ツイてない日のこと

「私、自分のことをレズビアンじゃないかと思ってるんですよ!」

新宿のバーだった。一人で来て適当に隣の席同士で話す様なカジュアル色の強い所で美味くも不味くもない全く無難な酒が出てくる。客層は若く、適当な酒で適当に酔いたい時に偶に行く場所だった。その女も若かった。自分が初めて交際した男に恋愛感情を抱けないという悩みを大きな声で語り、その隣の男が更に大きな声で励ましていた。完璧な布陣。嫌な所に来たと思った。

その女は友人からの紹介で付き合い始めた恋人への不満を止め処なく語っていた。とても優しく良い人で、友人に相談しても付き合ってみたら恋愛感情が分かると言われ付き合ったが、二ヶ月程経っても恋愛感情は全く湧かない。彼からほぼ毎日連絡が来るのが鬱陶しい。私は一日置いてから返しているのだからそこは察して欲しい。自分は独りの方が楽しい。このままじゃまずいと思って色々ネットの情報を調べたが、恋愛感情を抱けば人は相手からの連絡が楽しみでしょうがなくなる、相手に尽くしたくなる、というのが一般的な様だ。しかし私はそんな風になったことがない。ひょっとしたら男性を好きになれないのかもしれない。レズビアンなのかもしれない。アセクシャルなのかもしれない。等々。

ここまでステロタイプなのも珍しい。自分が他人と違うという勘違いをすることも含めてどこまでも陳腐だった。そしてそれに付随する大声の相槌。オレは参加する気も無いので端の席で黙って酒を煽り、速やかに場所を変えてホテルにでも行って欲しいと思った。半年程経った現場が余りにも狂っているので適当な仕事をして逃げる様にそこに来ていた。最悪の気分だったから一杯二杯酒を飲んで帰ろうと思っていたのに、更にクソみたいな所にブチ込まれてしまうなんて、只管ツキが無かった。タバコが欲しいと思ったが、生憎吸えない所だった。調子に乗るのはある種の若い女の得意技で、オレの精神に余裕があれば適当な相槌でお茶を濁せただろう。しかしその時オレは疲れていた。

そして更に悪いことに男が帰って行った。思ったより酔いが回るのが早かったのだろうか。そこは根性を見せて欲しかった。女はバーテンダーと続きを始めオレは相変わらず大して美味くもない酒を煽って、ただ時間が過ぎるのを待った。

「どう思いますか?」

相手をするのが面倒になったのか、バーテンダーがオレに話を向けて来た。客はオレと女しか居なかった。オレはその日ツキが底を突いていたらしい。

二ヶ月経っても独りの方が楽しいと思うのであればもう既に結論は出ている。速やかに恋人を解放してやれ。お前は付き合うということの前に自分は一体どうしたいのか、何をしたら楽しいのか、どういう相手と交際したいのかということを全く具体化できておらず、それで適当に、しかも初めて交際した男と燃え上がる様な恋愛をしたいというのは高望みが過ぎる。恋愛感情を抱けばどうなるというのはあくまで一般的な例であり、人間だったらこう反応する筈だ、という雑な括り方は止めろ。お前は察して欲しいとばかり言うが、恐らく超能力者でない彼がそれを理解できないのは仕方がない。止めて欲しいのであればちゃんと伝えろ。また、毎日連絡するのが楽しいと思っているであろう恋人をお前が察せないのは何故だ。それは傲慢であり、上手くいかないのはお互い様だ。お前は白馬の王子様を待ち望んでいる、どこにでもいる普通の女だ。あるいは初めて競馬場に来て予想屋に言われるがままに一枚馬券を買い、当然の様にそれがハズレ馬券に変わったことで、私の馬券が万馬券にならないなんておかしい!競馬のシステムは酷い!この競馬場は怪しい!と延々不満を述べている唯の馬鹿だ、の様なことを言った。意見を求められたので仕方がない。それで会話は終わった。この店には二度と来なくて良いと思った。

許されるなら気の毒な男の代わりにその女に平手の一発でもかましてやりたかった。若者の若者であるが故の傲慢さを許容できなくなった自分が歳を取ったことを実感した。その日はあまり酔えなかった。残念だ。

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