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運動神経に関する考察

私は極めて身体能力が高かったが、球技などはあまり得意ではなかった。陸上競技においては日本で一番になる一方、体育の授業などではもっとボールや身体を巧みに扱う同級生をみて羨ましいと思っていた。スポーツにおいて自信とコンプレックスが同居している不思議な人生を生きてきた。

そのような人生だったから、運動神経とは何かについてずっと考えてきた。内訳を整理すると
①出力の大きさ
②身体で表現する能力
③外部の物体に合わせる能力
④身体感覚
⑤学習する能力
①②は先天性に近く、③は人生の前半寄りの後天性、④⑤は後天的にでも身に付けられるという整理でいる。

まず①は骨格や筋肉のつき方や性質の影響が大きい。私はここが優れていた。後天的ではなく先天性のものに近い。シンプルな競技ほどこの①の影響が大きい。②は似ているが自分の身体を扱う能力だ。①が車だとしたら②はドライバーの役割になる。私は②もまあまあだったので、体操陸上は得意だった。

③は動く物体に身体を合わせる能力だ。高速で行うアフォーダンスとも言える。私はこの能力が低く、タイミングを合わせたり、細部をコントロールすることができない。球技を行う選手はこれが優れていて後天的にも獲得できるが、本当のセンスは3,4歳ぐらいまでのボール遊びで獲得しているのではないか。

④は身体の感覚のことだ。自分の身体に張り巡らされた触覚センサーに近い。この能力で立体的に感触というフィードバックを得ることができる。また、心拍などを察知する能力も高いので自分の感情を推測するのも得意になることが多いと思われる。鈍ければ一つ一つの違いがわからず動きの修正が苦手になる。

⑤は④によってやろうと思ったことと実際に身体に起きた出来事のずれを推測し、修正をかけられる能力だ。立体的に自分の身体をイメージする力も影響してくる。興味深いのは②と③があまり得意ではない人もこの⑤だけ優れていると、ある一つのことを極端に洗練させるということが起きる。

おそらく小学生や中学生の体育では①②③の能力が優れた人が運動神経がいいとされているが、オリンピックの代表クラスになると⑤が特出した人が混じってくる。そして⑤の能力が突き抜けた人のうちある程度の自閉傾向がある人がいるように見える。繰り返しの際の小さな差分を楽しむ能力を持った人たちだ。

オリンピックに行って良かったことは、もちろん全て優れている選手もいるが、あることには秀でていてもあることは全く苦手である選手が多いと知ったことだ。北欧の投擲選手たちがバレーボールをやっていて二回とラリーが続かなかったり、競泳選手でダッシュ走がうまくできなかったりした。

運動神経がよければスポーツは何でもできる。しかしトップオブトップになるには、特化することが大事だと学んだ。五輪代表選手の身体形状は1900年にほぼどの競技も同じ体型だったが今ではとてつもなく多様になっている。

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