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違和感 その1

子どもが生まれたら人間変わる、なんてことを気軽に言える人に違和感があった。
実際に子どもが生まれて、親と呼ばれる存在になって、改めて思う。

そんなわけない。

子どもが生まれたくらいで人間は変わらない。

もちろん、生活は大きく変わる。
生活の重なり、累積も人生の一部であるから、そういう意味では人生も大きく変わる。

でも、人間は変わらない。人格や性格は変わらない。
変わらなかったし、これからも変わる気がしない。

オムツを変えられるようになっても、ミルクをあげられるようになっても、赤子とふたりだけで出かけて、出先でミルクをあげられるようになっても。
抱っこひもでどこまでも歩けても。
私という人間は何も変わらない。
父親になったくらいでは、人間の素は、枠は、骨格は、根幹は、変わらない。

抱っこして歩き続けたからか、筋肉は増えた。
もともとEテレは好きだったけど、もっともっと好きになった。
アンパンマンも、もっともっと好きになった。
おしりたんていも好きになった。ああいうの、もともと好きだ。
娘はクレヨンしんちゃんとドラえもんが好きになった。私も好きだったものだから、この嬉しさは格別だ。

ほら、私という人間はなにも変わらない。

きっと、私の父も母も、私と弟が生まれたことは彼らの人格などには影響をほとんど与えていないはずだと思う。
彼らは私と同じように、人間として良き面、悪き面をそれぞれ持っていて、それはずっと変わっていないようだ。

この違和感について、語り合える人は少ない。
だからここに書いてみた。

娘が生まれてくれて本当によかった。
妻と娘に感謝している。し続けて生きていけそうだ。彼女たちのおかげで、自分の人生の意味が増したし、太くなった。
でも、それと並行して、自分自身の中身は変わらずに自分のまま生きていくだろう。生きていくしかないだろう。

おそらくは歳をとりすぎたからか、気軽にこんなことを語れる人が周りにいなくなった。
帰ったら(仕事が難航していて、やっと帰宅中だ)家でひとりでお酒を飲みながら、もう少し続きを考えてみよう。

考えるのは昔から好きだけど、最近、アウトプットが足りなくてウズウズしていた。
20歳前後の頃みたいに吐き出したい周期なのかもしれない。

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