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心理的安全性とは何か

心理的安全性を提唱しているGoogleが大規模なレイオフを行っています。心理的安全性を唱えながらレイオフを行うことについて、どう捉えればいいかを少し考えてみたいと思います。

心理的安全性は提唱者のエドモンドソンによると「組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態」と定義されています。対人関係で少し踏み込んだり、自分の率直な意見を言ってもそれが受け入れられるような状態のようです。端的に言えば、誰でも話がしやすい状態でしょうか。

重要な点は二つあります。一点は生産性が高い組織は心理的安全性が高いと言っているところで、「倫理的観点からそうすべき」と言っているわけではないという事です。もう一点は立場の安定は保証していないという事です。時に心理的安全性は「どんな時でも安全が保たれている状態」と思われがちですが、あくまで発言や行動などのアウトプットに心理的な抵抗がない状態であり、身の安全を完全に守ってくれるわけではありません。

自分がいつ振るい落とされるかわからないようなプロスポーツチームにおいても心理的安全性が高い状態は存在します。十分に自分の意見を言い議論しています。それが可能であるためには、フェアであるかどうかにつきます。人種や背景に関わらず、自分の発言が許容され、合理的であれば評価されることがわかっていれば人は話し始めます。むしろプロチームは結果を出すことが前提とされているので、積極的に発言、行動します。

もちろんスポーツチームは性別も偏っていてモノカルチャーなので、通常の組織であれば多様性を担保することで発言しやすくすることは重要でしょう。それでも突き詰める先はフェアネスです。立場の安定を心理的安全性と紐づけると、どんなに怠けても生産しなくても淘汰されないという事になります。人は自分より明らかに成果を出していない人が評価されることを許容できません。いくら心理的安全性のためとはいえ、アンフェアな状況は耐えられないのです。

ですから「安定」も「公平」もどちらも手にいれるという都合のいい話はなく、結局組織ごとに「正当な評価」と「立場の安定」をどうチューニングするかなのだと思います。


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