い化粧と明るい髪は年齢を隠し、肩や脚を出した露出の多い服で肉付きの良い身体を飾り、カラーコンタクトの瞳が無機質に光を反射していた。見る人が見れば抱きしめたくなるのかも知れない。

瞬間、邪推してしまう組み合わせだった。ふと聞こえた言葉が、何者でも無く、女も居ない男の虚しさを表していると思った。オレも同じだから、彼の愚かさが手に取る様に分かってしまった。そう、あの女の隣にいたのは紛れもなくオレだった。

オレ達は社会の底辺にいる。金が無いということではない。独りで生きていける程度には稼げるだろう。しかし、時間も金も根こそぎ奪い取られるという意味で疑いなく弱者だ。経済的食物連鎖の底に位置するのがオレ達だ。自分のために金を使えない。本当に必要なものが何か分かっていないからだ。だから、どうでもいいことに金を使ってしまう。だから、何かを買うことでクソみたいな人生が打開できる、という言葉に踊らされてしまう。大嘘だ。人生が打開できるのは、そいつが人生を打開できるからだ。少なくともオレにその力は無い。

彼は、彼女のために、お情けのメッセージが入ったトイカメラの写真を買ったのだろうか。勝手だが、買わないでいて欲しいと思った。会うだけだったら良いだろう。飯を奢ってやるくらいは付き合ってやれば良いと思う。しかし、あの提案を承諾したら、それがそのまま奴隷の証明になる様に思えた。多分、あのカップルは上手くいかないだろう。カモだと思われていたら、そこから這い上がる事は難しい様に思えた。偶像が手に入るかも知れないと思って金をつぎ込んだ男の末路を、オレ達はよく知っている筈だ。

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