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模型店の落日

小中学生の頃、我々世代はプラモデルやモデルガン(エアガン含む)、ラジコンや鉄道模型等に凝ったモノだった。地元には模型店(今どきは「ホビーショップ」なんだろうか?)がいくつもあり、大変お世話になったものだ。
たまたま買い物ついでに散歩の足を伸ばし、その昔お世話になった地元の模型店を訪ね歩いてみた。

昔の思い出話をひとくさり

私は小学生の頃から、地元の模型店でプラモデル(世代的には初代ガンダムのガンプラ世代でもある)や塗料その他を購入し、部屋をシンナー臭くしながら作ったものだ。中学生になるとエアガンやモデルガン(火薬を発火させる)が趣味のひとつになったし、たまに特集で良いのがあると『月刊GUN』を購入していた。
小4の時にはすでにハンダゴテを使ってラジオやインターホンなんかも作製していたし、パソコンでBASICを覚えてプログラムを作っていたほどだから、学校の勉強なんてするヒマがなかった(笑)。
電子工作やパソコンでのプログラミングを除くと、模型店のオヤジは良い相談相手で、

塗料は何が良いだろう
モデルガンの仕上げのコツは?
ガバメントのブローバックがイマイチでジャムるんだけど
金属製モデルガンのメッキを剥がしてガンブルーに出来ないだろうか

等々、私の場合は特にモデルガンの相談ばかりしていた(最後の相談は銃刀法で完全に違法)。
模型店のオヤジは自身もプラモデルやモデルガン、鉄道模型(Nゲージ)にラジコンカー等が大好きな人が多く、実際に自分でも作っているから的確かつ親身にアドバイスしてくれたり、入荷情報を教えてくれたりもした。
社会人になって殺人的なスケジュールで仕事に追いまくられると、自分の趣味に使う時間があったら1分でも長く寝ているか、酒を呑んでいたかったので、なかなかモデルガンを作っているヒマはなかった。それでも、たまの日曜日に休日出勤がなくてヒマな場合は、地元の模型店を冷やかしにバイクで遊びに行ったものだ。
すると、「確かこういうの、大好きだったよね?」なんて店主のオヤジが店の倉庫から宇宙戦艦ヤマトやキャプテンハーロック、クイーンエメラルダス等のプラモデル(デッドストック)をゴッソリ持ち出して来て、狂喜乱舞することもあった(ただのカモ状態)。
20代の前半ぐらいまでは、小中学生の頃に高価で買えなかったラジコンカーに手を出して作ってみたり、発禁処分が決まっているモデルガンを店のオヤジがコッソリ教えてくれて買ってみたりもしたが、人生のライフイベントと共に足が遠のいたのは事実だ。
メーカーが倒産したり、年に少量しか生産しなくなったのもあり、モデルガンは私の趣味ではなくなってしまった。実に寂しい限りではあったが、仕方がなかった。深夜に自分が作ったモデルガンをいじりながら、一杯やるのが楽しみだったんだがなぁ。

地元では1店舗のみとなってしまった模型店

前置きが非常に長くなったが、10数年ぶりに地元の模型店を探してみると、1店舗だけになってしまっていた。

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地元でも歴史が古く、節句人形からオモチャに模型と何でも入手可能な店舗(本店)は随分前に住宅に変貌し、画像の通りの店舗が現存するのみだ。3号店の看板だが、本店や2号店は、今はもう無い。
当時「流通革命」を起こした某百貨店に入っていた模型店は百貨店ごと姿を消し、今では大きな分譲マンションとなっているほか、その昔「NHKで日本一プラモデルが安いお店として紹介された」のが自慢のお婆ちゃんがやっていた模型店はとっくの昔に住宅地に埋没していて、今やどこにあったのかすら分からない。
元旦の朝から営業し、お年玉を手にした児童・生徒を待ち構えていた模型店は、10数年前まで営業していたと思うが、今は小綺麗で立派な住宅に変貌していた。同様に、小学校の近くにあった模型店も今は住宅となっていて、往時を偲ぶよすがもない。

