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2009年9月27日

2009年、9月21日で千葉ロッテマリーンズは優勝への道が完全に途絶えました。
前年オフの時点でボビー・バレンタイン監督の解任を発表したフロントの言動や行動に対して、M.V.P.だけでなく、ほとんどのロッテファンが不満を募らせていた年でした。
この年はM.V.P.がフロント批判をする横断幕等をシーズン中ずっと出していたような感覚を持たれていると思います。私の曖昧な記憶で申し訳ないですが試合前や試合後、インプレ―中以外において批判幕を掲出し続けた1年ですが、実際のところマリンスタジアムの試合中にインプレ―問わず、全面的に掲出してフロントを批判したのは、消化試合となったホームゲームの9月25日からなのではと思います。
とはいえ、試合中は消化試合と言えどチームの勝利の為に応援するのがM.V.P.の本来の思想だったのではないでしょうか。

しかし、9月26日。ヒーローインタビューで西岡剛選手が、そのスタンドの光景に対して「やめてほしい」と訴え、スポーツ新聞の記事にもなりました。それが9月27日の悪夢の光景の引き金になりました。彼らはこの年も含め、今までずっと西岡選手を応援してきました。そしてファンの気持ち、チーム体質の改革を訴えてきた一年間を裏切られたと受け取ってしまったのです。

9月27日。
タイトルの写真にあるように、フロントへの批判幕だけでなく、西岡剛選手の誹謗中傷幕がずらっと並びます。
それだけではなく、外野応援団も西岡選手の応援ボイコット、凡退時にアウトコールをする等、応援団としては逸脱した行動を行ったのです。
もちろん、M.V.P.のメンバーでもその行動に対しての反対派や、当日勇気を出した一部ファンが直接、ゲート横の中心部に抗議もしましたが、仲介という大義名分をもった警備員に抗議すら止められていた状態です。
しかし、その後の西岡選手の打席では外野席からだけでなく内野席からもファンの自発的な「ツヨシコール」が起き、さらには対戦相手のオリックスのファンも「ツヨシコール」を行う異様な光景が見られました。

この行動は球団だけでなく、NPBからも問題視にされたのか、この年限りで、外野応援団は解散、M.V.P.中心部でこの件に関与した人は出入り禁止となり、M.V.P.の活動は幕を閉じました。

2010年からは全くゼロからのスタートでしたが、ジントシオ氏が新しく千葉ロッテマリーンズ応援団の団長として就任し、応援歌も全て一新し、現在の千葉ロッテマリーンズの応援があります。

私は、M.V.P.の思想に共感して千葉ロッテマリーンズファン一筋になった人間です。
中心部、特にM.V.P.の公認HPの管理人の方達とは交流もあり、2007年~2009年は家庭の事情でマリンから離れていたと言えど、彼らの立場になって考えると気持ちもわかります。
しかし、この日のM.V.P.の行動は基本理念から大きく異なる行動であり、大きく裏切られた絶望と激しい怒りで数日、心が落ち着きませんでした。

私は嫁と相談し、これまで自分達の正装としていたM.V.PのTシャツやタオル等をまとめて破棄しました。
しかしこの年の彼らの行動ではなく、元々、私が共感したM.V.P.のマリーンズに対する信念を忘れていません。
ファンとしてマリーンズの勝利の為に出来る事をする。
チームの勝利の為に後押しするのがファンの責務。
チームが負けたら背番号26を背負うファンも一選手として責任が生じる。

この信念を2010年以降も忘れずに千葉ロッテマリーンズを応援しています。