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ネオテニー戦略 Neoteny Strategy

「性的に成熟した状態でありながら未成熟な機能が残ること」をネオテニーと言います。そのままの意味ではありませんが、この概念を利用して「機能しながらも、未成熟な状態を残すこと」を勝手に私はネオテニーストラテジーと呼んでいます。

私たち人類は生まれた環境に適応するよう成長します。生まれた国の母国語が自然と喋れるようになるのもそのためです。最適化することでその環境下では機能するものの、違う環境ではうまく機能しないということが起きます。

柔道の小学生の全国大会が廃止されましたが、理由の一つに「将来成長を阻害するから」というものがあります。若い時には技術が未熟なために、力でねじ伏せる方法が効きやすいのだそうです。しかし、中学、高校になると選手が技術を獲得してきて、力でねじ伏せきれなくなります。子供の時に十分に技術を磨かず力でねじ伏せる方向で最適化していたこと自体が、将来の成長を阻害します。これが「早すぎる最適化」です。

最適化することで実力が発揮されるのも確かです。問題はいつのどの環境に最適化することが自分の人生にとって良いのかということになりますが、これは自分の人生の勝負所はいつのどこなのかという問いに置き換えられます。

子供の時から同じ競技でオリンピックやワールドカップを目指す人であれば最適化すべき時期を予測することがある程度できます。大谷選手が子供の頃から目標を立ててそれを達成できたのは当然ご本人の努力が素晴らしいという前提ですが、スポーツという産業が残り続けたからでもあります。多くの産業は、大人になった時に残っているかもわかりません。それは自分が人生のいつの時期のどの仕事に最適化するべきかが事前には分かり得ないことを意味しています。テクノロジーの進化により、この傾向はさらに顕著になっています。

私は生存戦略として最適化し切らない状態でい続けることが有利に働くと考えています。環境に適応ししつつ、どこか未成熟で変化する可能性を残した状態でいることです。これが私の言うネオテニーストラテジーです。アスリートのセカンドキャリアで苦しむのは、アスリートであることに完全に適応してしまった人です。どこかアスリートっぽくなさを残した人は適応しやすいと感じています。

医者が医者っぽくなりすぎる、営業が営業っぽくなりすぎる、広告代理店が広告代理店ぽくなりすぎることは、環境が変化しなければ良い生存戦略だと思いますが、環境が変わった時には変化の余地がなさ過ぎて最適応が難しいということになります。

お気づきの通り、ネオテニーストラテジーの肝は「一体どうすれば未成熟な状態でいられるのか」です。そしていつも通りではありますが、これという方法を私もわかっていません。どうすればいいかは私も分かりませんが、特徴だけは少し抜き出してみたいと思います。

・少し浮いている

・友人が多様

・好奇心が強い

・子供っぽい

・何かを習っている

・引越し、転職が多い

などです。

このような行動が性質を育んでいるのか、性質が影響してこのような行動を引き出しているのか、どちらかは分かりません。引き続き観察したいと思います。

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