誰よりも人の死を恐れていた私が、救急医を仕事に選んだ理由
慣れない畳の上で正座する私の目の前を、大人たちが列をなしている。おばあちゃんが寝ている和室の匂いが充満し、地鳴りのようなお坊さんの声だけが、だだっぴろく暗い部屋に響き渡っている。
これが、おぼろげに覚えている、私にとって一番最初の「死」だ。
幼少期から、祖父や親友の両親など身近な人の死を経験することが多く、葬儀へよく参列していた。死というものが何を意味するのか、よく分からないなりにも、親族の方々が悲しむ様子を通して、「死は青白く冷たい」という私にとっての死のイメージは固まっていった。
その中でも、死というものをとりわけ強く意識したのは小学校6年生の頃。私のことを実の息子のように愛してくれた伯母が、大腸癌で亡くなった。無償の愛を注いでくれた伯母は、あっという間に息を引き取った。頭が真っ白になった。
伯母のぎゅっと抱きしめてくれたぬくもりも、描いた絵をニコニコしながら褒めてくれる優しい声も、包み込んでくれるようなまなざしも、もうこの世界から消えてなくなった。塾の帰りにファミレスへハンバーグを食べに行くことも、伯母の家で飼っている柴犬と遊ぶこともできない。死は、大切な人と会えなくなることなんだと、痛感した私は、ゆっくりと深い悲しみに沈んでいった。
だが、それよりもつらいと感じたのが、伯母の子供たちが泣きじゃくる様子や、母が葬儀の帰りに泣きながら車を運転する様子を見ることだった。伯母の喪失に対する悲しみや、やるせなさが痛いほど伝わってきた。今振り返れば、この頃の私の感受性や共感性は、前面に出すぎていたのかもしれない。オブラートに包まれることのない、みんなの悲しみを素手で受け止めると、その悲しみは何倍にも増幅して、何度も押し寄せてくる感覚。私は、死に対して強い恐怖を覚えた。
この恐怖は医学生になっても消えることはなかった。臨床実習で担当した末期癌の患者さんたちの背中は、病と戦い続けた伯母と重なった。笑顔で口にするお孫さんや息子さんの話を聞くたびに、あのとき泣いていた従姉弟を思い出した。患者さんやその親族の先にある未来の悲しみを想像し、勝手に苦しくなってしまうのだ。「人が亡くなることはとてもつらいことだ」「そんなつらい機会を経験することの少ない診療科に進みたい」と実習の帰り道に友人とよく話していたのを覚えている。
ところが、病院で働き始めてまもなく、どの診療科に進んでも医師は患者の死を避けられないという、残酷な現実を目の当たりにした。病院では、日常的に死を意識する。内科では、患者さんへのがんの告知や、担当患者さんのお看取りを経験した。外科では抗癌薬治療に一縷の望みを託す患者さんの想いを、たくさん傾聴した。死に直面する頻度が比較的少なそうだと、唯一志望していた整形外科でも、入院中に肺炎で亡くなる場面に遭遇した。
だが不思議なことに、私の死に対するイメージは、あの青白い色から変化していった。「本当に後悔はないのよ。早くお父さんに会いに行きたいわ」と、自分の人生を振り返って笑顔で話す、膵癌の高齢女性。何年もかけて家族の病気を受け入れ、最期に主治医へ感謝を伝える患者さんの親族。人の数だけ、死の形があると知った。死は必ずしも、恐怖と結びつくものではないのだ。経験を重ねるほどに、凝り固まっていた死のイメージは氷解していった。病気を治すことだけでなく、「どう最期を迎えるか」について、ご本人やご家族に寄り添って考えることも、医師の仕事なのだと感じるようになった。
中でも、救急科として向き合う患者さんの死は違った。生死の最前線ともいえる超急性期の診療に従事する救急科では、死を避けては通れない。しかも、他科で経験したような、入退院を繰り返しながら長い闘病生活の中で、みんなで受容されていく死とは、大きく異なる。その時は、突然やってくるのだ。
学生時代から、死への恐怖を理由に食わず嫌いしていた救急科。「患者さんの死をうまく割り切れる、冷たい人が行くところ」「自分には一番向いていない」と思っていた。だが、いざ研修医として救急科で働き出してみると、劇的な救命を何度も経験し、救命救急の持つ奇跡に強いあこがれを抱いた。
しかし、医学は万能ではない。救えない命とも、当然数多く対峙する。救急科の勤務に少し慣れた頃、突然の心停止で搬送され、蘇生困難だった患者さんに遭遇した。呆然とするご家族が取り囲む中で、救急医が死亡確認をする様子を見て、当時の私はさすがにうろたえ、死に対する恐怖を思い出した。
そんな私を尻目に、先輩たちは、亡くなった患者さんの家族と短期間で信頼関係を築き、丁寧に言葉を紡いでいく。ああ、救急医たちは死を恐怖として感じない、冷たい人たちなんかじゃない。人一倍、患者が亡くなる恐怖と戦い続けているからこそ、死に寄り添うことができるプロなのだ。救急医とは、家族の悲しみに共感しつつも、一歩だけ引いて受け止められる、真心にあふれた仕事だったのだ。真摯に患者の死と向き合うことができること、そこに救急医のやりがいを感じ、私は翌年、救急医になった。
人は生きている以上、死から逃れられない。医師であればなおさらだ。逃げられないのであれば、患者さんの生死やその家族の悲しみもひっくるめて正面から向き合ってみよう。自分の判断一つで生死が変わりかねない救急診療の現場は、本当に怖い。だが、死について自分なりにずっと考えてきた私だからこそ、恐れながらも勇敢に立ち向かうことができるはずだ。
「人が死ぬということ」を恐れていた私は、こうして救急医を志した。
illustrated by 角野ふち
救急の現場を少しずつ知ったうえで、一般の方々との感覚のズレが少ない今だからこそかける文章を心がけて。 皆様のサポートは、多くの方々に届くような想いが書けるよう、自己研鑽にあてさせていただき記事として還元できたらと考えています。 共感いただけた方は何卒よろしくお願いいたします。