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取引の世界を生きる人。そして認知の歪み

人間社会は取引によって支えられている。自分が労働し対価を得るのも取引、商品と金銭を交換するのも取引、御近所さんによくしてもらってお礼をするのも取引だ。取引のバランス感覚がよければ、適切な取引を行える。ただ、この取引の感覚が強すぎ、またそこに認知の歪みが入ってしまうと厄介になる。

明確に一回で終わる取引は人間関係においてはそう多くない。ほとんどの場合、これをやってあげて、代わりにやってもらう。やってもらったからやってあげるの繰り返しだろう。この取引のバランスを人は保とうとするが、人によって、してあげたこととしてもらったことのどちらかを強調して記憶する。

付き合う上で厄介なのは、してあげたことばかりが強調されるタイプだ。このようなタイプは実際のところは取引がバランスしているまたはやや多めにもらっているのに、自分がしてあげていることの方が多いと認識している。だから常に不公平感を抱いている。こんなにやってあげたのにという不満だ。

このタイプにさらに、何が良いことかを私が知っていてそれは間違いないという思い込みの強さが加わると、相手に自分の思う親切を押しつけ、それに対しての見返りが相手からないことに不満を抱く、という循環が廻り出す。外からは独りよがりに見えるが、当の本人はここまでやっているのになんでと思う。

自分がしてあげたことばかりが記憶される人間は、とにかく取引において損をしないように、相手とのディールで相手よりも得をするようにばかり考えて生きてきている。仕事の面ではそれは重要だけれど、このタイプの人間はそのスイッチがきれない。生きることが常に取引で、損をすることが許せない。

相手に何かをしてあげたいと考える性質もある。この性質を持った人は、自分がしてあげたことばかりを覚えている癖のある人間を自分の周辺から遠ざけることをまず行うといい。なぜなら多かれ少なかれ搾取の構造が出来上がるからだ。間違えても相手の期待に応えようとしてはならない。抜けられなくなる。

取引の世界に生きる人間の苦しさは、ただしてあげることができない、どこかに計算が入ってしまいそれが抜けない。取引の世界では、過去の取引の履歴、未来への計算が頭の中で盛んに行われているが、今の自分が感じることは蔑ろにされている。ただ、相手にあげることができない。

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