「家族」とは何か

本日の哲学対話では、「家族とは何か」という問いをめぐって議論しました。

哲学対話の前に、私は自分の家族観に当てはまるモデルを考えました。「親」を「子を産んだ人か、またはある程度の期間子を育てた人」と、「兄弟」を「同じ親を一人以上共有する人」と、「伴侶」を「配偶者かそれと同様な関係にある人」と定義づけます。「親子」、「兄弟」、「伴侶」という三つの関係性を使って、人と人との間の関係を表すグラフを作ります。「親子」「兄弟」のエッジの重みを1とし、「伴侶」のエッジの重みを2とします。最短距離が3以下の人を「家族」とみなします。
この定義は普遍的ではないかもしれませんが、自分の個人的な家族観とは概ね一致します。
さらに、私の感覚では、家族には「きずな」と「しがらみ」という二つの側面がありますが、家族か否かは主にしがらみの有無によって決められます。その人にろくな愛や絆がなくても、家族だと思いたくなくても、育ててもらった恩や血を分けてもらった恩から生じた責任さえあれば、私の感覚ではその人を家族とみなすべきだと思います。

哲学対話では、素の自分で接せる人や、つながりがある人など、様々な家族観がありました。それから、親子という関係を利用して子供の成功にあやかろうとする人とか、子供を放棄して責任を逃れる人とかは、家族と呼ぶべきなのだろうか、という問いへ議論が展開しました。家族は相互関係ではないという結論に至りました。

動物の話を聞いて話したかったのは、カッコウという鳥についてでした。哲学対話では、「ボート」のみよちゃんとママの関係に焦点を当て、子が親を家族と思っているにもかかわらず親が子を家族と思っていないという話が展開されました。カッコウはその逆の例で、いわゆる「托卵」を行う種の一つです。カッコウの親鳥は他の鳥の巣で卵を産みます。孵化したカッコウの雛は他の卵や雛を巣から排除し、偽物の子として巣の親に依存して育ちます。人間社会においても、育ててもらった恩を仇で返す子がきっとたくさんいるでしょう。

3回目の哲学対話を終えて思ったのは、哲学的な問いに対してどのような例を挙げて答えるかで、その人の普段の思考回路が垣間見えるかもしれないということでした。私は、自分の人生と思い浮かんだフィクションの中の関係に基づいて、自分の個人的な家族観を近似する一般モデルを作るという方向で答えようとしました。自分では思いつかない他の方々の答えを聞いた時、「こういう考え方もあるんだ」と感心しました。

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