懐かしさだけで店内に入ってみると、外に自転車はあるが店内に客はおらず、本店の棚という棚を埋め尽くしていたあらゆる種類のプラモデルやラジコン、エアガンにガスガン、モデルガン、鉄道模型といった圧倒する品数はそこに無く、私と同年輩らしいオヤジがレジに収まっていた。昔の本店にいた、馴染みのオヤジやオバサンの姿はもうない。
昔の本店には、ヘリや戦闘機なんかのラジコンの完成品(店のオヤジ謹製)が天井にいくつも吊ってあり、当時は京商(ラジコン総合メーカー)のカタログを無駄に貰っては胸を踊らせたものだったが(とても高くて中高生に買えるモノではなかった)、それを望むのは時代錯誤らしく、30数年も前に流行ったマイティフロッグのラジコンカーのキットが売れずに置いてあった。
極まれに海外に行くと必ず射撃場を調べてハンドガン(拳銃)を撃ちまくるような私であるから、当然のようにモデルガン(最近は電動ガンなのかな?)の棚を見ると、これまた寂しいラインナップであり、レジのオヤジ(多分私と同年輩)に声をかけてみるや、

もう10数年も前にメーカーが生産していないので(ありません)」

と、実に素っ気ない。ゲタ履きのワシが怪しいのか?
モデルガンが無いのは仕方ないにしても、BB弾を発射する系のエアガンや電動ガンも少ないので、昨今ではサバゲー自体が下火なようだ(未確認)。
日本ほど電車が発達している先進国も珍しいが、それだけ今でも世の中にはあらゆる種類の「鉄っちゃん」がいると思うものの、鉄道模型(Nゲージ)のラインナップも寂しい限りだった(注:私は鉄っちゃんではない)。
実際、Nゲージでレイアウトを組んでジオラマを作ろうと思うと、多種多様なパーツや材料が必要で、場所も取るから住宅事情や経済的事情でそこまでやる人は少ないのだろうと思う。それにしても、HOゲージやZゲージなんかは、もう絶滅したんだろうか?

最後に初代ファミコン世代の世迷い言を

実は、私は初代ファミコン世代でもあるのだが、私個人はファミコンで遊ぶよりもパソコンでプログラミングをする方が好きだったので、ゼルダもドラクエもやったことがない。
憧れたアップル社のAppleⅡシリーズと同じ6502を内蔵しながら、14,800円という価格は驚きだったし、パソコンのフロッピーディスクドライブがバカ高い時代に15,000円のディスクシステム(昔シャープと日立が頑張ったが滅びた3インチフロッピー)も、驚異的に思えた(実際にはQD形式だが)。
当時の模型店も、ファミコンのゲームカセットやディスクシステムの販売マシンを置いたりして時流に乗ってはいたが、結局はゲームにホビーストを奪われたのではないか、と思わずにはいられない。
手や服や部屋を汚しながらも、立体的な模型を作る喜びは、今はもう昔の話なのかと思うと、寂しい思いがする。大げさに言えば、日本のモノ作りはあらゆる模型や電子工作、そしてかつての私のようなプログラミングをする少年がいたから成立したのではないか、と思うのだが、どうだろう。
また、日本ほど先進国の中で自動車メーカーやバイクメーカーがひしめいて世界的に製造・販売する国も珍しいが、バイクに乗っているのは私のようなオッサンが圧倒的に多い。自分で車やバイクのメンテナンスをする若者はいなくなってしまったのか?
少子高齢化と言われて久しいし、黒字なのに後継者がいない製造業(中小企業)の倒産件数は右肩上がりのようだ。「モノを作る喜び」を知らない世代ばかりが日本を担う年齢になった時、日本がどうなっているのだか、私には想像もつかない。

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