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三つの争い

私たちが通常何かを競い合う時、三つのレイヤーによって成り立っていると思います。

①ルール内の競走

②ルール作りの競争

③価値観醸成の競争

①はすでにルールが定められたあるカテゴリー内の競争です。オリンピックや、アプリのランキングなどがこれに当たると思います。特に意識しなければ人は①の競争から人生が始まります。私の最初のキャリアも①の世界でした。

競争は何らかの勝利基準とルールがないといけませんから、それを定めるレイヤーにも競争が存在します。それが②です。オリンピックは各競技団体が定めたルールの中で競争されていますし、Googleやappleが定めるルールの中でしかアプリを作ることができません。ルール次第で有利にも不利にもなります。

ルールや勝利基準が何によって定められるかというと価値観です。価値観を醸成してレイヤーでも争いがあります。③です。ほんの数百年前は帝国主義で他国を植民地にすることが許されていましたが、人権や民族自決の価値観が醸成されそれは認められなくなりました。価値観が変われば良い悪い自体が変わります。

よく言われるように日本はルール内での競争に目を向ける傾向があるように思います。そうせざるを得ない立場だったからかもしれません。表彰される側も、表彰する側も経験しましたが、表彰される側より、する側に権威が生まれます。選ぶ基準を定めることができるからです。

そして価値観の争いは直接的ではないですが、一番重要です。①と②までは意識的に人を従わせるというレイヤーですが、③はその人自体の価値観に影響を与えるからです。③は人々の憧れや恐れに刷り込まれるので、究極の支配と言えるかもしれません。成熟国家は美術館を大事にします。例えば大英博物館やルーブル美術館などですが、それは美の陳列により何が美しいのかという基準を制定しているとも言えます。

成熟国家が哲学、アート、社会正義、宗教に注目し始めるのはそのレイヤーが人間の価値観を醸成し、その価値観に従ってルールが生まれ、そのルールによって人間の行動が決まるからだと思います。価値観の醸成は影響力の世界なので、影響力を広げるシステムが必要です。ですので、価値観醸成システムに今とても興味を持っています。

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