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遊具と遊び

【遊具とは何か】
一年程度かけて幼児のための遊具を開発してきて昨日が情報解禁日でした。子供の頃から遊具と公園好きで今も公園に行くと息子と遊具で遊びます。遊具を作るにあたり、自分に問いかけたことは「遊具にしかできないことは何か」です。文字通り遊具は「遊ぶための道具」です。でも遊びに良いのはやはり自然の中なのではないでしょうか。ということは遊具というのは山や海で遊ぶことができない都市部に代替物として存在するということなのでしょうか。

矛盾した言葉ですが「作為ある無作為」という概念があります。意図するのだけれど、一方で意図されていないような状態を目指すということです。私は遊具は設計者の意図があるけれども、子供たちはそれを強制されたと感じずまた実際に自由に遊びながら自然と動きが促されることが大事だと思いました。意図するけれども意図した通りにならない余白があるということです。

今回の遊具は名前をケプラーとしました。公転を発見した人です。この遊具はほっておくと自然と子供たちがぐるぐると走って回り出しそのうちに自転車のバンクのように体を斜めにしながら体をピンと伸ばし始めます。その姿勢こそが速く走る時に欲しいものです。

遊びを促すのが遊具ですが、遊びとは何かを考えると
・自由であること
・計画されすぎないこと
・秘密があること
ではないかと思います。

自由が大事だということはつまり命令されて行う遊びは遊びではないということです。同じように強制されれば遊びは消滅します。遊びとはいつも自発的で自由でなければなりません。

また計画には遊びを感じません。遊びはいつも臨機応変であり、新しく出会したものに対応しています。子供同士が遊ぶ時、自分が動くことに相手が反応しそれにまた対応するという波が応酬するようなコミュニケーションしています。計画し、計画通りコントロールしきれて仕舞えばそれは遊びではありません。

そして遊びには秘密があります。何かわからないことがある。行けばわかり、わかれば行きたくなる。全てが明らかになっていれば遊びは成立しません。遊びにはいつも小さな発見があります。

遊びはなぜ重要なのでしょうか。例えば同じ動きを体得する際に「教えられること」と「遊びながら身につけること」では何が違うのでしょうか。一番大きい差は、遊びはそこにたどり着くまでにたくさんの寄り道をしているということです。遊びは探索でもあります。あっちに行き、こっちに行き、これを試し、あれを試す。目的に一直線に向かいまた何をやればいいかも知っているとするならそこに発見も驚きもなく、ゆえに子供は飽きてしまいます。寄り道をして探してもいるということは、たどり着いた時発見したという感覚も手に入れます。この「いろいろやって発見する」が大事です。

寄り道は言い換えれば探索行動です。探索し、発見し、理解する。この探索型の学びがとても重要だと思います。探索型の学びの最大の強みはどのように社会環境が変化してもそこから学び続けられるという点です。計画された学びを記憶した場合、記憶した学びが通用しない社会になってしまった場合、臨機応変に変化することができません。

遊びは「強制すれば消滅する」という性質を持っています。学ばせることは後から強制することができますが、遊ぶことは守り促すことしかできません。まず遊び面白がる感覚を覚えること。そうすれば生涯に渡り自然と好奇心を持って探索していくのだと考えています。

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