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セカンドオピニオンと自己責任

医療の世界にセカンドオピニオンというものがある。一つの医師の診断だけでなくいくつかの医師の診断を受け、その上で判断しましょうというものだ。この考えは医師も完璧ではないから、患者も医療者に全てを委ねるのではなく、主体的に自分の治療を考え学び選択していくべきだという思想が根底にある。

これは患者にとっても負担が大きい。全てを委ねれば考える必要もなく、また何かあっても医師の責任にできる。自分で選ぶのであれば自分で考える必要があり、また結果を自分で責任を取ることにもなる。それでもなぜ行うかというと、自分の人生は自分で選ぶべきだろうという考えを基にしている。

スポーツコーチングの世界のセカンドオピニオンはもう少し複雑だ。まず対象の年齢が若い可能性が高いこと。治療のように一回で決定するものではなく長期間の計画によってなされるものなので、いい判断でも複数の計画をコロコロ変えると成果が出ないこと。だから、セカンドオピニオンを嫌がるコーチもいる。

しかし、このような思想を持ったコーチがいきすぎると、選手に与える情報を管理し、違う意見との接触を嫌がるようになる。最終的に選手の学ぶ機会を奪うところに着地する。なぜならば学ぶこととは違う意見に触れることであり、それを相対的に批判的に眺めながら考え、決断することだからだ。

様々なコーチを見てきた経験から言うと、決して全てのコーチがひどいわけでもない。ただ、これらのコーチは自分を大人として選手を子供として捉える無意識の上下がある。子供だから外部に影響される。子供だから自分では考えられない。だから大人である自分が守ってあげるべきだと考えている。

しかしセカンドキャリアの課題に取り組むとわかるのは、皮肉なことに諸外国と比べ、日本の選手は随分子供になってしまっていることだ。自分の人生を委ねることに慣れさせられてしまっていて、自分で調べ対比し考え選ぶことができない。選手に意見がないと言うが、違う意見に触れる機会がないから当たり前だ。

私は早々にこのシステムが嫌になり離脱した。代わりに私が得たものは二つのコーチングを同時進行して失敗したこと、一つのコーチングに盲信して失敗したこと、陸上界以外の場面で何も言葉が出てこなくて悔しい思いをしたこと、そして自分で自分の人生を生きていくんだという覚悟を持ったこと、だ。

選手が自分で考え選べば、失敗するかもしれない。しかし失敗しないように周囲がお膳立てするよりは、人生にとってはいい。自分の人生は誰のものでもなく自分のもので、自分以外に誰も責任をとってくれない。だから自分で選んで生きていく。この感覚を伝えたくて私はコーチングをしている。

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