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待ちと癒し

「困りました」と相談に来られたときに私が取る態度は三つで、待つ、整理する、応援するです。何によってそれが決まるかというと相手の状態です。整理と応援と比べ、待つという態度は少し分かりにくいところがあります。まず二つは能動的な行為ですが、待つは受動的です。

なぜ待つのか。人の心には体力があります。状態によって考え方も、できることも全く違います。ある人が目の前に現れたとして、疲れていて癒して欲しいのか、それとも体力が充実しているのか。疲れているときに問題に直接アプローチしても何の効果もないどころか、相手を追い詰めることすらあります。そういったときには、癒えるまで待つしかありません。

待つことがなぜ難しいのか。それは相手に合わせることだからです。相手に合わせるためには相手をひたすらに見ることが必要なのですが、一方相手が見られていると感じてしまえばそれが相手への重圧ともなります。癒しは難しいもので、興味を持たれなくても持たれすぎなくても成立しません。

問題を抱えた人がやってほしいことは、問題の解決ではなく昔一緒に行った旅の話かもしれないし、ちょっと馬鹿げた失敗話かもしれません。問題の話に一切触れなくてもいいということがあり得ます。それは問題とはつまり、事実と受け取る自分の心の作用だからです。心にアプローチするのが待つことです。その人が「よしやってみようか」というつもりになれば、あとは何が問題かという整理の話になりますが、その人がどのくらいそこに向けてやり続けられるかは心の話になります。

「困りました」という相手に「そうか、困ったね」と一緒になって困ることが問題を解決し、「応援してるよ」より、「僕の人生は失敗ばかりだよ」と言った方が応援になることがありえます。「愛してる」なんかより「あなたの話を聞かせて欲しい」の方が愛してるに近いことがあるわけです。

人間にはこころがあります。複雑で一筋縄ではいきませんが、こころこそが人間を人間たらしめていると私は思います。

※二箇所から文章が長すぎると苦情をいただいたので短くするように努力しています。

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