自己肯定のこと

あたかも自分が有名で有能な存在で在る様に言う事に嫌悪感が有る。最近の風潮なのだろうか、自己肯定感を高める、というのが主流となっている気がする。SNSを開けば肩書のオンパレード。どう考えても肩書を付ける程大したことをしている様には思えない人間が皆様ご存知の私でございますという顔をしている気がしてならない。考え過ぎか。もちろん、そういう奴等は別にオレなんかに向けて言っているわけではない。だがその得意気な顔を見るとどうしても言いたくなってしまう。誰だお前は。

この社会で生きようとするなら何かを売らなければならない。パーソナリティ、生活、財、笑顔、思想、知識、時間、記憶。売れるものなら何でも良い。その為にはこれは良いものですと誇大広告すら辞さない態度が必要なのかも知れない。確かにこれはゴミだと言ってゴミを売りつけるのに腹が立つものだろう。しかしオレはゴミをあたかも理想の製品やサービスであると自信満々に売りつけられることの方が腹が立つ。初めに重要なのは売っているものの品質がどうかということで、どうやって売り出しているかということではない。お前が売り出しているのは本当にお前が言う程素晴らしいものなのか。自分で自分のブランディングをするのが正しい態度なのか。ブランドというものは他者が認識して初めて意味を持つものであって予め自らそれを誇示していく手法は醜悪だし無意味だ。自分に誇るものが何も無いし他者からの肯定は得難いものだから、最後の手段として自分で自分を肯定するしか手がないのだろうか。

恐らくこの態度はオレに不幸しかもたらさない。人間というものは一体、人生の内で何度完璧な仕事ができるだろうか。そしてそれが他の多くの存在にとっても完璧なことは幾らも在るのか。だが、オレがオレを肯定しても意味が無い。何故ならオレは”誰か”に肯定して欲しいのであってクソみたいなヤツに肯定して貰っても全く嬉しくないからだ。理想が具現化することは数少ないしオレがそれを出来るという保証も無いが、オレにとって理想的な作品や仕事が在るということを知ってしまった今となってはそれを目指さざるを得ない。呪いをかけられてしまった。もう遅い。

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