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留学7か月目で気付いたこと

気付けばもう7か月も経っていたんですね。
色々あったけど特に何のイベントにも参加しなかった私。

それをずっと責めていました。
わざわざアメリカに何しに来たんだ!って。
日本にいる友だちに「アメリカにいてまで今までの自分貫くって意味ないのでは?頑固になって終わるだけだよ」と言われ、何か行動を起こさなきゃ!と思いつつ何もできずじまい。

他の日本人学生と比べては苦しい日々でした。
10月頃には、「もうこの学期終われば帰ろう」。
本気でそう思って、親にも友だちにもアドバイザーの先生にも、言いまくりました。

でも今2学期目突入。
そして2学期目始まったばかりでやっと楽しさを見いだせている。
友だちはいません。日本人の子しか。
だから英会話力は全然伸びてない。でも焦っていません。
なぜなら授業が楽しいから!!

今教育の授業とか手話の授業を取っていますが、日本の教育とは違うスタイルに面白さを見出していますし、手話ではみんなほぼスタートラインが同じなので英語に劣等感を抱かずに済みます(笑)授業自体は英語ですし、質問もしやすい空気でとっても助かります。

リーディング課題は前期より圧倒的に多くて、泣きそうになりますが、面白いです、内容が!
DeepLに頼る機会が随分減って(それでもまだ頼るけど)1頁に30分以上かけていたのが、7分まで縮まりました!(笑)
クリティカルシンキングの話しとか、日本語の本よりスッと入ってくる感覚があります。
というのも私はクリティカルシンキングが苦手と言うか、批判的なことを人に言えませんし、そういうことが書かれている本を何度読んでも「理屈は分かるけど…」と受け付けなかったのが、英語で書かれているだけで、受け付けています。(できるかは別で)

人間は第二言語のほうが合理的に適切な判断をしやすいと聞いて、このことを言っているのかな~なんて思いました。

個人的な感想ですが、英語では知らない単語が出てきたり、単語それ自体に特別な思いがあるわけではないのは大きいと思います。あと、理解することに重きを置くので日本語ほどすらっと読めませんし、筆者の意図が分かりにくいです。だから自分がどう思うかではなく、その文章通りに頭にいれようとするといいますか…

正直こういう発見があったこと自体が留学の意味なのかも、
と思っています。私にとっては金と時間をかけて、これをしたかったのかも。
そもそも英語は嫌いでしたし、日本が大好きで、旅行も別に興味がないような人間です。
なんでここに来ようと思ったかって、日本では経験しえない新たな発見が、勉強のフィールドであればいいな~~~みたいな感じでした。

他の日本人留学生みたいに外国人と毎日を過ごして英会話力を磨いたり、日本語に触れない時間をつくる、みたいなことをやろうとしては挫折して、の毎日でした。
でも、いま「わざわざそうする必要ないよな」って。
今日は手話教室でペアになったアメリカ人の子と連絡先を交換しましたし、来週はマレーシア人の友だちとごはんに行きます。
友だちをつくろ~~~としなくてもできた友だちの方が長く続く気がします。
そもそも英語を話すためだけに、相手に全く興味がないのに話しかけて仲良くなろうみたいなのがちょっと苦手で。
あと損得勘定や合理性だけに特化して考えるのも苦手です。今まで沢山辛い思いをしてきて、無駄だったなんて思いません。しない方がよかった苦労ももちろんありますし、これからは苦労をできるだけ避けていきたいな~とは思います。でも、前期の人間関係の辛さ、目的喪失、食事が合わない、英語わからない、授業つまらない…を経ないと私は今期楽しいと思えなかったと思う。よく耐えた。別に耐えなくても良かったんだけどね。

選んだ道を正解にすればいいんだ!!

と思っていたので帰っても良かったのですが、日本人の友だちとフロリダ行きたいって言っちゃったし、帰りの飛行機の手配することすらままならなかったしで残ってみちゃったみたいな感じです。

周りの人は英語もままならない、全く上達していない私を見て、「何しに行ったの?」っていうかもしれない。でもいいのさ~~~勉強楽しいし。

就活も始まってかなり重いけど、
課題、就活、読書をローテーションしています。
どれかが嫌になれば、どれかやる。どれかは進んでるのでオールオッケー。

私にとっては、外国人の友だちを作ることが大きな目的ではないし、英語の上達も目的ではないから、「結果」はおそらく出ないけど、

今やっているこの「過程」がいつか何かの結果につながると信じて、今の自分にとって必要だと思うことをやっていこう

と思います。

全然話変わるんですけど、私は今が全てだと思っているので、この瞬間をどう楽しむかという刹那的な人間です。だから将来的なことを考えるのはどうしてもダメで、頑張って訓練中です。でも毎日全力で生きているので、いつ死んでも後悔しないというか、未練がないというか。ちょっと悲観的に聞こえるかもしれないけど、別に今死んで友だちに会えなくても(悲しいけど)、その子の人生に私がいたという記憶が、いつか忘れ去られても、頭の片隅にあったらそれで幸せだなと思います。

まぁ何が言いたいかって、自分を信じていこうということ。考えて考えて考え抜いて自分が納得した、ということでしか自分のことを許してあげられないんです。特に私という人間は。100分de名著で「考えることは思った通りの場所には連れて行ってくれないが、確かな場所には連れて行ってくれる」という言葉を聞いて、自分が悩んで考えて色々もがいたあの日々は決して間違っていなかったんだと思えるようになりました。そう思えるのもこの経験あってこそ。

残り3か月。私にとってはまだあと3か月もありますよ。
内定もないけど。
また書きに来ますね。


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