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D'Rica7という人③ 🎶NY Life(立ち上げ&きっかけ&一人暮らしするまで)🎶

当時5番街にあったNBAショップで知り合いから招待されて、憧れの映画監督スパイク・リーとも会えNYでの生活への希望が膨らむばかりだった。とにかく私のなかでジャズとヒップホップ、ファンクにゴスペルの国アメリカでの生活は彼の映画が”全て”で憧れだった。(今考えると恐ろしい!w)

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ギリギリの貯金で日本からNYにとりあえず着く。仕事はあれど、アパートなんて借りる余裕はなかった。
そこでロンドンで知り合ったスティービー・ワンダーとかのドラムをしていた人の息子の家にお邪魔することに。彼とはすでに何度も会っていて弟のようだった。リンカーンセンター近くに住んでいてとっても立地条件もよくオペラも好きなだけ見放題でとにかく有難い環境での生活を始めれると思っていた。

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NYについて時差ぼけ真っ只中な中、1週間後には仕事が始まった。不動産エージェントとしてNYで合法にお金儲けするにはまず不動産学校へ通って学校の試験をパスしてNY州不動産エージェントのライセンスを習得しなければいけない。
とにかく会社に行きながらマンハッタンのミッドタウンにある学校へ通い早期資格習得を目指した。同時に郊外の案内をする場合もあるのでドライバーズライセンス習得も義務ずけられ教習所などないアメリカでは車の運転の練習を会社の同僚に頼んでさせてもらった。
学校は普通だと社会人は1年から2年かけて通って全ての授業を取得して、学校の試験と州テストと受けてからライセンス習得するらしい。
私の場合ラッキーにも朝一から夜遅くまで授業をとにかく取れるだけとったので2ヶ月で終えた。
学校の終了テストも州テストも一発で合格。奇跡だと言われた。(ロンドンで既に英語での勉強に慣れていたので助かった)

ドライバーズライセンスは一番早く予約が取れたクイーンズ地区で会社の車(大きなバン)を借りて受けに行った。試験場に行くまでは会社の人が運転してくれた。
日本ではペーパードライバーだった私がいきなり何もわからないまま左ハンドルで右走行するアメリカで運転するのは無謀だった。しかもニューヨーク・・・

助手席に黒人男性試験官が乗ってきた。
名前を確認しながら、太った黒人の出っ張ったお腹が邪魔だったようでシートを後ろに動かしつつ「車を前にだして」と私の顔も見ずにいう。
クラッチを動かした瞬間に甘く止まっていたのだろう、試験管のシートがいきなり後ろに動いた。
彼はパニックった。
「もういい、止めて!試験終わり。君は危ない人だからパスさせられない。車の動かし方も知らないなんて」と一人で怒っていた。ただ単にシートを自分で動かした際にキチンと止めれてなかっただけだ。

私は何のことか分からず「え、なんのこと?とにかくまだ出発もしてないのに中止だなんてあんまりです!日本から国際ライセンスも持参してきました!」と見せると
「これは違法なものだから没収する、アメリカではこのライセンスで車は運転できない」とか言い出して目の前で国際ライセンスを破ろうとしたので「ちょっと〜無知なのは貴方です!国際ライセンスを知らないならまず確認して下さい。とにかくそのライセンスを返してもらったら私は帰ります」というと彼は同僚の黒人女性に話をしに行った。

ドキドキしながら同僚と待っていると
「このライセンスは違法なものだからこれで車の運転はしてはいけない。だけど今日は返してあげるので今後は運転しないように。君は危ないから」と言われかなりのショックを受けた。

会社に戻ってNY在住30年以上の先輩にすると彼女らは笑って言った。
「それね、人種差別的なものもあると思うよ。アジアンが苦手だったんじゃないかな。NYの洗礼を受けたと思って。あとNYは車を規制して自転車をここ最近薦めてて自動車をなるべく運転させないようにしてるからNY市内じゃなく地方の州で試験を受けた方がいいかもしれないね、NY市内は厳しいと思うよ」と今更ながらアドバイスをくれた。その後すぐにマンハッタンから45分ほど郊外へ行ったとこにあるNY州ホワイトプレインズ地区でアジア人試験管の元で試験を受けると一発合格した。

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NYでは不動産エージェントとして働きつつも音楽や写真,映画から執筆活動まで様々なジャンルで依頼がくれば飛びついてがむしゃらに寝る時間を惜しんでまで自分ながら頑張った。
「全てが経験。全てが良い未来に繋がっている」と言い聞かせて毎日を過ごしていた。とにかく住み始めた最初の3年間にどれほどのコネと動きができるかで成功するかどうか決まると勝手に自分に言い聞かしていた。

しかし居候していたところはずっと葉っぱを吸って酔っ払ってる人がリビングにいた。お酒もタバコも違法なことも全く興味が最初からない私としてはとっても居心地がめちゃくちゃ悪かった。ただ、そういう生活があるということを知っておいてよかった。
ほとんどの人はなかなか経験できないようなスパイクリーらの映画にでてくるような人たちの実際に生活を目撃できた。

私は守られていた。守られていたから生き延びれたのだと思った。夜には打ち上げ花火の様な音がパンパンパンと聞こえていた。後で聞くと”銃声だよ”と淡々とごく当たり前の様に返事された。

