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奉公と甘えと移籍制限

陸上実業団の選手移籍に無期限の制限がかかっていたものが一年に軽減された。喜ばしいと思う一方、一体なぜこのようなルールが存在していたのかは日本型企業とは何かの分析が必要になる。私は奉公と甘えというものが日本的組織を理解する上でとても重要だと思っている。

旧来の日本型組織は、組織に属し忠誠心を見せることで、組織に面倒を見てもらうモデルだった。終身雇用であり、ムラ的文化だった。息苦しいが、一方で何かあっても家族ごと面倒を見てもらえたし、仕事の成果ではなく忠誠心で評価をされていたので、裏切りさえしなけばある程度身分は保障された。

このような時代において、組織は常に個人の上にある。個人が移籍を行うことは脱藩に近い裏切りとして感じられる。また個人は組織に長く所属することが前提なので教育しその成果を回収するまでの時間軸が長い。だから数年で移籍されると組織側は損をした気分になる。陸上はこの旧来型の価値観が根強かった。

旧来型モデルで得をしたのは、能力は低いが忠誠心は高い(ように見せられる)人だ。裏切らないという姿勢を見せていればさほど成果は求められなかった。一方、辛かったのはプロだ。成果より忠誠心を優先し、長時間労働や身内との交流など時間を食われるので、成果と関係のない無駄に耐えなければならなかった。

実業団の移籍問題はずっと陸上界で言われてきた。ただ、選手以外誰も本気で問題視しなかった。ここにきて急に流れが変わったのは、経済界が終身雇用の終焉を宣言したことに影響を受けていると思う。忠誠心より成果、終身雇用が終わる世界において、無期限の移籍制限という仕組みは時代錯誤に見える。

昔は窮屈な時代だった。組織のために長時間働き、濃い身内の人間関係に耐えなければならなかった。組織変更は脱藩だった。一方で、個人は組織に奉公している間は甘えが許された。面倒を見てもらえた。このような奉公と甘えの日本型組織の構造が崩れた。解放された人もいるが、途方にくれる人もいる。

20歳あたりの若者に会うことが多い。会社が自分の面倒を生涯見てくれると思っていない。会社どころか日本の未来にもそれほど期待していない。その前提で自分がどう生き残ればいいかを考えて相談に来る。このような世代の人間に移籍制限をかけることの滑稽さに、ある世代以上の人は気づいていない。

移籍制限を解放し困るのは若者よりも中高年が多い。能力は如何に危機感を持って自分を高めてきたかによって決まっていて、年齢をただ重ねても何も高まりはしない。変われる人は変わるし、奉公時代の癖を変えられない人間は、窮地に追い込まれていくだろう。もう賽は投げられている。

移籍制限は一つの事例でしかなく、本当に起きている大きな流れは”奉公と甘え制度”の終焉であり、個人としての能力が評価される時代の到来だと私は思っている。このニュースにどのような印象を持つかどうかで次の時代への耐性がある程度自己理解できるのではないか。

https://mainichi.jp/articles/20200208/k00/00m/050/193000c

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