真夏夜中の覚え書き
不意に、命を断ってしまいたいと思う夜がある。
それは急にやってくる。ビーカーでグツグツ煮えていた悲しみがある時沸点を超えて、胸の奥からごぽごぽと衝動的な自殺願望が溢れ出てこぼれる。
死への渇望というより、楽になりたいという単純な希望だ。
こういう時はスマホを切って、雷に怯える子供のように布団をかぶって寝てしまわなければならない。
迂闊に連絡すれば出てくれる人に電話なんかをかけてはいけない。万が一、勝手に期待している希望通りの言葉を貰えなかった時には、本当に衝動に従ってしまう確率が高くなる。
そう、解ってはいるのだけど、眠りの波を待つ毛布のなかでは、誰かに寄り添って貰いたくて仕方がない。
死にたいほど逃げたい、こんな時の人間は、誰かの理解を得て救われたいものなのだな、と悟りに近い見解を冷静にしている自分も心の何処かには居る。
人間は死ぬまで独りで、だからこそ人と関わりを持ちたいという真理のシステムを孤独を等価交換に少し垣間見れる。
誰かの助けに期待できない、一人ぼっちの自分にしてあげられる唯一のことは、大丈夫だよ、と自分で自分を受け止めてあげること。
大丈夫、絶対幸せになれるから。大丈夫。
信じてるんじゃない。知っているんだ。
だから今は、理由なんてなくてもいいから、めいっぱい悲しんだらいい。
無理に理由を探す必要もないんだよ。今、悲しいって思ってる。それで十分だから。でも、大丈夫。最後は絶対ハッピーエンドだよ。
そうやって、降りて、認めて、許して、やっと、涙が出てくる。わたしはわたしに許されている。ありがとう、今は悲しむよ。ハッピーエンドを知ってるわたしを、わたしは信じることにするから。
感情の暴風雨が去って、涙がストレスを溶かして流して、やがてじんわりと睡魔がやってくる。
おやすみ、愛しい愛しいわたし。明日はきっと、いい日になるよ。
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