なぜ人材流動性が低いとパワハラが起きるのか
野球界の体罰を詳細に調べた「体罰と日本野球」という本があります。
その中で非常に興味深いのは、部員数が増えると体罰が増え、部員数が減ると体罰が減ったというデータです。
客観的に見ると、体罰を行う側と行われる側のパワーバランスで決まっていると言えます。辞められては困る状況では体罰が減り、どうせ辞めない、または辞めさせた方が人数が減っていい時には体罰が増えます。体罰が増え始めた時代には、進学と部活の成績が結びついて、「退部=進学の可能性がなくなる。下手したら退学」があったと言われています。
スポーツ界の情報を融合させると、どうも体罰が増える背景には
・低い流動性(辞められない、横への移動が難しい) ・ポストに対して多すぎる人数 ・文化
があります。
同じようにパワハラも調べてみたいのですが、流動性が高いところかつ応募しても人が来てくれないところではパワハラは減っているのではないかと思います。いつでもやめていいよという相手にはパワハラを継続的に行うことが難しくなります。
パワハラも体罰も許されないことですし、最大限防ぐべきですが、背景には人の流動性の低さがあると考えています。人がすぐ辞め、辞めた人が情報を外に流す社会ではパワハラも体罰も情報が表に出ますし、そもそも人が辞めていなくなってしまいます。一方、流動性が高まりすぎると、組織に継続して知識がたまらなくなり、組織が弱体化する問題もあります。
「お前らもう帰れ」と叫ぶ指導者に対し、本当に帰ってしまうと慌てるように、去ってしまうこと以上のメッセージはありませんし、去れるようにしておくことが最大の自己防衛だと思います。難しいのは誰にでもそれができるわけではない点ですが。