褒める行為の考察

褒めることの効能は大きい。人は褒められればやる気が出るし、何より嬉しい。また、褒めることに上下はなく、少し気恥ずかしくてもお互いがお互いのいいところをフィードバックすることはとても重要だ。大人でも自分では自分のいいところに気がつきにくいから、褒められることで長所に気がつける。

ただし、なぜ褒めるかの動機が重要だ。相手が自信がついたり長所に目覚めればと思って褒めることもあれば、ここで褒めることで自分自身が相手に好印象を与えられるということもあれば、あの人は人を悪く言わず褒めるいい人だという評判をコミュニティに浸透させるということもある。

また褒めることで人をコントロールすることもできる。こちらの方向に行けばあなたを優遇し、そうでない方向に行けば冷遇するというメッセージにもなり得る。褒めるという行為は行きすぎると価値観の押し付けになり得る。しかも褒められているから相手もそれを拒否し難い。わかっていてやる人もいる。

褒めると罰は表裏一体だ。罰と褒めるをうまく扱えば相手は依存する。DVや体罰はこの状態を作り出すために機能する。コントロールしたい人間は、従順で、染まりやすく、褒めに反射的に喜び、罰に怯える人間を本能的に嗅ぎわける。狂信的な組織の特徴は、懲罰の感覚が全員で一致していることだ。

自分より劣っている相手を褒めることはできるが、自分より上の人間を褒めることができない人は、奥の方に人間に上下をつけている価値観が見え隠れする。相手は自分を抜くことはないだろうからと安心して褒める。わかる人には透けて見える。褒める行為に自分のプライドが介在しすぎている。

人間は評価されたいという欲求と、影響を与えたいという欲求がある。褒めている時一体相手から何を学んだかを一緒に伝えると質が変わる。自分自身も変わる気がある人は対等に人を褒めることができる。その行き着いた形が感心することだ。感心する時は、自分のエゴが外に投げ出されている。

褒めることは威力があるが、同時に自分の様々な側面が見えてしまうとも言える。一番いいのは、思ったことを言い、自分が相手に変えられることを厭わないことだ。褒めることも大事だが、もっと大事なのは上下をつけず、良いところを学んでそれを感謝するフィードバックを惜しまないことだ。

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