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トラブルを経験できなかった人生

自分探しというのが私たちの世代では流行りました。探せば探すほど迷うだけだよとよく居酒屋でくだを巻いたものですが、仮に自分探しに有効なものを一つ見つけるとしたらそれは「葛藤」だと思います。二つの相矛盾する価値観が自分の中でぶつかりあり、そこで悩み苦しむ中で自分は形成されるのだと思います。

そのような観点からトラブルはとても重要です。友達と喧嘩する、親とぶつかる、社会の不条理に面する、などたくさんの経験を経て自分は作られていきます。そしてその最終段階として自分自身とぶつかるという経験があります。さまざまな問題を乗り越えてきて、それでも残る問題と対峙した時、私がそれを問題だと思っていると気がつく瞬間のことです。この時世界は一変します。

しかし、このトラブルを十分に経験できない人生もあります。優等生が人生の後半で大きな葛藤に悩まされることがありますが、これらは十分なトラブルを経験できなかったから起きることだと思います。トラブルを避けてきたために自分自身が確立していないためです。トラブルが経験できない理由は大きく二つあります。一つはトラブルを未然に防ぐように周囲が配慮しすぎた場合、そしてもう一つは本人がトラブルを過剰に恐れ事前に避けすぎた場合です。

たとえば友人と揉めそうになるたびに、必ず親や先生が介入し解決をするとしましょう。これで友人関係は一時的には円滑に進みます。学校にいる間は問題が起きないかもしれません。しかし、本人の中でトラブルに見舞われた、トラブルを引き起こしたという実感がまず得られません。そして何より大事なトラブルに直面し自分でなんとかするしかない局面で傷つき時には人を傷つけながらも、なんとか解決に導いていくという経験が損なわれます。このトラブルに直面した時に自分を内省することや状況を客観的に見て解決しようと努力することが、生きる力になりまた自分自身の自信にも繋がります。自信とは自分はすごいという感覚ではなく、何かが起きてもなんとかできるという感覚に支えられています。

もちろんこれは程度の問題ですから、本人でなんともできないこともたくさんあります。しかし、人生からトラブルを取り除き切ることはできません。取り除けないのであれば対処できるように自分を鍛えて強くなるしかありません。

もう一つのトラブルを未然に防ぎ切った場合の方がより深刻です。これは幼少期に十分に安全な環境が与えられなかった子供によくあります。言い換えれば大きすぎるトラブルにすでに巻き込まれているために、どんな小さなトラブルに対しても過剰に反応し未然に防ごうとする癖がついてしまうということです。その状況でうまく立ち回る賢さも持ち合わせていることも影響するでしょう。こうした例ではトラブルが起きそうな瞬間を察知して深刻にならないようにうまく誘導していますから、周囲から見れば至って普通の平穏な人生に見えます。元気な笑顔すら印象に残るかもしれません。しかし本人の中では常にトラブルを未然に防ぐべく警戒体制がとられ続けています。その笑顔もまたトラブル回避のために努力で獲得しています。

トラブルを起こさない人生では、多くの場合その人の配慮と我慢によってトラブルを回避しているわけですから、本来起きるはずのトラブルを自分の内面に抱え込むということでもあります。ですから周辺が荒れれば荒れるほどその人の内面に抱えるトラブルは大きなものになります。しかし、このような状態を生涯にわたって続けることはできません。どこかのタイミングでぷつっと糸が切れた時、強い被害者意識とともに爆発するか、または疲れ切って塞ぎ込んでしまうということが起きます。本人もまた自覚もできないようなタイミングでトラブルの回避を覚えているわけですから、自分でそれが自然なことが不自然なことかすらわかっていないわけです。

どのようにすればこの局面を脱することができるでしょうか。まずトラブルを恐れないということがあると思います。トラブルを避ける性質を持った人はトラブルを過剰に大きなものとして捉える傾向にあります。トラブルを見るだけでソワソワして自分の心が落ち着かなくなる。しかし人が生きていれば多少の摩擦はつきもので、それは自然なことだと認識を変えることが必要です。

次に自分を出すことは悪いことではないと認識を変え、実際に行動してみることです。トラブルを避ける人の多くが「自分を出す=摩擦を引き起こす悪いこと」だと捉えています。しかし、これは真実ではありません。自分を出して起きるトラブルは、起きるべくして起きるトラブルです。もちろん大人になればそれを察して事前に折り合ったりしますが、幼少期に自然に起こるトラブルを経験していない人はまずぶつかってみるということをやらないといけないと思います。そこで気をつけなければならないことは、被害者意識は加害行為につながりやすいということです。された鬱憤はすることで取り返したくなります。しかし加害行為を行っても自らの心の平穏は取り戻せません。

最大の障壁は、問題があるのではなく、それを問題と思っている私がいると気づきその見方を手に入れることだと思います。当然そこには激しい葛藤がありますが、その葛藤を乗り越えることこそが苦しみを乗り越える一つの鍵だと思います。

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