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障害のある人との活動  事始め2020.10.16

フリーのパフォーミングアーティストの僕は、2020年7月から障害のある人の芸術普及文化事業に携わることになりました。障害者福祉施設にいながらWithコロナの暮らしに次第に慣れてはきましたが、表現をする者からすると慣れることでは満たされない日常の営みがあるようです(*1)。外出不可、施設訪問不可に加え、密な接触のあるダンスや歌の営みは、制限される対象であり、そんな中で日常を送る俺らとってwithコロナな日常になれるだけでは満たされない思いが募ります。

※1:ようだと書いたのには、勝手に推測して障害のある人らの芸術文化普及事業を展開していく立場だから。きっと、そう感じているかもしれないと予測しながら進んでるから。

積極的に表現の場を「作ろう」、表現の場へ「行こう」、もしくは「来て」もらおう!という呼びかけは容易ではない状況であります。でも、かといってオンライを活用するやり取りを試してみますが、補っても補いきれない寂しさは募るばかりです。それでもおどりに生きる僕らは、日々の暮らしの中で引き続き踊り唄う営みを大切に日々継続します。ある一つの取り組みをしようときっかけになったAさんもまた、「おどることでありがとう、と言いたい。」「お祭りをできたらいいな。」と感じるお一人です。

ここで少しAさんのことをお伝えすると、彼女は秩父で送った暮らしの記憶を絵や唄、踊ることによってその故郷への思いを表現しているようです。秩父音頭を愛でています。唄を歌い終わるとすぐさま「うふふふふ〜っ」と高らかに笑われます。最近、秩父とのご縁ができまして、もしかしたら、おどりを楽しみ、でも今は、踊れなくて寂しく思っている人が彼女以外の他にもいるのではないかと考えるようになりました。

秩父音頭を聞くとなんだかワクワクする、生きる活力になる。おどる事によって何かを伝えたい、そう言った気持ちは、障害のあるなし、という枠ではなく、故郷におどりを持つ者たちがに共通する想いなのではないかと思うようになりました。では、集まる場を設けよう、と決めてこの状況下では例のごとく安易にこちらから人に近づいたり、集まったりすることを積極的に呼びかけられる状況ではまだまだありません。

そこで、安心安全で両者が好み好みの歩み寄れる距離感を持って音頭の響きを楽しんでもらえる場を作るにはどのような工夫をしたらいいだろか、と考え始めました。インスタグラムやZOOMでの配信によって音頭を聞きたい人の元へ、パソコンや公共施設にテレビやパソコンを設置し、パブリックビューイングを介して届けようと検討しました。

しかし、上記の体験からやはり音は、生音であるからこそ意味があるのではないか、と考える様になりました。生の音だからこそ、我々は太鼓や鐘に元気をもらい、唄い踊ることで人と共感する相互体験がそこに生まれる。この体験空間こそが僕らの元気の源であり、仲間同士の心のワクワクにつながるのだ、と再認識するようになりました。そういうことであれば、音頭を移動屋台のようにして届けられたらどうだろう?と考えつきました。

遠くから山々の風伝いに音の響きを楽しむもよし、お買い物の途中で通りかかりながら歌を口ずさむもよし、車内から好きな距離で好きな時間だけ各々の安心安全の基準に基づいて楽しんでもらえたらいい。こんな時だからこそ、風の便りで秩父音頭が町中に響く日があってもいいじゃないか。僕らのように音頭を聞くことで元気になる人が秩父にはいるかもしれない。地域住民の方も喜んでくれる人もいるかもしれない。

「そうだよそうだよそうだんべアチャムシだんべに吊るし柿っと〜コーラショ!」ということで我らと気持ちの近しい未来の仲間「おどりに生きる」仲間との出会いを求めて、独自のモバイル音頭空間をつくりだそうと試みます。


秩父音頭伝道師⁉︎ A氏を筆頭におどりに生きる僕らが横瀬町のあちらこちらに出没し、秩父音頭を届けます。

このような取り組みに賛同してもらえたら、一緒にやらないかい?

*1:アートセッションin横瀬〜表現のタネたち〜 関連企画「おどりに生きる」

https://www.facebook.com/116048856469497/posts/389951585745888/

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