不動産エージェントのライセンスを習得して実際に物件案内に出かけるとお給料が出るようになったのですぐさま、居候を止めてブルックリン地区に引っ越した。NYへ引っ越す前に、とあるジャズドラマーの友達が留守の際に間借りしていたエリアにどうしても住みたかったからだ。
不動産をしていると家主さんと仲良しになる。そして特別レートで家を借りる交渉もうまくなる。NYで一人暮らしができることは実は早々ない。家賃が高すぎて、生活費も高すぎるからだ。
周りの人達はほとんどが2−3人で一つのアパートをシェアしながら生活していた。

昔から知り合いだったハイチ人の友達の家に一部屋空きが出た。
そこは私が狙っていた大好きなエリアだった。
早速引っ越す。

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近くにはブルックリン美術館,ブルックリン植物園,ブルックリン図書館,プロスペクトパーク,グランドアーミープラザ(凱旋門のような建物がある広場),ターゲットなどが入っている商業施設などが徒歩圏内。大好きな映画監督のスパイク・リーのスタジオも近かった。引っ越しは友達が手伝ってくれた。

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しかしそこへ住み始めてすぐにまた引っ越したくなった。
カリブ海の島々の人たちは家族や友達がやたらと集まってきて1日中ずっとリビングで寝そべってたりする、パンツ一丁で大の大人が5−6人、川の字どころかゴロゴロ部屋に転がられているといくら私の部屋があるとはいえ、リビングやキッチンを共有するのはためらわれた。一つラッキーだったのはご飯を作ってくれることだった。
しかし私は段々とストレスが溜まってきた。

めちゃくちゃラッキーなことに、それからスグして一人暮らしができるくらいの経済的な余裕が出来始めた時に私の大好きな同じエリアで空き物件が出た。
ハイチ人らは悲しがったが彼らと音楽仲間らが手伝ってくれて引っ越しした。
何か困ったことがあればすぐに誰かしら手伝ってくれたので一人暮らしも全く心配することなく、NYの生活では珍しく本当に快適に過ごせた。本当に守られていると思った。

カナダでもロンドンでもそうだが私はピアノが近くにないと眠れない。弾くわけではない、ただ精神的にピアノが近くにあってほしいというだけ。鍵盤を眺めてピアノを掃除するだけで心が豊かになるのだ。

NYではピアノがまだなかった。一人暮らしを決めた時にローランドのデジタルピアノを購入。
たまたまブルックリン美術館の前に住んでる人が格安で譲ってくれたので徒歩圏内で取りに行けた。ピアノは一番に用意したが寝る布団などは1週間経ってもまだなく,会社で要らなくなったエアベッドで寝ていた。エアベッドは腰を悪くさせた。歩くのが仕事だったので折りたたみベッドを購入。自分なりにアレンジして安いものばかりでそれなりにゴージャスに見せる部屋になった。
NYのいいところは、金持ちが住むエリアに行くと道にそれなりに良い家具や食器が”譲ります”とばかりに置いてある。
また、不動産会社に働いていると日本に帰国する人などの退去の立会いや手伝をすることもある。要らなくなったものを譲ってもらえることも多く,そのうち立派な家具だけが増えていった。

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NYでの一人暮らしの取材をしたいと言って雑誌社や新聞記者が来た。
ピアノが部屋にあるというだけでミュージシャンらも作曲や練習をしによく来るようになった。NYでは実は音を出してもいいというアパートは少ない。家主がまず嫌がるのだ。他のテナントから苦情を受けるのが嫌だから。
一度入居するとなかなか家主はテナントを追い出せない法律になっている。
ジュリアード音楽院の留学生らは学生寮に入って練習をしたりミュージシャンらは自分たちで一軒家を借りたりアパートを借りてシェアすることが多かった。
私のビルはもともとアーティストビルで私が入居した時には1階にピアニストとドラマー,2階に私とピアニスト,4階にMTVで働いている人という音楽に寛容な人たちが多く,私の部屋にミュージシャン友達が訪問した際には、ジャムセッションをしたことが何度かあった。
中にはグラミーを何度か受賞した著名人もよく通っていた。
たまたま近くにリハーサルスタジオがあったこともあり,ドームツアーのリハーサルを終えたミュージシャン達が憩いの場としてウチに寄ることも多々あった。そんな不思議な環境に身を置きながらも10年近くそこのアパートには住んだ。家主からスーパー(管理人)と呼ばれるほどになった。
今やそのエリアはブルックリン地区のなかでも高級エリアの一つとなってしまって、もう一度一人暮らしがそこで出来るかと聞かれると、今の私では「ノー」であろう。大好きなエリアなのでもし可能であれば是非とも住みたいというのは本音だ。実質問題、同じアパートの家賃が私の払っていたものの3倍になってしまったのだ。
今でも家主とはたまに連絡を取る。「いつ帰ってくるの?本当にあなたがあのビルには必要なのよ、最高だったわ、あなたは。」と聞いてくる。
「あの家賃に戻してくれるのなら考えるけど・・・」
そういうと家主は「時代は流れてるのよ、あの3倍の家賃をとってもこっちはギリギリなのよ」
今やオシャレで憧れの場所として雑誌とかにも特集されるブルックリンのダウンタウンエリアだが、それにしてもこの家賃高騰はすごすぎる。
当時住んでいた近所のアーティストらは皆んな引っ越してしまい、今は成功した若い人たちが住んでいる。ゲイやレズビアンも多くなった。それに伴い、バーも増えた。

昔のようなローカルにあった老舗ジャズクラブの存在は消えつつある。

時代が変われば文化も変わるのだ。

〜④に続く〜

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