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誹謗中傷と安全地帯

snsでの誹謗中傷の量の問題については多くの方が語られているので、私は質のことを書いてみたい。これはsnsというよりも、もう少し人間関係の話になるかもしれない。若い方たちにショックを与えてはいけないと思うので、現実を少し和らげつつ書いていきたい。

だいぶ昔に私の友人に執拗な批判の書き込みがあり、一年以上続いていたので、ある時本人が意を決して対象を特定していった。しばらくして友人から連絡があり、ひどく落ち込んだ様子だったので話を聞くと、相手は月に一度は食事をしている人だった。情報が明らかになった時、来月の会食予定も入っていた。

友人のアスリートは練習場所で熱心にサインを求めてくる中学生か高校生の子にサインを書いて写真を撮って励ましたことがある。その後、ある時からネットに批判の声が多くなるようになったが、調べてみるとその男の子だったというのがわかり、ひどく落ち込んでいた。満面の笑顔で少年は写真に写っていた。

このような出来事に出会うと、日常出会う全ての人の笑顔や善意が信じられなくなり、文字通り心を許すということができなくなる。今まで見えていた風景が変わり、もしかしてみんな本当は敵だったんじゃないかという気さえしてくる。仲間と思える人間がいなくなり、本当のことは誰にも話さなくなる。

別にこれは有名な人に限った話ではなく、仲良くしていた友人や仲間が陰で自分の悪口を言っていたという経験がある人も多いはずだ。多くの人からの誹謗中傷のダメージも大きいが、それはまだ話せばわかるという希望を持てる。しかし、まさに自分をよく知っている人からの場合ダメージの質が違う。

誹謗中傷を受けている人から見える風景は、見知らぬ人からの攻撃だけではなく、時に自分の家族や友人、知り合いが普段は笑顔でこちらを励ましながら、その集団の中に身を潜めているかもしれないというものだ。安全地帯が少しずつ減少していき、最後には自分の足下自体が崩れそうになる。

どうやってサポートすればいいのか。無言の応援ではなく本人に伝えてあげることだ。繰り返せば伝わる可能性が高い。人間の心は健全になって、ようやく論理的思考が成り立つ。特に若くて社交に適応した人は、よく観察しないと元気に振る舞うことに適応しすぎていて危機状態を見抜けないことがある。

また今傷ついている方に伝えたいのは、データを取るとせいぜい数十人、下手したら数人の人間がアカウントを切り替えたり、まとめサイトを使いながら誹謗中傷を繰り返しているということがほとんどだということだ。多くの人はそんなに暇がないし、他人に執着もしない。

私は若い方で、誹謗中傷に耐え適応し強くなった人を見て、たくましいと思うよりも、その人がそうならざるを得なかったこれまでの背景を思うと心が痛くなる。悪意は消せなくても私たちはもっと善意で傷ついた人を覆うべきだと思う。

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